クロス・ハート
[Valentine's Day]
バレンタイン少し遅れて企画
>>前編<<
バレンタイン……それは、恋人達の愛の祭典。
それは、恋人達が愛を囁き、好きな人に想いを伝える、大切なイベント。
そして、バレンタイン――それは、「街角勝負」を許される唯一の日――。
「勝負ぅぅぅぅぅっ!」
あちこちで勝負を求める声が響いている。シャルズは王宮のテラスから城下町を見下ろして、小さく微笑んだ。
「今年のバレンタインも平和だね」
その横で、影珠が眉をひそめた。
「どこが?……勝負とか、なんか不穏な感じだけど?」
先程からひっきりなしに聞こえてくる声は、確かに平和だとは言いがたいものだ。アーディルに育ったわけではない影珠には、このバレンタインの風習は訳のわからないものに違いがないだろう。
その事実に思い当たって、シャルズは影珠に顔を向けた。
「これがアーディルの昔っからのバレンタインなんだよ。クロス・ハートって聞いた事ない?」
影珠はふるふると頭を振った。
「クロス・ハートっていって……要はマイナスのプレゼントなんだけど……」
「……はぁ?」
クロス・ハート。意味をそのまま訳せば、交わる心。しかし、その本当の姿は――。
「一言で言えば、……決闘……かなぁ……。一人が突然誰かに勝負を申し込んで、で、申し込まれた方に拒否権はないわけ」
「拒否権のない決闘だぁ?……何、それ」
バレンタインに相応しくない物だ、といいたいのだろう。何しろ、本来、バレンタインというものは、好きな人にチョコレートを贈る、というお菓子屋さんの陰謀なわけなのだから。
「大昔にバレンタインがこの国に入ってきたときに、先人が曲解でもしたんじゃないかな。バレンタインとは物を贈りつける日。そして、贈られた人はそれを拒否してはならない――だとか」
「で、決闘を贈りつけるというわけ?……成る程」
「昔からのイベントだし、この日ばかりは堂々と街角で決闘を申し込んでもいい事になっているからね。ま、よっぽど酷くなければ、誰も何も言わない」
決闘を申し込む相手も、申し込まれた相手もそれをよく理解していて、今までに大きな事件に発展した事はない。だからこそ、許されている「街角決闘」なのだ。そうでなければ、良識派の現国王が即位したと同時に「街角決闘」の禁止をしていただろう。
「それに、申し込まれた人達も、怪我をすれば恋人に介抱してもらえるし、それに自分をアピールする恰好の機会でもあるわけだからね……今のところ、問題はないみたいだよ?」
へぇ、と納得したのかしていないのか分からない返事をして、影珠はテラスから城下町を見下ろした。
「興味あるなら、城下に下りてみる?」
テラスから外を見つめたまま何気なく頷いて、影珠は慌てて顔を上げた。
「そりゃ、まずいんじゃないの?」
焦った様子の影珠が酷くおかしい。
きっと、彼はそんなバレンタインに城下街へおりる事に対して、心配しているのだろうけれど……
「何かあったら、影珠が助けてくれるんでしょ?」
シャルズが満面の笑みをのせて問えば、条件反射のように頷く影珠の姿があった。
「勝負っ!」
シャルズに向けて、その言葉が放たれたのは、シャルズ達がバレンタインの町並みを歩き始めてすぐの事だった。
「この神聖なるバレンタインに、貴様に勝利してみせる!」
人差し指をシャルズに向け、悦に入ったようにくつくつと笑っている男が一匹。
予想されていた事であったので、シャルズは慌てる必要もなかった。
「シャル、俺、こいつ知ってる。――前回こてんぱんにのめされた奴だろ?」
「あ、そういえばエイジュもいたよね。そう、ラリエス家のお坊ちゃま」
シャルズが明らかな挑発の意味をこめてにこやかに告げると、ラリエス家のお坊ちゃまは怒りで顔を真っ赤に染めた。
「バカにするなっ!」
「バカになんかしてないですよ。卑屈になっているだけじゃないんですか?――バカにされているって勝手に思い込んでいて」
尚もにこにこと柔らかい笑みを浮かべたまま、シャルズは告げる。ますます、ラリエス家のお坊ちゃまは顔を歪めた。
(不細工な顔が更に不細工に……。まあ、彼にはお似合いだね)
「ふっ……そうやって強がっていられるのも今だけだ」
歪めた顔のまま、ラリエス家のお坊ちゃまはロッドを取り出した。魔法使いの持つロッドは、一般的に攻撃には向いていない。言うなれば、魔力増幅装置のようなもので、自分の力量以上の魔法を使う時に用いられる事が多いのだ。
つまり――
「エイジュ、彼、何か大きな術を使うつもりみたいだ」
大きな術を使われてしまえば、流石に魔力耐性をもっているシャルズでも全てを防ぎきる自信はない。
やられる前にやる――の精神から棒術を使おうと考えて、シャルズは思わず額を押さえた。
「まずい、エイジュ」
シャルズは溜息をついて、影珠を見上げ、力なく笑ってみせる。
「僕、武器忘れた」
一級賢者の証であるペンを使うわけにはいかないから――シャルズは丸腰も同然で――。
「シャルぅぅぅっ!」
影珠はシャルズの言葉に情けない声をあげた。
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