最近読んだ本の紹介
9枚の挑戦状
読者の挑戦(出題)に答えた短編集。
一時期光文社文庫に挟み込まれていた「文庫のぶんこ」で、辻真先への挑戦状が公募された(らしい。とらおは知らなかった、悔しい)
それによると読者は謎だけを提出しておいて、辻さんはそれにふさわしいストーリーの肉付けをし、もちろん読者の提出した謎を出現させ、さらにミステリーらしく理論的な解決を付けようという趣向である。
それだけでは面白くないと思ったのか、単なる短編集に留まらず、一冊の文庫を全体を包むストーリーで構成しているのだけれど、それは本編を読んでいただくこととして、ここでは割愛する。
ではそれが、どんな謎だったかをさっと紹介しましょう。
- 殺した人間を積んだトランクを開けると、そこには見たこともない別の死体があったのは何故?
- 若い娘はなぜ通勤電車の中で、背広ネクタイ姿で死んでいたのか?
- わたしの隣で寝ていた夫が翌朝死んでいた。身につけているのはいつものパジャマではなく、女性の浴衣、それも左前であった。何故?
- 旅から帰宅したわたしのスーツケースから血染めのナイフが現れた。留守中、自宅近くで起こった事件の凶器に似ている、逮捕されている犯人に心当たりはないわたしは?
- サウナ室の中から発見されたのは、なんと凍死体であった。どうしてそんなことが起こったのか?
- 久しぶりの休日。夫婦でドライブに出かけることになる。
アパートの一室を出たところで、妻が「忘れ物をした」と言い残して部屋に戻る。
自分も財布を忘れていることに気づいた夫がすぐに後を追うと、部屋の中に妻の姿はなく、かわりにモア(ダチョウを大きくしたような鳥ですでに絶滅)が立っていた。一瞬にして妻は変身してしまったのか?
- 村の役場に一通の手紙が届いた。村に赤ん坊が振ることを予告したものだった。
指定された村の公園の噴水で、村人達がクッションや網を構えて待っていると、指定された正午のサイレンが鳴ると同時に空中に赤ん坊が出現し、降ってきた。
無事に受け止めた村人達の顔に、安堵と困惑の表情が広がっていった....。
- 妻の周期的な秘密行動に不審を募らせていた夫が決心をした。
妻が隠しておいた印刷物(宗教画?)でドアを封印し、それを破ってでも妻が出かけていくか確かめようというのである。その結果は?
- 「犯人」(とらお注:辻さんが以前に発表した作品のタイトルです)の姉妹編として、推理小説における「絵解き」の問題とからませ、同時に「読者以外皆犯人」ということで「絵解き」が「免罪符」ならぬ「免罪本」となる工夫を!
「9枚の挑戦状」の中では、これら設定をミステリーサークルのメンバーがそれぞれ担当して物語を作っていく、という設定になっている。
さてそれがどのようなストーリーになるのか、それは本を読んでいただくとして、無理難題を押しつけられたミステリーサークルのメンバーに既に感情移入しかけていたとらおは、僕なら「読者以外皆犯人」を担当したいな、などと思っていた。
というのは、とっさにアイディアが浮かんだ、というより、以前遊びでこういう作品を書いたことがあったからだ。しかしまさか解決方法までが同じだったとは驚いてしまったのである。ううん、とらおも辻先生の頭脳に少しは近づいてきたかな?
東京湾大海戦・伊勢湾大海戦
まず簡単に、物語の舞台設定を紹介しておこう。
戦争が起きている。戦記シミュレーションというからこれは当然だ。そして、実際に起こった史実とは無関係に、もちろんある程度の史実を読者が知っているという前提にはたっているのだけれど、好きなようにシチュウエイションが設定されている。
これが小説、つまり創作された物語のいいところであり、エンタテイメントたりえるゆえんなのだが。
しかしあまりにも唐突ではある。ナチスドイツとソ連が手を組んで、戦争をしているのである。そして日本は、この2国によって占領されている。
現人神である天皇は、山本五十六率いる戦艦大和を中心とした連合艦隊とともに、なんとハワイに亡命中である。アメリカは戦争に加わっていないが、イギリスはじめヨーロッパ各国を占領したドイツ・ソ連連合軍の驚異を決して快く思っていない。だからこそ日本の亡命を認め、そして連合艦隊による日本本土の奪還に、手をかす訳なのだが。
さらにポイントは、当時の海軍戦力が連合艦隊としてほとんど温存されていたこと、亡命に際し日本国内のほとんどの軍需工場を破壊していたことにより占領軍がおいそれと軍備を整えられない状況にあること、占領はされていたものの日本奪還のためにレジスタントが本土で暗躍していることなどがあげられる。
日本の、というか、世界の歴史を全く異なったものに設定した、非常に興味惹かれる戦記シミュレーションである、とここまでなら言えるのですが。
最近流行の戦記シミュレーションもののファンの人は、この本を読むのに覚悟がいるだろう。カバーに記された作者の言葉によると「血湧き肉踊るか、頭に血をのぼらせるか」だそうであるが、たいていのひとは失礼ながら頭に血をのぼらせますよ、この作品は。
さいわいにしてとらおは、眉村卓さんの本を愛読している。愛読以前に、もう20年ぐらい前になるだろうか、NHKが夜6時台に放送していたドラマに、「少年ドラマシリーズ」というのがあって、2〜3作品に一つの割合で、眉村さんのSFドラマをやっていたから、SFはミステリー以前からなじんでいた分野だし、大好きだから、「血湧き肉踊る」タイプの読者なのですけれど。
ここまで言えば、わかりますよね。この作品はSFです。
パラレルワールドって、わかりますか? この本の中にでてくるのは、まさしくパラレルワールドが舞台。ここまでは、戦記シミュレーションの手法として納得できる。というのは、我々の知っている歴史と異なっているわけだから、パラレルワールド、つまり平行して存在するもう一つの宇宙が舞台なのだ、だから歴史も何もかも、似ているようで異なっている、と言われた方が、納得しやすい。
だが、それだけではなく、昭和世界と、もうひとつの世界(共和という年号になっています)を登場人物が行ったり来たりする。死んだ人間も行ったり来たりして、もう一方の世界の生きているその人に精神や記憶が統合されたりする。それを説明する博士まで登場する。
でももし、そういう状況設定に耐えられる頭の柔らかさを持った人なら、この本はむちゃくちゃ面白いです。
最後に、一言
タイトルが異なる2作品だけど、この2冊は完全に「前編」「後編」であり、続き物です。これまでに発行された、辻さんの戦記シミュレーションは、必ずしも1冊目から読んでなくてもOKかな、何て気もするけれど、これだけは順に続けて読んだ方がいいです。そして、前編がいいところで「続く」になっている。昭和から共和の世界に引きずり込まれた一般の家族が、レジスタントとして活躍し、さあいよいよ日本奪還の
足がかりを作れるか、というところで昭和へ戻っちゃって、前編が終わるんですね。もう少し、1作目で戦況を教えてくれてもいいように思いました。そしてもう一つ。これはSF読者としての感想なんだけど、これまでパラレルワールドを扱った作品を読む度に感じていた疑問があります。それは、並行的に多次元が存在するという概念がパラレルワールドなのに、小説になるとどうして二つしか舞台にならないの、ということ。
実は、辻さんのこの作品では、ここのところをしっかり押さえていることが、最後の最後でわかり、とても感心しました。でも、よく考えると、これ辻先生の得意技、下のフラクタル(アップしたのはフラクタルの方が先なんですが、このホームページを読む人のことを考えて、新しい記述が上になっています)でも書きましたが、「2」ではなくて「3」という....
怪盗フラクタル最初の挨拶
ルパン対ホームズ、あるいは銭形警部というように、怪盗対探偵という図式のシリーズものがたくさん存在する。
かつて、最初の構想とは異なって、一作限りで終わるはずだったのに、シリーズ化してしまった作品、たとえば、ポテト&スーパーや慎&真由子のシリーズなどとは違い、あきらかにシリーズ化を前提としたタイトルになっている。
ということは、探偵(または担当刑事)と怪盗との出会い編になるわけだから、それなりの舞台設定や状況説明、そしてこの宿敵のライバル同士の因縁など、かなり盛りだくさんの内容になるはずで、ファンとしては期待して手に取ることになる。
もちろん、これを読んでおかないと、2作目以降取り残されてしまうじゃないか、という強迫観念もあるのだが。
もっとも、秀介ファイルのように、第一作目にbPと銘打ちながら、結局bQでストップしている作品もあるのだから、これは何ともいえない。
物語の舞台は瀬戸内海の小島。かつて大作映画を撮ろうとしてこの島がロケ地に選ばれた。莫大な予算をつぎ込みながら監督の失踪(死亡説もあり)によって撮影中止となったこの島には、巨匠が残した数々の、映画ファンにとってはかけがえのないセットや小道具大道具のたぐいがあり、どうやらフラクタルの目的の品は、その中のどれからしかった。フラクタルからは予告状が届いている。
当時のセットは島の管理人によってメンテナンスが行き届いており、財産価値は十分であるのだ。あるいは財産価値はなくても、映画ファンにとっては宝物のような何かがあるのかもしれない。
探偵の親娘や当時の助監督連中その他諸々が島に集まってくる。
しかし、かんじんのフラクタルはなかなか登場しない。どのような手口で、いつ、なにを盗もうというのか、誰にもわからないうちに、探偵の娘が誘拐されたり、殺人事件が起きたり、ストーリーは混迷していく。
とまあ、あらすじはここまでの紹介にとどめておきます。
さすが、と感心したのは、初期のスーパー&ポテトものの頃と変わらない、青春の哀感。この世代の恋愛感情、その熱い想いや情感と、それゆえにもの悲しくさえも読者に感じさせる一途な気持ちが、この作品からも伝わってくる。これは、親と娘でかわされる手紙によるもので、この作品における事件とは相関関係がないものの、シリーズ全体に関わってくる大きな伏線であることが、作品の終わりになってわかる。
逆に、「やはりそうか。辻先生のこれはもはや常套手段だな」と思わせる技法(?)も登場。
シリーズ全体には関わりないものの、この一作に関しては一つのポイントとなる部分。トリックの種明かしほどではないので、その内容を書いておく。
物語の中の一部・またはほとんどの登場人物が「1」だと思っていたものが、実は「2」なのだ、ということを比較的早いうちに読者にも知らせてしまい、けれど本当は「3」だった、という結論。
数字だけで、単位を省略したのは、「個」であったり「人」であったりするから。
すでにこの手は何度か使われているので、あまり感心しなかったなあ。
物語の最後になるけれど、登場人物のとんでもない相関関係が明らかにされたので、もちろん2作目以降は、なるべく早く書き下ろされることを期待しています。
講談社ノベルズ
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