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「おう、今帰ったぞ」
 草薙柴舟が帰ってきたのは、京が夕食を済ませテレビを見ている時だった。この放 浪親父がたまにしか家に帰って来ないのは当たり前のことで、京は別に彼ががどうしようが自分には関係無いと思っていた。少なくとも、その肩に担がれた物体を目にするまでは。
「な、なんで八神の野郎を担いでんだよ、親父!!」
 最後の方が裏返りながらも京は非難をこめて叫んだが、息子以上にひょうひょうと して捕らえ処のない父親は
「いや、道を歩いとったら八神のせがれが落ちとったんでな、拾ってきたと言う訳 じゃ」
と、ネコでも拾ってきたかのように言う。京は、額に手を当て更に抗議をつけくわ えた。
「落ちてたって・・・。そんなもん、持って帰ってくんなよ・・・」
「では、今から警察に届けに行くか?半年経ったら貰えるかもしれんぞ?」
が、父親の余りにも恐ろしい冗談に、結局それ以上の主張は出来なかった。
 とりあえず血で汚れたジャケットとシャツを脱がせた後は、元女医の草薙静に 一応の手当を頼んだ。シャツについていた血が吐き出したものだけは無いことは、彼の体に少しだが付いていた傷で判る。どうやら誰かと一戦やらかしたらしいが、それにしてもこの八神庵に傷をつける事の出来る奴が自分以外にいるとは・・・いささか憮然とした面持ちで静の手当を眺めていた京であったが、自分が何故「不機嫌」になったのかは分かっていない様である。いや、自分が不機嫌であると言うことが分かっていたのかも謎だが。
「じゃ、後はお前に任せるとしようかの」
 手当が終わり一段落着いたとき、柴舟がいきなりとんでもないことを言い出した。
 任せられた<お前>は、京その人である。当然ながら京は真っ赤になって抵抗した 。何で俺が、拾って来たのは親父だ、目を覚ましたら即殺しあいだ、面倒は御免だ・・・。思いつく限りの理由を挙げたが柴舟は一向に取り合わない。それどころか
「ふふん、目と声が本気で嫌がっとらんぞ」
などと言う始末。この時、京は本気でこの親父に大蛇薙を喰らわせてやろうかと思 ったが、静の怒りの鉄拳を考えるとすぐに諦めた。それに・・・いや、それ以上考えるのは怖い。自分にとって余り都合がいいとは言えない感情が表面化しそうだ。
 京はため息を付き渋々承諾した・・・と言う形をとった。父親は何かを分かって いる様子だったが何も言わずに部屋を出ていき、静が用意してくれた夕食を食べに行った。残されたのは、深く静かな呼吸をしている庵と自分のみ。
「こういう静かなのは苦手だ・・・」
 手持ちぶさたな京は、なんとは無しに庵の顔を覗き込んだ。当たり前のことだが、 今まで「死なす殺す」などと顔を合わせていた割には相手の顔をじっくり見たことが無かった。闘いの場から離れて見る宿敵の顔は、思っていたよりも遙かに繊細で綺麗な・・・
「って、何考えてんだ俺は!!??」
 余りにも庵の顔に自分の顔が近づきすぎていることに気づいた京は我に返り慌てて 上体を上げた。もう少しでキスしてしまいそうになっていた・・・。空恐ろしい事実に愕然となる京。無意識に、自分の唇を右手で押さえる。
「なんだってんだ、俺は・・・?」
 自分にはそういう趣味はない。ユキの存在がそれを物語っている。仮に・・・万が 一にも有り得ないが、もし自分がソッチの人間になったとしても、コイツだけはご遠慮願いたい。なにが楽しくて、自分命を狙ってる男を抱かなきゃいけないんだ?
 京は必要以上に頭を振り、誰もいないのに必死に弁明している。その行為自体が 彼の本心を証明しているのに他ならないと言う事に、彼は気づいていない。
 ひとしきり、俺は違う違うと言い訳した後、しかし、彼は再び庵を見つめていた。
 そして他にすることがないせいで、余計なこと・・・庵と自分について考える・・ ・などという事をしてしまった。
 庵は自分の命を執拗に狙っている。家の為だとか、そう言うのを通り越した処に ある行動だ。なぜ、自分を狙うのか?そんな事は京には分からないし分かりたくもない。ただ、それは最早通常の感情を越えた「激情」と言ってもいい。庵にとってこの世界は「草薙京」のみで構成されている。憎しみは勿論肯定的な感情ででも、これ程他者にレゾンデートルを委ねられたことは今まで一度も無かった。
 そして自分は何故、庵との決着をつけようとしないのか?庵は自分の命を狙ってい るが、自分は別に相手を殺そうとは思わない。ならば、庵の格闘家生命を終わらせれば済むことである。いささか残酷な気もするが、長い両家の確執を思えばそれが起こっても不思議ではない。なのに自分は、庵に殺されるでもなく庵を殺すでもなく、いつも庵の「本気」をはぐらかしてきた。そう言う面倒なことが苦手だからと 言い訳してみても、延々と庵に狙われ続けるか、少し努力をして庵との縁を絶ちきるようにするか・・・どちらが面倒くさくないかは、格闘家草薙京の実力を推し量れば結論は出てくる。もちろん、庵とて一流の格闘家。あっさりと楽勝というわけにも行かないだろうが。しかし、彼は、まるで・・・そう、まるで
「俺は・・・庵に狙われるのを当然の様に思ってる」
のである。彼は自分の心の奥にある、出来れば気づかない方が良かった感情に気が 付いてしまった。
 自分は、庵が自分だけを見ていることを望んでいる。
「俺って・・・馬鹿。考えるなんて事しちまったから・・・」
 自分の浅はかさを呪ったが気づいたモノは仕方ない。改めて眠っている庵の側によ る。隠されていた物に気づいた後に見る庵の寝顔は、京にとってはこの上なく扇情的た。自分でも情けないくらいに震える指先で庵の頬をなぞる。初めて女性の体に触れたとき以上の興奮・・・。何故、自分が庵に惹かれるのか?そんなのは、庵に京を付け狙う理由を聞くのと同じくらいに馬鹿らしいことだ。
「しょーがねえよなぁ。気づいちまったもんは」
 京は、彼特有の思い切りの良さ(何も考えていないと言う噂もあるが)で、自分の 感情を肯定し、庵の薄い唇にくちづけた。ほんの一瞬だったが、それは体中に電流が走ったかのような、良い意味でのショックを京に与えた。その感覚をもっと味わいたくて何度も庵にキスをする。同時に、頬に指先を走らせ、髪を撫で、首筋の感触を確かめる。自分の唇を庵のそれから離すと少しずつ下に滑らせていく。先ほど指で確かめた白い首筋の感触を、今度は唇で味わい、少しくちめに吸い上げ紅い跡をつける。薄く浮き出た鎖骨に唇をあてがっていく。その、一つ一つの感触が、京の頭の奥を痺れさせる力を持っていた。
 京は、自分の息づかいが荒くなっていることに漸く気が付いた。
 やべぇ・・・。
 瞬間、理性が働く。いくら草薙家の家が広く、自分が何をやっているのか分からな いとは言え、これ以上進むわけには行かない。柴舟の何でもお見通しな言葉も気になるし、何よりも。
「庵が眠ったまんまじゃなぁ」
 本当は眠ってもらったままの方が余計な労力を使わずに済むのだが、京の中には庵 の反応が見たいという、ある意味当たり前な、そしてサディスティックとも言える思いが存在していた。
 とりあえず、今はここまで。庵が目が覚めたら・・・。いささか悪趣味な笑みを 口元に浮かべた後、もう一度名残惜しそうにキスをして庵の側を離れ
「それに、ケガの相手のことも聞きてえしな・・・」
ボソリとつぶやいた後、自分の部屋へと戻った。部屋の前で柴舟と会ったが、眠っ
てるよと一言伝えただけで、その後は顔も見ずにドアを閉めた。



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