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魔法の鏡

 気だるい土曜の昼下がり、何気なく部屋に篭っているのが疎ましく思え、ぶらぶらと人の通りが激しい中心地へと足を向けていた。
心が虚ろな時ほど、雑踏に身を浸したくなる。…己が空虚である事を忘れたいのだ。
 だが人が増せば増すほどに、心の音は消えていく。
 無音の中で息が止まってしまいそうだった。
 気分を変えようと足を踏み入れたCD屋で一息つく。クーラーの冷たい風が、陽に焼かれた肌にしみた。
 「あ!」
数歩進んだ所で、素っ頓狂な声が背を向けたカウンターから響いた。だが庵は何事も無かったように、好きでもないアーティストのアルバムを眺めた。
誰かは見ずとも分かる。そしてそれは、今日の平穏な一日には必要のない人物。
 「やがみぃぃー!やぁがぁみぃいー!!」
腕が風を切る音さえも聞こえてくるが、今日は平穏に過ごすと決めていたはず。
 「何かお探しですか、お客様」
 肩に置かれた手さえも無視する。
 庵の態度に短い我慢の限界がきたのか、続いて起こる大きな足音。
 「いい加減にしろよぉ」
 縋りつくように腕を回してきた京に、さすがの庵も耐え切れず振り返った。怒鳴ろうとした声を寸前で止め、辺りを伺う。
 「誰もいないぜ?」
 先ほどまでの情けない態度が嘘のように、低く声を落とし庵の顔を覗きこんだ。
 跳ね除けるように離れると、大人しく手を解く。
 「どうしたんだよ、何そんなに必死になってんだ?」
 散らばったCDが綺麗に詰め直されていくのを眺めながら、何時の間にかあがってしまっている息を整える。
 「何故、貴様がこんな所にいる」
 気を落ち着けようと思わず口をついて出た素直な疑問。
 すっかり自分のペースを乱されている事に彼はまだ気づいていない。
 「ああ、親戚のおっちゃんが旅行に行くらしくて…今日CD発売日の次の日だろ?だから休めないって、一時間千五百円でアルバイト♪」
 「景気良くぼったくっているな…」
 溜息混じりの気のない返事を返し、早々に切上げようと再度背を向けた。
 「毎度あり」
 あっさりとした言葉に驚き思わず足を止める。
 「俺今バイト中だから、構ってやれなくてごめんな」
 庵とすれ違いに数人客が入っていく。
 カウンターに戻っていく京の姿を横目に見ながら玄関マットに足をかけた。途端、けたたましく機械音が肩に下げた鞄から鳴り響く。
 慌てて鞄を探ると、剥き身のままのシングルCDが無造作に入っていた。その様子に客たちがざわめく。
 当然身に覚えのない事で、思わず京の方へと視線を投げかけた。
 …彼は自分が入って来たときから見ていた筈。
 「お客サン、困るよな…」
 カウンターから出てきた京は庵の手からCDを取り上げると、その腕を掴み、事務所らしい所へと連れ込んだ。
 薄暗いその部屋には数台の小さなテレビと事務用の机だけしかなく、一見殺風景ではあるが、正面の壁いっぱいにあるガラスから外が見える。
 「店が空いてしまうんじゃないか?」
 椅子を用意する背中に声を掛けるが、京は無言でテレビを指差した。その画面には白黒で店内の様子が映し出されている。
 京の意図が読めずに立ち尽くす。
 何も言えずについてきた自分に歯噛みした。
 「まあ取り敢えず規則だし、名前と住所と電話番号。あ、警察には言わないでやるよ」
 机に置かれた紙とボールペンに交互に視線を向ける庵の様子に早く座るように促す。
 「貴様、何のつもりだ」
 首を傾げる京を殴りたいのを我慢する。
 「とぼけるな、貴様が仕組んだことだろう」
 「おいおい、俺に罪を擦り付けるつもりかよ、目撃者もちゃんといるんだぜ」
 見せびらかすようにしていたCDでコンコンと紙を打ち付ける。
 ここで暴れたところで自分は不利だと割り切ったのか、苛立ちもあらわにペンを掴むと殴りつけるように走らせた。
 「へえ、結構近くに住んでんだ」
 呑気に呟く様に無関心な振りをしながら心中を探る。こんな事で弱みを握れたとは思っていない筈だ。
 「この部屋さ、結構良い眺めだろ。事務所だからって狭っくるしいのが嫌だってんで、自分で設計したそうなんだ。」
 「場面にそぐわない会話だな」
 「マジックミラーになってんだぜ、外からは中が見えないんだ。最も、監視カメラある事がわからないようにする為なんだけど。」
 庵の言葉を無視するように一方的に会話は進む。
 自分越しに通りの様子を眺める京の表情からは何も得られない。
 そうこう言っている内に書き終えてしまい、気がはやった庵は席を立った。
 「何だよ、ゆっくり涼んでいって良いんだぜ」
 横を通り抜けようとした庵の腕を引き止める。その眼差しは庵の良く知る好戦的なものだった。
 「悪い事してんだぜ、ちょっとは反省してる?」
 「離せ!」
 「良いぜ」
 突き飛ばすように部屋の奥へと押され、マジックミラーに背を打ちつけた。
 独特のこもった音が響き、庇い方を失敗したせいで腕に痛みが走る。
 「反省の色が見えないな庵。子供じゃないだろ、お仕置きされないと反省できないのか?」
 「俺ではないと言っているだろう!」
 「言ってないぜ、まだ…な」
 臨戦体制をとろうと構える庵に構わず詰め寄る。
 「ここ、俺ん家じゃないから暴れんなよ」
 首の後ろに回された手が強引に頭を引く。
 軽く唇を舐められて、一瞬何が起こったかを頭が否定した。
 腕の痛みも無視して鳩尾を殴る。
 「いって…」
 「何が仕置きだ、死にたいか!」
 まだ体を離そうとしない京にもう一撃くれてやろうと腕を振り上げる。だがその腕は簡単に捕らえられた。
 「さっきので捻った?お前らしくない一撃だったぜ」
 その表情は勝利への確信に満ちている。
 敵に弱点を知られることは死んだも同じだった。
 「大人しくしてろよ、なかったことにしてやるから」
 もう一度寄せられた唇を、顔を背けることで何とかやり過ごす。
 視線の先に、鏡一枚隔てた場所で行われている事を知らずに人々が行過ぎる。
 通行人と目が合ったような気がして、慌てて視線を落とした。
 「見られてるみたいで恥ずかしい?」
 耳に落とされるような呟きに首を振る。
 「大丈夫だぜ、あっちからは見えないから」
 京の手が背を優しく撫でるように動いた。
 羞恥からか、赤く染まっていく耳元の細かな窪みに舌を這わせる。
 「人に見られてる方がやっぱ感じ易くなるか」
 京の言葉に体を振って抵抗する。
 敏感になっている体は、京の体が触れるだけで過剰に反応した。
 いつもの調子が戻せずにいる庵も、不思議そうに京を見上げる。
 「結構好きなんだな、お前も」
 「違…う」
 背を動かすと、自分が押し付けられていた鏡に熱が移っていた事がわかった。
 「足、感じすぎて震えてるんじゃないか」
 思わず足を見た為晒された首筋に口付けられ、首を竦ませる。
 不意に肩を掴まれ、体が反転させられる。
 眼前に広がる風景に足が竦みそうになった。
 「見えないって、気にするなよ」
 冷たい壁に体を押し付けられ、体制を直そうと両手を壁についた。
 「あ…」
 すぐそばを沢山の人が通りすぎる。
 男に腕を回されたこんな姿を、もし見られたら。
 もしこの鏡が、ただのガラスであったなら。
 寒気を感じ、膝が落ちそうな程の羞恥が襲う。
 虚をついて後ろから回された手がベルトを緩め、チャックが生々しく音を立てた。
 「嫌だ…」
 思わず声が震え、暴れようともがくが、完全に壁へと押さえつけられている。
 蠢く手と、眼前の景色、どちらからも逃れたいのに、自分は鏡を掻いて不快な音を立てることしか出来ない。
 「…んっ」
 感情の板ばさみに気がおかしくなってしまったのか、恥知らずにも声が漏れた。
 殆ど剥がれてしまった上着から覗く背中に、ぬるりとした感触が這っていく。
 「良い声だせるようになったじゃねえか、俺の誘い方…分かってきた?」
 変えられていく自分から目を背けたいのに、前を向く事も出来ず視線が泳ぐ。
 「もう…警察でも何でもいい…やめてくれっ」
 ずらされるズボンを必死に押さえる。
 煩いとばかりに口の中へ押し込まれた指にむせ返った。
 「誰にも言わないぜ、大丈夫…俺がCD入れたから」
 「…!」
 濡れた指が足の間へと差し入れられ、問答無用で探り出された場所へと押し入れられた。
 「あんまり引っ掻くなよ、割れちまうかも知れないぜ」
 ゆっくりと蠢く指が与える感触に足が引きつるように動く。
 「どうだ?恥ずかしい?それともイイか?」
 言葉にならない声を上げて京の腕の中でのたうつ庵の姿に、喉の奥で笑う。
 「入れるぜ、大きな声でサービスするなよ」
 痛みのあまり泣きそうな声で髪を振り乱す体を押さえつけ、内部を蹂躙する。
 諦めたような喘ぎが途切れ途切れに漏れていく。
 「これ、実はただのガラス…とか言ったらどうする?」
 思いついたように呟いた京のとんでもない台詞に無防備な表情で見上げた。
 「凄いよなこんなトコで、男に抱かれて」
 庵の目尻に溜まっていた涙が筋を引いて降りていく。
 無理に押し付けられた腰に、骨が当たるような鈍い音が響いた。
 開かれたままの唇から、吐き出されたように舌が覗く。
 「良すぎて声もでない?」
 緩く振られた首に手をかけ、上を向かせる。
 「何とか言えよ、訊いてるだろ」
 返事を強要しておきながら口を塞ぎ、舌を絡める。
 苦しそうな表情を楽しげに見つめ、庵への愛撫を早めた。
 「や…あっ…」
 鏡に頭を押し付けるように体が跳ねる。
 折れそうなほどに庵を抱きしめ、京も愉悦に喉を鳴らした。
 
 「ふう…」
 綺麗に磨かれた窓に向けて息をつく。
 大きなガラス越しに、振り向かず走っていく影を見送った。
 バケツに雑巾を放り込み、再度大きなマジックミラーを眺める。
 「六時間で九千円…それと八神の住所と電話番号。まあ上出来だな」
 ふと、椅子に置かれたままの鞄に目をやる。
 「ついでに家に押しかけるネタも仕入れた」
 ニヤリと唇を歪ませ日曜日の過ごし方に頭を巡らせる。
 庵の受難はまだ始まったばかりなのであった…。


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