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 音楽教師の奏でるピアノの調べの中、校歌の古臭い詩の意味を考えるのも最後かと思うと、やたらと有り難く思える。何度も見送る立場を経験し、苦い思いをしていた自分には一層感慨深い卒業式であった。
 沢山の女性徒に囲まれ、ボタンを無残に引き千切られ、押しかけ弟子に出張コーチを頼まれるのを拳骨で制するのも、今日が最後。
 卒業。
 卒業証書が入った筒を肩で打ち鳴らし、見上げた校舎がやけにくすんで見えた。
 「京」
 周囲の喧騒が全て消えてしまった気がした。その声だけが鮮明に耳に届く。
 ただでさえモノトーンに包まれた学生たちの間で、その赤い色は目立ち過ぎた。

 校門から先はまるで別世界のように人の姿は無く、その静かな世界に彼が佇んでいる。
 京は校門近くの見慣れた石碑を一瞥すると、一目散に彼の元へと走った。
 「脱留年か…。全くもってめでたいな」
 薄く笑んだ唇から流れる静かな声。
 「おう、めでたい、めでたい!お祝いに何か奢れよ」
 自然に歩き出した二人の足取りは軽い。
 「これで俺は八神を養えるってワケだ」
 行き先は近くのファーストフード店、京は頭の中で奢ってもらうメニューを試行錯誤させる。
 「馬鹿者、そういうことは就職先が見つかってから言うことだ」
 庵の冷たい感じのする表情が微かに綻んだ。
 これまでの二人を知る者なら誰しも目を剥くであろう光景が、何気ない会話で繰り広げられる。
 とても平和で、平凡な。
 「じゃあ取敢えず、ホットチキンサンドにモスチキンだろ、それにチャイニーズチキンサラダな」
 「鳥ばかりだな…鳥屋にでも行ってこい」
 庵の冗談に肩を叩くように伸ばされた京の腕は肩をすり抜け、首の後ろへとまわされた。
 ゆっくりと落とされる唇に、庵は静かに、戸惑うように瞳を閉じる。
 「さっさと引っ越しの準備しないとな」
 「…何故だ?」
 「落ち着いてから庵の誕生日祝いたいし」
 照れているのか、庵の視線が逃げるように落とされる。言った京自身も余りの照れ臭さを笑って誤魔化した。
 咲き始めた桜の中での、もう一つの卒業。