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紙の上をシャープペンシルがふらつく様な動きで滑る。その動きは時折停止すると二、三度紙をノックし、書かれたばかりの文章を二重線で消し去った。
傍らに置いてあった辞書をバラバラと捲り、頭に浮かべた映像を形容するに相応しい単語を探す。
意味合い、見た目共に美しい言葉。
「あか…くれない…」
音に聴いても美しい言葉を…。
どうにも巧く表現出来ない想いを、浮かぶ限りの言葉を合わせて一つの形に。
題名も付けられない程に複雑で、重い、想い。
砂利の鳴る音に気を張り詰め、対峙する二人の姿があった。
自然と上がった息を飲み込み、緊張に震える脚を横へとずらす。
「そろそろ炎出すのもツライんじゃないか、八神」
言う京も顎に感じる鬱陶しい水気を拭った。
だが京の言う通り、炎を呼び込んだ庵の後頭部を鈍い痛みが覆っている。
勢いの弱い炎に舌打ちする庵に不適な笑みで返すと、京は素早く間合いを詰めた。
身を固める暇も許さず、二度蹴り上げると、間髪入れず炎を叩き付ける。
強かに背を打ちつけ、上手く酸素を取込めずにいる庵を見下ろし息を吐いた京は、それまで格闘家であった表情を元のそれへと変えた。
「俺の勝ち、だな」
さて、と視線を上げた京は学生服のポケットを探り、取り出した紙片を庵へと投げて寄越した。
「今度は何だ…」
京の"罰ゲーム"は2ヵ月程前から始まった。
『お前が勝ったら、俺を殺すんだよなぁ』
『当たり前だ』
『じゃあ俺も勝ったら何かしていいか?』
『勝手にしろ、だが…勝つのは俺だ』
しかし今の今迄京に対して勝ちを上げた例がなく、情けないことに彼の言う「罰ゲーム」を受け続けている。
「『一杯奢れ』『買い出しに付き合え』…次は何だ」
広げた紙には何やら細かく文章が綴られていた。
「今度は『作曲』。…出来るんだろ?」
紙片の内容はどうやら京の書いた詩。 それに曲をつけろというのだ。
「貴様に才藻があるとは思えんが…」
読む気もしないとばかりに紙を閉じる庵を京の大きな声が遮る。
「敗者は読んでから文句言えよ」
敗者の二文字に眉をひそめ、握り潰しかけていた紙片を再度広げた。
下書きから清書されたであろう秩序のある文字を、ゆっくりと庵の視線が追う。
京は期待と不安の入り交じった眼差しを注いでいた。
一度下まで降りた視線が再度紙の上方へと移動する。今度は先程とは違い、一字一字をなぞるような早さ。
「…貴様にしては上出来だ」
細い人差し指と中指とで挟まれた紙片はそのままズボンのポケットへと捻じ込まれた。
「十二月十二日」
「何だ?」
「それまでに作ってこいよ」
言う京を無言で見詰めた庵は、先程の紙片の内容を思い出した。
…思い人へ伝えられない想い、そしてどれだけ愛しているか。
「女か、誕生日にでもくれてやるつもりか」
途端に咽だした京を予想通りと鼻で笑った。
くれてやるんじゃなくて貰うのはこっちだけど、と小さく呟き、聞こえていないらしいその相手に笑いかける。
「良い曲、期待してるぜ」
他人の書いた詩に曲をつけるのは初めての事だった。ましてそれが草薙京の書いたものであるというのが庵の指の動きを鈍らせている。
「…そうだ、何故あんな男の言いなりにならねばならん」
作曲用のギターを手放しそうになった庵の脳裏を(自分にとっては)嫌味な笑顔がその理由を告げる。
『敗者』
取り落しそうになったギターを握り直し、再度忌々しい紙切れを見詰める。
曲を作るからには感情移入しなければならず、何度も何度も繰り返し目を通したソレ。
文面に溢れるのは切ない想い。
奴らしくない、と、溜息を吐き、その文章と同じぐらい神経質な音色を探した。
一つ、静かな想い。
庵の表情も同じく伏目がちに次の音を爪弾く。
二つ、募る想い。
眉間に微かな皺が寄る。
三つ、伝えられない想い。
細く小さく息を吐き、頭に流れる微かなメロディーを縒り集める。
四つ、押さえ切れない想い…。
細い眉が寄せられる。
読むほどに何かを感じる…忌々しい筈の紙切れ。
「よお、進んでる?」
十二月に入って間もない頃、庵の後ろをしつこい程追い回していたバイクの男が尋ねた。
「期限までまだ日がある」
視線だけを返し、それだけ言った庵は踵を返した。
慌ててメットを外した京はバイクを手で押しながら後を追う。
「あのさ、十二日に駅前で待ってて欲しいんだけど」
明らかに不満を訴える眼差しに両手を胸の前で振った。
「いや、だから勝負勝負。その後はお約束な」
「俺が勝つ」
瞬時に切返された望み通りの言葉に洩れた笑いを必死に堪え、待ち合わせの時間を告げた。
「しかし、女はどうした?」
京の視線がゆっくりと庵から逸れていく。
あらぬ方向を見詰める京に、それ以上深追いする気も失せ再度歩を進めた。
用件を済ませてしまった京は静かにその後ろ姿を見詰める。
その瞳に押さえ切れない想いを抱いて。
京は落ち着きなく駅前の階段の上り下りを繰り返していた。
約束の時間の三十分前、庵の姿は見えない。
改札を覗き、駅の入口の人込みを見渡すのを何度となく繰り返す。
いい加減脚に重みを感じ始め、人の通らない端の方へと腰を掛けた。
階段を往復していた際にも練っていた今日一日の計画を再度練り直す。
計画の最終目的の辺りで気を散らしていた彼は背後で庵の踏み鳴らす靴音を聞き取る事ができなかった。
頭上に翳された拳をまともに受け、計画案は中断される。
「珍しく貴様が先かと思えば…」
待ち焦がれた声が上から降ってくる。
「じゃあ早速行くか」
無言で後を着いてくる姿に既にその計画気分を満喫していた。
決闘の場は人気の無い公園の裏山。
木の枝に掛けられたコートが風に棚引いていた。
「決着云々言ってても、ちっとも決着着いた試しがないな、八神」
「フン、始めから着いたも同じようなものだ」
お互い寒いので、いつも以上に景気良く炎が逆巻いている。
だが案外あっさりと決着は着いてしまった。
そこら中に這い出していた根に足を取られてしまった庵の拳が地面へと叩き付けられる。
「お約束だな、八神」
いつものポーズで吹き消される炎を憎々しげに睨み上げた。
「今回のお題は…一日俺に付き合う事」
いつもと変わらない京の罰ゲーム。手早くコートを羽織った京は公園の入り口に置いてあったバイクへと庵を誘った。
「まずハーレーに最近入ったバイク見に行くから」
ポン、と叩かれたバイクのタンデムシートを立ち尽くしていた庵が呆然と見詰める。
「どうしたんだよ」
「…いや」
一瞬自分の脳裏を過ぎった言葉を頭を振る事で散らす。
これではまるで…だなどと、思ってしまった?
輸入バイク屋、イタリア料理屋と次々に連れ回され、今度は大きなゲームセンターへと辿り着いた。
「八神ってゲーセンとか行くのかよ?」
喜び勇んで入っていく様を呆然と眺めている庵に、京が浮かれた声で尋ねた。
「いや、殆ど行かないが」
その答えに満足そうに頷くと、腕を掴み嬉々として奥へと引っ張り込む。
「今日は遊びまくろうぜ、勿論奢れよ♪」
大きなゲーム台が並ぶ辺りでふと庵が足を止めた。最近流行りの踊るゲームが大層珍しいらしく、目を白黒させている。
「やってみる?」
人前で踊るなどもっての他だと首を振る、が、ズルズルと引き摺られるままに台の並びへと連れて行かれた。はじめは嫌がっていた庵だが、列が進むごとに興味深げに画面を食い入るように見つめ、試しに足を動かしてみたりとやる気充分のようである。
「貴様はあれをしたことがあるのか?」
いまいちやり方を理解出来ないらしく、事細かに操作方法を訊ねる。しかし京もニ、三回しかプレイしたことがなかった。取り敢えずわかることをレクチャーしてみれば、真顔で何度も頷く姿が…可愛い。
そうこうしているうちに順番が回ってきた。意気揚揚と機体へと向かうが、庵は画面を見つめたまま立ち止まっている。
「どうしたんだよ」
庵は胸に手を当て、深呼吸を繰り返していた。心なしか足も震えている気がする…。
「まだ…心の準備が」
「後ろのやつらが待ってるだろ!」
背後の並びに気付き、彼はやっと台の上へと上がった。緊張のあまり仁王立ちになる姿が微笑ましい。
「…なかなか面白かったな」
まだ緊張に煩いらしい胸を押さえ、庵は満足げに頷いた。まだ足に残っているらしいステップを反芻している。
「草薙、あれもさっきのようなゲームなのか?」
指さす先には巷で噂のDJゲームがあった。やりたいと顔で語っている庵の姿に少し溜息を吐きながら台へと向かう。
「これがこの線に降りてきたらこのボタンを押す。それはさっきやったのと同じ感じだな。それで…」
こくこくと頷く素直な姿に、普段もこうだと良いな…などと甘いことを考える。だが今日は特別な日なのだから、だからこそ許されることなのかも知れない。
「それだけのことか、他愛もない。手だけ動かせば良いのだろう?」
鼻で笑っていた庵も数十秒後には指を攣ることになる…。
その後も色々なゲームを二人でプレイし、意外とご満悦の様子でその場を後にした。 「そろそろ疲れただろ?家まで送ってやるよ」
ブーツに負けた足が気になっていた庵は何の不思議も無く自分の家へと案内した。そのまま自然と京を部屋に通してしまう。
「八神の部屋って何かこう、落ち着くな」
京の嬉しそうな声に自分の取った行動を思い出し、今更どうにもならない状況を嘆いた。
「さて、じゃあ後はプレゼント貰うだけだな」
唐突な言葉に今日が期限の宿題を思い出した。
「十二月十二日、俺、草薙京の誕生日」
ライバルの誕生日ぐらい覚えろよ、とウインクして見せる。
「メシ食って、行きたいとこまわってデートして…。最後に俺の書いた詩に、好きな奴の作った曲がつく、そしてそいつに歌ってもらえたら…最高の誕生日プレゼントだと思わないか」
照れ隠しに斜め上方を見る京の姿に今迄自分が睨み合っていた詩の内容が重なる。
平凡な告白であれば鼻で笑って信じることはなかったものを、自分は彼の想いを綴ったものに感情移入をし、自分なりに色々と解釈までして…。
次第に庵の顔が朱に染まっていった。
京は茶化しも笑いもせず、真っ直ぐに庵を見ている。
自分の中で「彼女」であったフレーズが「自分」へと置き換えられていく。
つまり、それは、そういうこと。
「今迄だって色々理由つけては一緒に酒飲んだり、手料理食わしてもらったり」
そして、彼の気持ちがどれだけ重いかは重々分かっている。
「あ…」
思わず壁際に引いてしまった庵の体を縫いとめるように京の腕が両脇に差し込まれる。
耳元で囁かれたのはもう空で言える彼の詩。
三年は忘れられそうにない旋律。
自分はもう随分前から彼にはめられていたらしい…。
終

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