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PRIVATE LESSON

 夕焼けに染まる校庭にチャイムが響く。
 下校時間をとうに過ぎた校舎の中に人影は殆どなく、用務員が戸締まりを確認してまわっているのが唯一の動きであった。
が、もう一つ動く人影がある。
 校舎の扉を肩で押し開けて大きく欠伸をすると、京はまだ夢の最中のような眼差しを校門へと向けた。
 高さ1m半はありそうな石造りの校門から、大きくはみ出た後ろ姿に気が乱れてしまわないよう、足取りはあくまで日常的に。
 おそらくあと二、三歩で彼は動く。
 右から。
 風を切る音は、革の鞄が潰れる音に止められ、次いで勢い良く身を後方へと反らせば、鼻先を青い炎が掠める。
 「待たせちまった?なんてな」
 軽く片手を上げ挨拶をすると、脇腹の横を細い指先が凪いで青い軌跡を残した。
 不意打ちを読まれていたことを打ち消さんが為の猛烈な攻撃は、どれも屈辱的な態度で躱されていく。
 「わざわざ校門で待っていてくれるなんて、とことん愛されてるなぁ、俺」
 テヘ、と頬を紅潮させる様に寒気を催したらしく、彼は身震いし、毛穴を収縮させた肌を摩った。
 「貴様っ…ふざけるのもいい加減にしろ!」
 渾身で放たれた一撃を拳で叩き付けるように止め、学生を意識していた表情を不敵に歪めた。
 心地良い緊張感に胸が躍り、体中の筋肉が臨戦態勢を取る。
 幸い煩い外野も無く、鳥さえも只ならぬ空気に逃げ出していた。
 自分の鼓動が直接耳を叩くようなこの瞬間を案外気に入っている。
 対峙した二人は申し合わせたように距離を取り合い、足を止めた。
 手を離れた鞄が、地に落ちる音が合図。
 熱い空気の巻く轟音と、交じり合う赤と青の炎。
 因縁の闘いは今日も続いていた…。

 緩く視点を結んでいく風景。
 彩どる色の少ない中で目を覚ました庵は、覚醒し切れない意識の中、横を向いていた顔を、寝返りを打つことで上へと向けようとする。
 が、何かが両脇にある所為で思うようにいかず、首だけを回らせた。
 パサリと頬を優しく撫でる黒髪。
 「…ん?」
 目と鼻の先で自分を見詰める黒い瞳。
 ただでさえこんなに顔を近づけているというのに、それはさらに近付こうと迫って来た。
 「おはよ」
 うっとりとした黒い瞳が瞼に覆われ、次第近付き過ぎて輪郭を無くす。
 「させるかっ!」
 素早く左へと首を倒した庵の横で、京は枕に虚しく顔を埋めた。
 寝起きの悪さに乗じての「王子様のちゅう」作戦は失敗に終わる。
 「俺の台詞…」
 「知った事か、早く俺の上から退け」
 上半身を起こそうと足でシーツを蹴ると、するするとした感触が素肌を滑った。
 慌てて己の状況を探ると、シャツと下着以外、何も着けていない状態である事がわかる。
 そして、この部屋の殺風景さの意味も。
 「貴様、悪ふざけも大概にしろ」
 呆ける京の背後には三方を囲むように引かれたカーテン、その上部の隙間に見える「手洗いはきちんと」の文字。
 薄手の布で作られたカーテンに透ける部屋の全体。
 自然と引き攣る頬と据わる眼差しを気にした風も無く、庵の両脇についた腕に反動をつけ、彼は上半身を上げた。
 「校内で人が倒れたら、保健室しかないだろ。今は校医も帰ってるし、安心して寝ていいぜ」
 爽やかにウインクしてみせる姿に怒鳴る気も失せていく。
 自分が倒れた場所が校門の外であった事に目を伏せ、服を探そうと辺りを見回す。
 が、目当ての物は視界を掠める事も無く、幾度見直そうとも無い現実は変わる筈も無い。
 「京…俺の服を何処へやった」
 取敢えずお決まりの台詞を口にはしてみたが、返ってくる反応に期待はしていない。
 そして、彼は期待を裏切らない男。
 「俺さあ、明日追認あるんだよなぁ…」
 意味ありげに視線を送る京からゆっくりと顔を反らす。
  「そうか、ならば早々に帰って勉学に励め」
 「そう、おベンキョーしなくちゃいけない。だけど帰ったら寝ちまうのは目に見えてんだ」
 わかってんだろ、と鼻の先を突つく指を邪険に払ってみるが、一向に視線は外される事無く自分に向けられる。
 「俺のお勉強に付き合ってくれたら教えてやるよ」
 「貴様っ…」
 殺気立った庵の太股を撫でるように京の掌が滑り、声も無く驚く顔を上から見下ろす。
 「この格好で校内うろつきたいなら、俺は構わないぜ」
 圧し掛かる体重が、実質以上に重く感じた。
 大人しく勉強とはいかない空気を感じ、無意識に体が震える。
 「んじゃあレッスン・1。現国の単位落しちまってさ、八神お得意の諺・慣用句でいってみようか」
 ふざけるなと叫ぼうとした声は、生暖かい革の感触に覆われた。
 身を屈めた京が密やかに囁く。
 「留年ヤローに頭で負ける筈ないよな?」
 ピクリと眉が上がり、庵の動きが止まった。
 抵抗の止んだ体からそっと手を離すと、真っ直ぐに自分を見据える瞳と目が合う。
 「どうすればいい?」
 「適当に諺とか言ってくれたらその意味を俺が答える。どうせだから勝負にしようぜ、俺が答えられなくなるか、お前が問題出せなくなるか、で。カンタンな問題を頼むぜ、センセ」
 額に降りてきそうになった京の顔を制し暫く思案すると、小さく息を吸う。
 「生兵法は大怪我の元」
 それだけ言うと、相手の返答を待つように、瞳を閉じる。
 「いきなり訳分かんねぇ問題で黙らせようって魂胆か…」
 深く考え込むように項垂れたと見えた首は、不敵な笑みと共に上げられた。
 「未熟な奴が中途半端な知識で失敗すること、だろ?」
 鮮明で途切れない答えに偽りはなく、目を見開いた庵の唇にも笑みが浮かぶ。
 「怠け者の節供働き」
 「怠け者が必要に迫られて人の休みに働く事」
 「引かれ者の小唄」
 「負け惜しみで平気なフリする事」
 次々と出される問題に、単位を落とした事が嘘のように京は正確に答えていく。
 だが、十問ほど答えた頃、京はふと首を傾げた。
 「何だ、そろそろ音を上げる気か?」
 無言で首を左右に振った京は、庵の目にかかった鬱陶しい髪を払う。
 「…お前さぁ、もしかして人を馬鹿にするようなのしか覚えてないワケ?」
 見た事も無いほど目を丸くした彼は、「目の体操」の如き順序良さで瞳を泳がせ、言えぬ言葉に口を意味無く開閉させた。
 「こういうのを『二の句が継げない』っていうんだよな」
 鬼の首をとったように踏ん反り返る京に焦りを覚え、形を失い始めた思考を何とかより集める。
 「ち、長者の万灯より貧者の一灯っ…」
 「惜しいなぁ…。金持ちの湯水のような寄付より、安くても真心こもったビンボー人の寄付の方が良いって事だよな…でもこれって、金持ちに対する嫌味ともとれるよな?」
 「うぬぬ…」
 口惜しげに唸る庵を見下ろし不敵に笑むと、次の問題を捻り出そうとしている彼のボタンを徐に掴んだ。
 「貴様、まだ勝負はついていないはずだ」
 京の外した順番通り、慌てて上から止め直す手を払い除け、落ち着いた動きできっちりとそれを外す。
 「ばーか、時間制限アリなんだよ。文句があるならさっさと問題を言えばいいだろ」
 罵声を喉で止めたらしく、空気だけを通した喉を舐め上げた。どうにか顔を顰めただけに止まった庵は、京の動きを意識しないようにと、窓から空を見上げる。
 「諺なんぞどんなものでもいいだろう…」
 京は応えない。
 背に差し入れられた手が肩甲骨をなぞるように蠢く。
 舌を動かす音が耳に少しずつ近付いた。
 問題は、浮かぶどころか日本語さえも形を成さない。
 「こんな所で何を考えているっ」
 「そうだよな、滅多にないシチュエーション」
 保健室に、二人。
 「追認受かっちまったら、もう絶対楽しめないかも」
 「もう、だと?寝言は寝てから言え。今も、だ」
 「その通り、今も…楽しもうぜ。で、次も予定中」
 既に臍を通り過ぎた手は、何時の間にか下着の中へと滑り込 んでいた。
 擽るように触れ、同じ場所をまた掻くように。
 くすぐったさから逃げるように動く体に手を回し、固定する。
 上唇を含むように口付け、そのまま触れるだけのキスを続けた。
 「俺が卒業しちまったら『学ランファイター』じゃなくなるだろ?」
 胸の上を探るように動かしていた手が、小さな突起を見付け出し、指の腹で刺激すると、京の顔を押し退けていた手が震え、力が抜けていく。
 こんな低俗な映画のような展開で好きにされてしまうのが悔しくて、自然と涙が滲む。
 「京ッ…」
 肌を擦るような弱い痛みに刺激され、無理の無いようにと勝手に体が潤いを生み出す。
 肌を引く感触が次第に滑る感触へ。
 不明瞭だった快楽が、明確な形を見せ始める。
 堪えるように息だけを弾ませる庵の表情を覗い髪を一撫ですると、赤味を帯びた頬に何度も口付けた。
 「ン…ァッ…」
 押し返す手が柔く胸を掻く。
 庵の吐息を余す事無く聞き取ろうと澄まされた耳にかすかな他人の声が届いた。
 「アッ…」
 勿体無いと思いながらも洩れた声をそっと手で塞ぐと、不安気に瞳が眇む。
 次の瞬間、勢いよく引き戸が叩き付けられる音が響いた。
 続いて沸き立つ女生徒の声に息を潜める。
 「先生ぇ〜…あれ、居ないのかな」
 カーテン越しに彼女たちが歩き回っているのがわかった。
 「別にいいじゃん、勝手に消毒して帰ろ」
 当分居座るつもりでいるらしく、女生徒たちは思い思いに寛ぎだした。
 あまりの出来事に蒼白になった庵の顔を眺め、思い付いた考えに思わず声を殺して笑う。
 「なぁ八神」
 声を発した事を咎めるように、いつも以上に必死な眼差しが自分を射た。
 「ぜ〜ったい、声出すなよ?」
 疑問符を貼り付けた庵の顔を確かめ、足元に畳んであった掛布団を引き上げ、頭から被る。
 「!」
 そのままどんどんと潜り込んでいく京を止めようと肘を使って半身を起こした庵は、そのまま背後へと首を仰け反らせた。
 蠢く布団の中で何が行われているかは、感じる刺激が全てを物語っている。
 「ねえ、今何か音しなかった?」
 かすかなベッドの軋む音を聞き取り、女生徒が声を上げる。
 「もしかして誰かいたり?」
 笑いながら声が近付き、薄いカーテンに影が映る。
 咄嗟に動きを止めた京に、庵は思わず息を吐き、同じように息を潜める。
 カーテンの終点へ影が近付きそうになったその瞬間。
 「やめときなよ、どうせ2組の草薙君の予約席よ」
 「どういう事?」
 女生徒の疑問は、そのまま庵の疑問となる。
 「いっつもこのくらいの時間までそこのベッドで寝てるらしいの。どうりでクラスにあまり居ないはずよね〜」
 女性徒の手がカーテンを離れ、遠ざかって行き、ほっとしたのも束の間、京が再び動き始めた。
 「…んっ…」
 布団越しにこもった水音がたつたび、跳ねるように動く庵の足が布団を乱す。
 庵が声を堪える事に集中し始めた為に弛んだ抵抗をいい事に足を開かせ、濡らした指で奥を優しく押す。
 「ぐ…!」
 噛み締めた隙間から声が洩れ、頭上の布を片手で押し上げ顔を出した京は、からかうようにシィと囁き、再び布団の中へと潜り込む。
 後ろへと差し入れられた異物によって、皮肉にも自分の内側を感じた。
 徐々に強く押し入れられ、何とか人差し指が収まる。
 布越しに頭を掴む手が痛いほど食い込む。
 呼吸音さえも消そうとするように、途切れ途切れの息がゆっくり吐き出された。
 そうこうしているうちに用事を終えた女性徒が保健室を出て行く。
 戸が閉まり、廊下を歩いていく姿を確認した京は、邪魔な布団を殆ど足元へ押し込んでしまった。
 もう既に涙目になってしまっている彼の頭を撫で付け、口付けながら入れた指をゆっくりと抜き差しする。
 「大丈夫大丈夫、ゆ〜っくり、じ〜っくり慣らしてやるから」
 優しいような優しくないような言葉をかけつつも指の数は増え、うめきに近い悲鳴が洩れた。
 掻き毟られた清潔感漂うシーツが裂けそうな程音を立てる。
 「ごめん、やっぱ痛いか」
 京は差し入れていない方の手で先程まで嬲っていた場所に再び愛撫を与え始めた。
 痛みと綯交ぜの快感に頭が混濁する。
 「ハァ…ッ、あぁ…」
 人のいなくなった開放感からか、一度声を許してしまうと、歯止めが効かなくなったかのように声が溢れる。
 「どう?八神」
 自分の声と合わせるような京の呼吸音だけが空白になっていた頭に届いた。
 力無く京の体を蹴る足にしつこいほど動いていた指が動きを止めた。
 覗き込むようにして笑った顔がこの先を思わせ、考えるのを止めたくて目を閉じる。
 体はもう既に放っては置けないほど昂ぶっていて、指と入れ替わりに入って来たものにさえも快感を見出そうとしていた。
 圧迫感に、臓腑が痙攣するように動く。
 言葉にならない言葉を発した唇を塞がれ、好きなように荒らされる。
 散々に慣らされた所為で苦しさの度合いは低く、それが反って庵を苦しめた。
 もう、考えるのも馬鹿馬鹿しい。
 薄く開いた視界の中央に京の姿を見ながら、気がふれてしまいそうな感覚に身を任せた…。
 
 
 すっかり日の落ちた暗い廊下を直走る二人の姿があった。
 「人がいなくなって随分歩き易いだろ」
 歩き易いも何も、足を動かす事もままならない状態の自分に
 呑気に笑い掛ける京を殴りたくとも、羽織った京の学ランを両手で押さえている所為で睨み付ける事しか出来ない。
 「どこにあるんだ!」
 牙を剥く庵をあやしながら、二階へと続く階段を駆け上がり、二番目にあった教室へと入った。
 居並ぶ机を見渡すと、京が先を促す。
 「どこだ…?」
 突如背後で引き戸の動く音がした。
 振り返れば後ろ手に戸を閉めながら京が頬を緩ませている。
 その表情に良くないものを感じたが、気の迷いと決め込む。
 「どこに隠した」
 「一番後ろの窓際の席」
 言われた通りの席へと駆け寄る庵の後をゆっくりと京が追う。
 引き出しからはみ出すように見慣れた服が覗いているのを確認し、安堵に息を吐く。
 引き摺り出した服を広げると、背後から伸びた腕が机との間に自分を挟んだ。
 「滅多にないシチュエーション」
 首筋で呟く二度目の言葉。
 驚き身を強張らせる彼から自分の学生服を引き剥がす。
 まだ庵の中で克明に残された京の体温が再び背を包んだ。
 「ここさ、俺の席なんだ。ここでしたら授業中でも思い出しちまうかも…」
 含むような笑いに弾んだ空気が背を伝った。
 「貴様、謀ったな!」
 体重を掛けてきた京に成す術も無く、冷たい木製の机に押し付けられる。
 「明日の授業は、お前のお陰で元気に受けられそうだぜ」
 言葉を失う庵の耳に息を吹き込むように囁く。
 「レッスン・2、習うより慣れろってな。前回学習した事はすぐに復習しないと忘れちまうものだろ?忘れないうちに、今度は俺が教えてやるぜ…」
END

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