キング・オブ・ファイターズ、その大会に参加していたまでは覚えている。
目覚めれば、そこは病院のベッドの上だった。
負けてしまって、そのままここへと来たのだろうか?情けなさを悔いていると、本を読んでいたらしいちづるが、彼が身を起こしていることに気付いた。
「八神!よかった…このまま目が覚めないんじゃないかと…」
はじめて泣き顔を見せた彼女は、庵が意識不明の重体であった事を告げた。
何があったか問うと、驚きにその顔を染め、一人の男…庵と同じく入院中であるらしく、包帯も痛々しい寝間着姿のままであった…を連れてきた。
ドアに入るまでの会話を聞く限り、二人が知り合いであることがわかる。
「何なんだよ神楽…」
面倒臭そうに部屋へと踏み込んだ男は、庵の顔を見るなり先ほどのちづるのような表情を浮かべ、声を詰まらせた。
「や…がみ?」
信じられないというように歩を進めた彼を、庵は殊更訝しげに見つめる。
「良かった、お前だけくたばるわけねぇって思ってたんだぜ…!」
嬉しそうに飛びつこうとした彼の様子に、庵は驚いたように身を引いた。
「どうしたんだよ?」
「忘れているのです」
彼の問いに答えたのはちづるであった。
思案するように唇に指を当てていた彼女は、確信したように目を見開く。
「貴方と、そして…オロチの事を」
事態が飲み込めないと訴える眼差しは、そのまま庵へと向けられた。
庵が彼を見る目は、確かに他人を見るそれであった。
その日以来、ちづるが呼び集めたらしい大会の常連たちが庵を見舞い、その中に混じって必ず彼がいた。
「そういえば何だか殺気の抜けた感じがするな」
唸るように呟く大門五郎。
「この大会が三人チームだって事は覚えてるよな」
紅丸の言葉に庵は小さく頷く。
「俺たち二人は同チーム、ならもう一人は?」
「…わからん、まるでそこだけ抜け落ちたようだ」
肩を竦め、紅丸は確認するように、後ろに立つ彼へと視線を投げかけた。
ちづるでさえも、大会主催者として覚えているというのに…。
「なんで、俺だけなんだよ」
吐き捨てるように呟き部屋を出た彼を追うようにちづるも部屋を出た。
いつもよりやけに長く感じる廊下を自分の病室へと向かって歩く。
二人の間に会話は無い、勿論京は話す気さえも起こらない。
無言で、ただひたすらそこへと足を動かした。
「草薙」
ふいに声を掛けたちづるに、返事をする事さえも疎ましく感じたが、仕方なしに顔だけを向ける。
「もう、八神には会わないで下さい」
事態が呑み込めない、否、理解する事を拒んだ思考を一心に巡らせる。
何故と問おうとした口は、開いただけで凍り付いて動かない。
そんな彼の様子を一瞥して、ちづるは言葉を続けた。
「今の八神には、貴方が不要なのです。単純な意味ではありません、今の彼にとって、八神の怨恨から開放された彼にとって、貴方は以前の八神を引き出す者…」
見える筈もない庵に彼女の言葉が真実であるかを問うように、今来た廊下の端を凝視する。
必要ない、今の八神にとって。
あれだけの執念で自分を追っていた彼が、いや、だからこそなのか。
オロチから開放された彼は、オロチに関する事を忘れ、それに直結する存在である自分の事も忘れてしまった。
ただ、それだけのこと。
「彼の事を思うなら、これ以上刺激しないほうが八神のため、なのです」
ふと、オロチに向かっていった瞬間に見た、彼の眼差しが過ぎる。
やっと、自分たちをがんじがらめにしていたものが解けたような気がしたのに。
あの瞬間、彼は自分に何を言いたかったのか。
聞いて、問いただして、小突いてやろうと思っていたのに。
きっと俯いて、「知らん」とそっぽを向いてしまうだろうと。
「神楽…」
考えよりも先に、ちづるを呼んでいた。
言葉を待つ彼女を見、やっと言葉を考える。
程なく言葉は見つかる。
「一週間待ってくれ、一週間経っても八神が俺を思い出せなかったら、その時は…」
伏せていた顔を上げる。
いつになく必死な京を見たと、ちづるは思った。
病室を移された庵は、与えられた雑誌を意味も無く捲っていた。
病院の最上階に位置するその部屋は、入院費も馬鹿高そうな設備が揃えられていた。
テレビはカードが無くても機能する大きなもので、その下にはビデオデッキも用意されている。当然オーディオ機器も揃えられていて、クラシックCDまで備え付けられていた。そして何より、まるでホテルの一室であるようなユニットバスがあり、この部屋から出ずとも生活が可能であるように作られていた。
神楽が、金にあかせてやったのか。
しかしさすがにキッチンはないので、食事は運ばれてくる。
…あの男によって。
時計に目をやる、そろそろ時間だ。
案の定、食器の鳴る音が廊下をこちらにやって来る。
ざり、と鍵が鍵穴へと滑り込む音が響き、続いてかちゃんと音を立て扉が開いた。そう、普段は閉じ込められているのだ。
「元気そうだな」
名も名乗らぬ男が不躾に訊ねてくる。
二人分の病院食をサイドテーブルに並べると、さも当たり前のように庵の手に箸を握らせ、胸の前で手を合わせる。
「いただきます」
勝手に向かい合わせで開始させられた食事に、ふに落ちないと顔で訴える庵に構わず、彼は黙々と病院食に箸をつけた。
暫しその様子を見守っていた庵も、自分の子供じみた態度に舌打ちし、目に付いた和えものに箸を付ける。
この部屋に移って以来、この部屋を訪れるのは彼ただ一人。
食事を運び、甲斐甲斐しく世話をやく。
身内ならともかく、何故この男が…。
舌に広がる甘酸っぱい味に思考を中断しながら男の顔を見詰めた。
ふいに上がった目と目が合う。
「何だ?」
小首を傾げる彼からはその心情が測れない。
「お前は誰だ」
自然と浮かんだ問いを投げかける。
当然の問いの筈だが、庵は自然と考えないようにしていたため、今はじめてきいたのだ。
男は困ったように笑うと茶碗を持ち上げ、ご飯を口へと掻っ込んだ。
「どうしてこんな所に閉じ込める?神楽に言われたのか?」
「ごめんな、あと四日だけ…我慢してくれよ」
そのまま食事が終わるまで二人は無言だった。
食事のあと、男は決まってビデオを見せる。あの大会の、庵が闘っている部分だけを編集したものだ。
炎が画面を襲うように走る。
黒いズボンの脚が跳び、その向こう側に自分が映る。
炎。
何故自分はこんなものが使えるのだろう?
この相手もそうだ、編集カットされていいる為、まともに姿は見えないが。
赤と青の炎が踊る。
食い入るように見つめる庵の姿を、画面には目もくれず男は見つめていた。
そして言うのだ、「何か、思い出せないか?」と。
庵は訳も分からず首を振る。
何処か心を暴かれていくような、闇雲な不安にただ首を振った。
格子の嵌められた窓越しに月を見上げる。
月、八神の家の家紋だ。
家紋。
ふいに昼間のビデオに写っていた男の腕の日輪を思い出す。
横を向けば、暗い中に浮き立つようなビデオの表示が目に入った。
ビデオは、入ったままだ。
サイドテーブルに置き去りになっていたリモコンのスイッチを一つ一つ沈めていく。
テープが巻き戻されていく甲高い音が響く中、ぶんと音を立てテレビが目を覚ます。
巻き戻しきられたのを確認し、再生の文字を探して押した。
庵の瞳は、一心に自分の相手だった男を追っている。編集されているせいで、体の一部しか現さないその男を。
日輪…太陽。
青い炎…赤い炎。
庵の中の抜け落ちた部分がざわめく。
その穴は、まるで虫に食われていくように、考えれば考えるほどに広がる。
何故、自分は闘っている?
何故、この大会に参加した?
…何故?
それから二日後、男の様子に焦りが見え始めた。
庵の様子はそれに反比例するかのように落ち着き払っていく。
他人が自分の身の回りの世話をしている事や、病院の一室に閉じ込められていることさえ、最早どうでもいいように。
「あと二日、だな」
暗くなってしまった部屋で、明かりもつけずただ黙って帰らない男に、ふと彼は呟いた。
その言葉の内容に、男は大きく肩を揺らす。
「そうしたら、ここを出られるんだな?」
男は突発的に息を吸い込んだ。それから断続的な呼吸がどんどん大きくなる。
大きくかぶりをふり、思いつめたように顔を上げた。
「庵…」
はじめて、名を呼ばれた。
「俺の事、どう思ってる?」
唐突な問いに、それ自身の意味を考える。
「どう、とはどういう事だ」
「憎らしいとか、殺してやりたいとか」
物騒な回答例に眉を寄せる。
「そんな感情でさえ、もうねぇってのかよ…」
それが、自分に向けられていた、一番の、感情だった。
と、いう事は…それが無いという事は。その先を思う度、焦燥感が止めども無く押し寄せる。
『今の八神には、貴方は不要なのです』
「は、は…。言葉のまんまじゃねぇか」
だったら、もういい。
今までの自分は彼の中で消滅してしまったのなら、今の自分を教えれば良い。
『あと二日、だな』
遮るように浮かぶ先ほどの庵の言葉。
二日。
そうだ、自分にはもう時間が残されていない…もう会う事も許されない。
胸を締め付ける感情を、確かめるように彼を見た。目覚めた直後よりも無感情なその顔を。
ベッドサイドに腰掛ける彼の肩を押した。
不思議そうな顔をして、力のままにベッドに体を預ける様を見守る。
頭の片隅で惨めだな、と思った。
ただ、忘れて欲しくなかっただけなのに。
ゆっくりと、自分を組み敷く男の行動の意味に感づいたのか、信じたくないというように首を振った。
「庵…」
そういえば、以前の彼にこうして名を呼んだ覚えはない。オロチを倒したその後には、言おうとしていたけれど。…言える状況ではなかったから。
寄せられた顔を、手の平で制された。
「駄目だ」
拒絶。
彼の中で、今までの自分もこうして拒絶されたのか。
「どうしてなんだよ!」
想いのままに叫んでいた。
力任せに捻じり上げられた腕の痛みに抵抗が緩む。
その身を包む薄い衣服に手を掛ける。
作りのせいか、それは簡単にはだけられ、肌が露になった。
その様を見詰める庵の瞳が見開かれ、表情の無かった顔が動揺に歪む。
「は、なせ…離せっ!」
抵抗の為、突き放す事しかしない庵の様子に、思い出される事のなかった自分の記憶が重なった。
胸を刺す止まぬ痛みに泣きそうになる。
自分の口中へとその拒絶の声を消す。
腕は両手で押さえつけた。
夢中で舌を絡め、激しく息を奪う。
頭を振り、逃れようとするのを許さず額を押さえ、角度を変えた。
苦しさに細められた瞳を見詰め、見せ付けるようにまた角度を変える。
途端、庵は自分のしている事に気付いたのか、羞恥に頬を染めた。
押さえつけていた手はもう既に外れているというのに、その事に気付かないままその手はただ反応に揺れている。
水音を立て、離れた唇を庵は呆然と見ていた。
互い、上がった息を整えるために呼吸を繰り返す。
再度降りてきた唇は首筋へと当てられた。
「やめろっ…」
最早悲鳴に近い声を上げ、黒い髪の間から頭皮へと爪をたてる。
首を竦めたせいで、赤い髪が目元に落ちた。
愛撫する手を止めず、顔を上げる。
怒りに染まっているだろうと思った眼差しは、悲しみに沈んでいた。
「そんな顔、するんじゃねぇよ…」
自分も同じような顔をしている事に気付かぬまま、唇を触れ合わせる。
「俺を殺すんだろ」
悲壮さを秘めていた赤い瞳が愉悦に曇る。
「ずっと…憎んでたんだろ」
湿った吐息が顔にかかり、小さく混ざった声に背筋が震えた。
首が緩く何度も振られる。
「あ…あっ…!」
状況もあやふやになり始め、声がこぼれ続ける口膣へ指が差し入れられる。
唾液を絡め、引き出された指を庵の虚ろな瞳が追った。
暗がりに晒された両足の狭間へとそれは降りていく。
加減なく押し込まれた指に硬直するように強張る体。
入れられただけでも十分な痛さなのに、それは中で蠢く。
爪の余り無い筈の指先でも内壁を裂きそうで、恐ろしさの余り手近なものへと縋り付いた。
同等の力であるがゆえに、誰よりも、信頼していた男の肩に。
顔を跳ね上げた京は満足そうに笑むと、腰を抱え上げた。
押し入る時の熱いような痛みに生理的な涙が滲む。
狭い中を無理に動こうとする度、肩に置かれた指が食い込んだ。
「も、やめてくれ…」
弱々しい声が必死に絞り出される。
色の落ちた髪の中に顔を埋めると、微かに洗髪料の香がした。
「あの時、何が言いたかっんだ?」
訊きたかったことが思わず口をついて出る。
庵の唇からは熱い吐息が零れるばかりで、答えを紡ぐことも出来ない。
それ以前に忘れてしまっているのだから、答えを期待する方がおかしいのだ。
「庵っ…」
慟哭するような声で名を呼ぶ。
胸の痛みに比例してそれを散らすように激しくなる動きに庵の意識は途切れていた。
葉の落ちる木々を窓辺から眺める。
目覚めれば京は姿を消していた。
「これで…いいんだ」
虚ろな眼差しのまま、自分に言い聞かせるように呟く。
自分たちを縛っていたものは無くなってしまった。
…理由が無くなってしまった。
今後の生活に、互いの存在を受け入れてはいけないのだ。
「だから…」
溢れる雫を咎める者はいない。
全てが終わったしまった世界で、庵は一人泣いた。
終
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☆解説☆
ぐおおおおおおおっ!はっずかしー!(><)あまりの恥ずかしさに文章を見ないように編集してしまいましたよ…。
これはHPに載せないって言ってたのにね、諸事情により載せますぅ(^^;)
コピー本、「空想遊戯」に載っていました。今後再版する予定もなかったし…いいよね?
これと、「終焉」、「夢のような時」と、表にある「雑音の中」を合わせて読むと由次郎的KOF終末思想がわかります。
97EDの後、一体どうなったんじゃ〜!!って気になりまくりませんでした?その妄想の結果がこれらなんですね。
特に「終焉」の後がコレだと思うともうやるせなさとサムさ倍増です。
話的にはお約束の記憶喪失ネタです。しかし、途中で庵が思い出していて、それを京に気付かせることなく終わってしまう…というのを書きたかったのですね〜。
うちの庵は苦しみを表に出さずに一人で嘆くタイプなんで(笑)
でもでも!京はそんな庵も幸せにしてくれるでっかい野郎だと信じています!(死)
オロチなんてぶっとばして庵をさらって逃げてくれぇぇぇぇ!!