其一 既得正伝辞学堂 回想昔日進門時 多寡易止失無已 幸好彼朝拝厳師
其二 採薪汲水同朋友 聞道求伝努日新 争友好師難為得 得之悔吾怠行頻
其三 如今負笈回故郷 顧望已過多少山 再拝遠方懐師訓 極巓亦見更高山 |
Qi Yi Jide Zhengchuan Cixuetang Huixiang Xiri Jinmenshi Duogua Yizhi Shiwuyi Xinhao Bizhao Baiyianshi
Qi Er Caixin Jishui Tongpengyou Wendao Qiuchuan Wurixin Zhengyou Haoshi Nanweide Dezhi Huiwu Daixingpin
Qi San Rujin Fuji Huiguxiang Guwang Yiguo Duoshaoshan Zaibai Yuanfang Huaishixun Jidian Yijian Genggaoshan |
其の一 既にして正伝を得て学堂を辞す 回想す昔日進門の時 多寡易止、失已むこと無きに 幸によろしきは彼の朝厳師を拝せり
其の二 薪を採り水を汲むを朋友と同じくし 道を聞き伝を求め日に新たならんと努む 争友好師得るを為すこと難し 之を得て悔ゆ吾怠行の頻りなるを
其の三 如今笈を負いて故郷に回る 顧みて望む已に過ぎし多少の山 遠方を再拝し師訓を懐う 巓を極めんに亦見ゆ更に高山あるを |
解題:
大学卒業に際して作ったものです。
其の一:「多寡易止」は「礼記・学記編」で学生が陥りやすい「四失」とするものです(「多」は一度に多くのことに手を出して虻蜂取らずになるもの。「寡」は専門バカ。「易」は何を勉強するか定まらず、すぐに目移りして集中しないもの。「止」はあるレベルで自己満足して向上心を持たないもの)。「幸好」は白話なので、韻文ではあまり使わないかな?
其の二:「採薪汲水」は広瀬淡窓の詩から。「争友」は「間違いを指摘してくれる友」で「荀子」からの出典。「難為」も白話。
其の三:「如今」も白話。結句のためだけに作ったような詩ですので、個人的にはあまり気に入ってはいないのです。