素朴な疑問をよそに、バスは偽装された塹壕やハマー、ブラックホークをあとにして非武装地帯へ。非武装地帯には名前の通り塹壕も陣地も無い。ソウルから板門店の間にいくつか地下基地があったのとは対照的だ。そうした非武装地帯の中に「宣伝村」があるらしいが、時間的に見学は出来ず。しかし国境の向こうの「北」の宣伝村はいくらか撮影できた。その村の住人の、「火垂るの墓」な生活はさっき見たのと大差無い。違うのはその村に翻る旗で、北朝鮮側に翻る国旗は南側の約2倍。その補修費で何千人の生活費になるかはさて置いて、そうした国旗を翻らせる親愛なる指導者は(以下略)
ガイド:「こうして南北が分断された背景には、日本の敗戦の責任が云々」
屈:「じゃあ、日本が負けなかったら良かったんだな。」
同期1:「いや、韓国が日本に侵略されないくらいしっかりしていれば良かったんだ。」
同期2:「キミタチ(・_・;」
ところで、この日は「北朝鮮第三南侵トンネル」を見学する予定だったが水害のため中止。水害とは言っても韓国側の河はほとんど無傷だったらしいが、北側に源を持つ臨津江(イムジンガン)は源流付近の治水に問題があるため、ちょっと雨が降るとすぐに氾濫、下流に大被害を及ぼすために現在韓国側が北に対して「金は出すからダム作ってくれ」と泣き付いている最中だとか。ああいう国が国境のすぐ北にあると、困るのは軍人ばかりじゃないのね。
板門店の後は韓国陸軍師範学校研修。現在は学生が「夏季特別演習」で誰もいないとの事で学生と交流を深める事は出来なかったが、しかし広いわ設備が立派だわで金のかけ方が自衛隊とは全然違う。学生との交流が無いほうが良かったかもしれない(あったとしたら嫌味の応酬になったかもしれない)。ああ、「税金泥棒」じゃない軍人のうらやましさよ。
この日はいい加減疲れたので、白将軍を囲んだ夕食の後それぞれ自由行動。明洞は大量の外国人観光客にあふれているので不自由はしないが、スタンド付きのセブンイレブンは日本にあってもいいよな・・・。
翌日、自分は他の参加者とは違うルートで帰日のため早目に航空自衛隊小牧基地名古屋空港へ。したがってたいして書く事はないが、金浦(キンポ)空港はいったん出国審査を終えたらあとは何にも無し。免税店も(事実上)一つしかなく、自動販売機もほとんど無い。コーヒーも碌に飲めない空港では「ハブ空港」なんて夢のまた夢・・・と利用者なら思うが、実際にはどうだろうね。サービス面でははっきり言って台湾の桃園中正(蒋介石)空港の方がよっぽど進んでいるぞ。まあ、今後に期待しようか、といって、その「今後」がいつまで続く事やら。現在のように他のアジア諸国に根拠の無いプライドを見せ付けているようなら、何時まで経っても一流国の仲間入りは無理だろうな・・・。とりあえず、一応今後に夢をつないでおこうか・・・でも個人的には台湾の方に夢をつなぎたいな(中国との関係次第だが)。
なおこのときの名古屋行きは当然巫女バー「月天」・・・じゃなかった、親戚を訪ねるため。名古屋に来て熱田神宮にも「月天」にもお参り(?)しなかったのは、実はこれが初めて。あるいは「後にも先にも今回だけ」になるかも・・・。
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