Z君もスクーターで迎えに来た。彼の後ろに乗ろうとすると、
Z:「ちょっと待った。」
屈(以下Q):「ん?」
Z:「ヘルメットを出すから、ちょっと待っててくれ。」
Q:「あれ?新竹でも義務化されたの?」
Z:「市内はね。新竹県では関係ないけど。」
Q:「ふーん。(……その割にはノーヘルが多いな)」
大人しくメットをかぶってスクーターの後ろにまたがる。道路状況については……まあ皆さんの御想像通りでしょう。私はもう慣れて神経が麻痺しているけれど、初めて台湾に来た人が、特に少し田舎でバイクの後ろに坐る羽目になったらかなりきついかも。まあ二人乗り用の背もたれも市販されているから、それをつけたバイクなら楽かな(そういう問題か)?
10分ほどで彼の家に着く。大通りからほど近くかなり大きい市場の近くなので、生活には便利そうだが朝夕は少し騒がしいかもしれない。台湾の都市部に良くある、4階建て雑居ビル風のコンクリートの家だ。家の前は「亭仔脚(アーケード。二階以上が一階より張り出し、その下を歩行者用の通路にするもの。日本の豪雪地帯にある「雁木」に近いが、これによって二階以上は床面積を広く取れるというのがミソである。)」になっていて、入り口には子供服が並べてある。
Z:「着いたよ。」
Q:「あれ?君のうちは洋服屋だったっけ?」
Z:「うんにゃ、一階は人に貸してるんだ。」
洋服屋の中を突っ切って奥に入る。二階以上は別の入り口、というのは台北では良くあるが、新竹ではどうなのか。この家は少なくとも違うらしい。営業中の店の中を通るのは少し気が引けるが、Z君は家主一族だけあって堂々としたものである。もっとも老板(店長)は慣れっこのようで、気にしている様子はない。或いは気にする私の方がまだ十分台湾になれていないのか。
私が泊まる部屋に案内してもらった。5階、つまり屋上に建てたペントハウスだ。板敷きだが作りは和室(4畳半)で、床の間まで作ってある。難を言えば襖と障子に手を掛ける所が無い事か。台湾人のほとんどは家を建てる時に少なくとも一室は和風にすると聞いたが、まさかその一室に泊まれるとは思わなかった。(その為か畳屋も少なくない。昔隣の部屋に住んでいた友人が、「この方が落ち着くから」とか言って、アパート据え付けのベッドを片づけて畳を持ち込んだ事がある。)床の間とは別に武具掛けがあり、Z君が練習に使う木刀などが掛けてある。窓を開けるとベランダに面しており、蘭などよく育った鉢植えが見られる。隣人も盆栽の趣味があるようで、趣深い鉢がいくつもあった。とりあえず荷物を置き、下の階に降りた。
Z君の弟がちょうど帰ってきた。彼は現在台北にある輔仁大学日本語科在学中と言う事で、いきなりコーチを頼まれてしまった。Z君と弟と私と3人でお喋りを楽しんだが、大部分は北京語である。Z君の弟も日本語の勉強を始めてからまだ日が浅いので、込み入った話は日本語でする訳には行かない。話題は多方面に渡ったが、興味があったのは「桃園神社」の事。日本統治時代には台湾にも多くの神社が建設されたのだが、そのほとんどには内地人(日本本土から来た人)ぐらいしか参拝せず台湾人が自発的に参拝する事はまず無かった。このように神道は結局台湾には根づかず、台湾が中国の統治下に入ると神社は日本による植民地化の象徴と言う事でほとんど破壊されたのだが、「桃園神社」は祭った神が鄭成功なのも幸いしたのか破壊を免れ、桃園市忠烈祠に付属して現在もその姿を留めている。こうした話をしているうちにいつしか日が暮れ、夕食の時間になった。
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