-HARU,Talk to myself-


ここにアップする春畑の「Talk to myself」は、1987年にソニーから出版された「BOYS LIFE」から抜粋しています。
そのまま抜粋しています。杉原の言葉ではありませんので、ご了承下さい。

少年野球をやってたんだよね
町田木曽バッファローズというチームに入ってた。そのころはプロ野球の選手なるんだ!って思ってた。(笑)剣道を始めたら、剣道の先生になりたい!と思ったし、思い込みが激しいんだよね。(笑)小学校6年生ぐらいって野球をやるのが当り前でしょ。そのころは全員が野球選手になるぞって思ってたんじゃないかなァ。毎日、学校から帰るとすぐグローブとバットを持って練習に行くの。投げ込みなんかやっちゃうわけ。(笑)
剣道はどうして始めたの?
よく覚えてないなァ。(笑)でも一度辞めてから、高2になって部活でまた剣道を始めたんだよね。高1のときは折り紙クラブなんて入っちゃって、少し怠けすぎたから。(笑)これじゃ体がおじいさんになる!とか思って。それに2段にも挑戦してみたかったしね。せっかく初段取ってたし。それが運悪く入部してかぐに合宿。(笑)5〜6年も真剣に続けてる人たちといきなり一緒に合宿だって。(笑)体力もないくせにね。(笑)
"俺、初段だしィ"みたいな甘い気持ちだったんだ。
そう、甘かったね。(笑)2年生なのに1年生の後輩にバンバン打ち込まれちゃって。「こいつらつえぇ!」って。(笑)それでも頑張って1年間は続けたんだ。高3になったときは、スポーツも1年間やったし、今度はおもしろいクラブに入ってみたいと思って、琴クラブに入ったの。(笑)ギターを弾いてて意気込みはあったけど、不安もあったんだよね。音感も身についてどんどん伸びていくのに、ドッカ〜ンという発展がないのに自分で気付いて。コピーもすぐできちゃうし、速くも弾けるし……でも、もっと音階的に新しいものを求めたい、という気持ちが強くなってた時期だったしね。頭ん中がドレミファソラシドでしか発想できないようなし仕組みに固まってるから、もっとおもしろいことないのかなァと思ってたんだよね。それで、もしかしたらだけど、琴が弾けるようになればおもしろい影響が出て、ロック・ギタリストにはちょっといないような新鮮なフレーズが弾けるようになるかもしれない!って思ったわけ。(笑)結果からいうと、何の影響もなかったけどさ。(笑)琴って知ってる。チューニングから自分で決めるんだよ。弦が……13本だったかな……あって、そこに積木みたいなのを差し込んで、その位置で音を決めるわけ。音でいうとね、レソラシレミソラシレミソラ。ミとシは♭でね。それでジャラ〜ンと弾けば、もう日本の音階になってるわけ。小松政夫さんが♪ツンツクツクツクツ〜ンとかいうでしょ。(笑)あの音程になってんの。それですぐ飽きちゃってさ、ギターのピックを隠し持ってて、先生の目を盗んではそれで琴を弾いてみたり、自分に勝手にチューニングを変えて、もっとロックっぽいチューニングにして弾いてみたりして遊んでた。でも、あんまり意味なかったね。(笑)だから、今でも琴でいろんな曲を弾けるよ。
じゃあ、芸能人かくし芸大会で琴を弾くヤツはすごかねェわけね。(笑)
本当にすぐ弾けるんだから。かくし芸ぐらいはすぐだよ。(笑)ギターより簡単。だから、琴による影響は何もなかったよ。(笑)
その間、ピアノは弾いてた?
全然弾かなかった。ギターばっかり。だから、左手が前みたいに動かなくなっちゃってた。でも、自分がピアノを弾くのはバラードぐらいしかないでしょ。ピアノでは落ち着けるのが弾ければ、それでいいと思ってるんだ。後は、曲を作るときのコードがわかればいいくらい。だけど、ピアノをやめて1年後ぐらいに弾いたときはショックだったなァ。指が動かないんだから。
でも、ピアノが弾けるのに、前田君は結構感激してたみたいだよ。
そォ?(笑)
で、バンドの話なんだけど。前田君、角野君、松本君の3人は以前からの知り合いだったわけだよね。で、結成当時春畑君だけが新顔で。他の3人とはすぐ打ち解けられた?
実際、3人とはね……初めて会ってから1年ぐらい経たないと打ち解けられなかった。他の人でもそれくらいはかかるんだ。子供のころなんてもっとひどかったよ。"人見知り"どころじゃなかったから。「こんにちは」も言えなくて、すぐかあちゃんの裏に隠れちゃう。(笑)相手の人の目も見られなかったしね。それが中・高になって治ったぐらいだからね。前ちゃんはすごく大人でしょ、自分から見て、「すごく大人だなァ」と思うんだ。子供っぽいところもあるけどさ。(笑)バイトの経験とかも豊富だし、人との付き合い方にしても大人だよね。過激な人生を歩いてきた人だから。(笑)いろいろ話を聞いてると勉強になるよ。それで前ちゃんに注意されたことがあるんだ。だれにでも好かれようとするな!とか、ファンのコやテレビを見てる人に見せなきゃいけない性格ってあるけど、バンドの中で曲を作ってるときは性格なんか作る必要ない!って。そういった話を聞かされたことがあって「すごい!確かに!」って思ったんだ。きっとバンドの中ではもっとわがままでいい!ってことだったんじゃないのかなァ。
前田君のそういう言葉で、フッ切れたりすることがあるんだ。
そう。初めはね、たまに音楽雑誌の取材があっても、思ってることをそのままいう気が全然起きなかったの。なぜだか……自分が思ってることよりもわざと一般的な答を見つけようとしてた。そう思ってなくても、「とりあえずは一般的な答をいっとこう」という傾向があったみたい。でも、前ちゃんから注意されてからは、それがなくなったのね。自分の思ってることを話すのが昔から苦手だったんだ。「ゴハン食べたい」とかはいうけど、(笑)みんなで遊んでるときに、「野球しよう!」とか、「女の子いじめちゃダメ!」とんはあまりいわなかったなァ。
そういう性格の変化ってギターの音やフレーズにも出る?
それは出てるはず。4人で始めたころ、まだTUBEじゃなくてパイプラインだったころ、音作りにしても自分のサウンドだとかいう前に、周りのことを気にしてたもん。どうしたら、周りは喜ぶか?とか。どういう音にしたら、みんなは納得するか?とかね。ソロのフレーズにしてもそう。で、そういう気持ちは必要ないんだと教えられたりしたからね。それから自分の好きな音が出せるようになってきたね。それが周りから見ると「TUBEの音だ!」っていわれるようになったきたんだよ、最初は、いろんな人のマネっぽい音ばかり出してた。こうすれば、みんなから「その音が合ってる」とかいわれるかなァとか……そんな音作りばかりやってたよ。で、今、自分の思うとおりにやってたら、それがTUBEの音になっちゃった。
スタジオでソロ・パートのレコーディングしてるとき、前田君と角野君が目の前に座ってるじゃない。あの2人がいると、気合い入る?
うん。(笑)結局、あの2人がいってるのは、「もっと春畑らしいソロ!もっと春畑らしく弾け!」ってことだと思うんだよね。こっちからその曲に合わせようと思ったり、そんな気持ちのソロを弾いてる間は絶対に納得してくれない。で、何回も繰り返してるうちに、だんだんとわかんなくなってきて……。青だとか赤だとか、もっと波だとかいうわけ。(笑)だから、だんだんわかんなくなって、1回休憩するでしょ。そのとき、ボーッとその曲を聴いてて、自分で、「これだ!」と思ったフレーズを弾くわけね。結局自分が弾きたいソロを弾くと、「それだ!」って納得してくれるんだ。そうしてる間に、「自分を出すことが結果としてTUBEらしいことになるのかなァ」ってわかってきたよ。




LUNA's Comment

デビューして2年の時点で振り返るというのも複雑ですね。
ちょうど、デビューして落ち着いて自分の周りのことや音楽のことを考えることができる
時期でもあるのかもしれないですね、3年目というものは。
今でもライヴでは春畑は殆ど喋りません(笑)たまに喋るのがこれがまたいいんですが....
それにしても今ではすっかり「春畑の音」というのが直ぐにわかるくらいです。
「春畑らしい音、フレーズ」というのが定着してきました。
ソロアルバムもその時その時でコンセプトの違うものを創り続けてきました
ノージャンルなギタリストという感じも定着しつつあります。
TUBEとはまた全く違ったところが春畑の魅力です。
TUBEのギタリスト、としてではなく一人のギタリスト、アーティストとして春畑が好きな杉原です。







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