車に関して

California州の免許取得に関してはNifty Serveなど でも数多く紹介されておるが、私の実際の経験を紹介する。 情況は年によって変化していくのでうのみにしないよう御願いしたい。

97年度CA州ドライバーライセンス取得への道のり

実技試験をLos Gatosにて受け、7/29/97に合格。 その場でTemporary Licenceの発行をうける。 その後Temporary Licenceの期限が迫り、 Los Gatos DMV(610-505-1453)へ電話。 電話にてTemporary Licenceの更新を依頼、郵便で 再度Temporary Licenceがくる。1/98が期限だったと思う。 その後音沙汰なく、12月頃Sacramento DMVへ電話をした。

DMV窓口の女性によると 私の書類は I-94番号(USA入国時にパスポートにつけられる)の 照会のためにINS(Immigration Naturalization Service)のコンピュータに なんと昨日!アクセスした。通常この返事が来るのに4-6weeks。 この結果で私が合法滞在者であるかどうかを調査する。 無事確認後、DMVで写真のデータなどを処理して約30日後に 自宅へ郵送されるとの事。

彼女によれば 現在書類が山のように溜まっていて、手をつけるまでに かなりの時間がかかっている様子。わたしの場合8月から昨日までかかっている。 3ヶ月以上も詰まれている。

この女性、毎日残業、週末も働いており、 残業代があるから条件がいいとか話をしてくれていた。 そんなことを言う暇があればさっさと処理をしてもらいたいのだ。

それからINSへの照会は3個所のofficeで処理されるが (SanDiego,LosAngeles,SanFrancisco) 私のは一番遅いSanFranciscoへ照会 がいったらしい。

DMVへの電話でそのような事実が判明したが、結局待つ以外得策はなかった。 この申請中の期間に海外に出るとI-94番号が変わってINSでの 照会に手間がかかる場合があるらしい。出張などは避け、おとなしく USA内にいるのがお得なようだ。。。

結局1/98になっても本物は来ない。そこで再度Los GatosのDMVへ電話を して3回目の更新をする。このあたりからあきらめムードになる。 そして今度4/98に4回目の更新を依頼したところ、4回目は電話で出来ないと言われ、 一度事務所に来て欲しいと言われた。 このころには私もこの手の人たちへの接し方のコツを覚えてきて、この場では いったん了解したふりをして電話を切った。その後再度電話をして違う担当者に 同じ事を言うのだ。担当者によって言う事が180度違うこの国だからできるのだ。 しかし、残念な事に内部で徹底されているらしく、交渉の余地はなかった。しかし、 Sacramento のDMVへ連絡をしろとのアドバイスがあった。その後Sacramamentoの DMVへ連絡を取るともう発行直前まで来ているようで、4回目の仮面免許を郵送 してくれた。その直後4月中旬に本物の免許が来た。手元に残った仮免4枚、都合9ヶ月待ったのだ。

この免許にまつわるエピソードは色々聞く。後から申請した奥さんが一ヶ月で交付された例。 極めつけは数ヶ月というスピードで来た本物免許、日付を確認したらもう失効していたとか。 笑うに笑えない話だ。

免許取得はアメリカで生活を始める上でアメリカ文化に 触れる初めての機会なので良く研究することを進める。Temporary Licence(仮免)取得後DMV,INSへの 定期的な電話攻撃は必須だ。特にINSの電話はなかなかつながらないので根気良く朝早く電話する 事を薦める。語学の問題があれば知人に依頼するべし。

さて次は車の事故についてお話したい。 ひとつはレンタカーの自損事故、もうひとつは追突の被害者のケースだ。 いずれも私の体験談だ。不幸な星の元に生まれたものだ。。。

レンタカーの自損事故

CaliforniaでHertzのレンタカーを利用している最中に不幸にも飛行場の駐車場で後部ドアを 柱ではでに擦ってしまった。 バックしたときに後方の腰ぐらいの高さのポールが見えずがりがりと やってしまった。この場合前進して体制を戻すときにも再度がりがりと いうケースで、一度の事故ではあるが二度おいしい(?)ケースだ。 私の場合以前日本で新車でも同様な事を経験しており、 都合四回がりがりを経験している。

話を戻そう。異国の地で、国際免許でどんな事になるやら気をもんだが、 知人のアドバイスでまずHertzに電話をした。車を傷つけた旨を申し出る。 先方はいきなり、代わりの車がいるかと聞いてきた。私はあと数日で返却 するのでいらないと申し出た。では、返却のときに再度言ってくれ、ガシャン。

これでいいのだろうか。。

返却当日、係りに誘導されて、車を停車させた。 "How are You?"と言われ恐る恐る車の横の傷を指差した。 "Oh!"のあと事務所のカウンターへ行ってくれと言われてしまった。 係りのおじさんはなにやら書いた紙をダッシュボードの上においていた。 私は事務所へ行き カウンターの係りにかれこれしかじかと伝えると、あなたは LDWに加入しているのでこの紙に書いてここにサインしてくれと言われた。 LDWは車を借りた時に加入した追加の保険で車両保険のようなものらしい。 車に対する損害を自損、他損にかかわらずカバーしてくれるようだ。 ほっと胸をなでおろし、この紙に事故の報告をしてサインして 先方がそれを確認すると"Have a Nice Day!"で終わった。

これがアメリカなのか??

記念すべき事故報告書を紹介しておく。

Hertz社事故報告書(303KB)

その後もHertzのレンタカーを利用できている私だ。 LDWには必ず加入しておくことも付け加えておく。

車の事故について

さあ、次は追突事故だ。 98年新年早々の出来事だった。 通勤途中の交差点で信号待ちをしていたら後ろの車が停車できずに 突っ込んできた。 私はバックミラーを見ており、危ないと思い、首をすくめていたが、 前に出る事もできず、突っ込まれた。 ドアポケットの品物は飛び出た。恐る恐る体を動かすと痛くはない。 体は大丈夫のようだ。

直後バックミラーで様子をうかがうと脇に寄せるしぐさをしたので 車を脇に寄せ、とりあえず降りて話をする。 追突車はHONDAのCIVICだ。私が日本で乗っていた車だ。 先方も降りてきた。最初に先方が謝ってきたのでちょっと安心した。 運転手は40代ぐらいの小柄な台湾人の女性。どうもこの人日本に留学経験があるらしく、 私が日本人と分かるいなや、慶応大学に留学していたとか 自宅の住所も近かった事もあり、やけに親しげに話をかけてくる。

私はとにかく警察を呼ぶ事しか考えてなく、 両者とも携帯電話がなかったので私が近くに見えたモールまで歩く事にした。 するとラッキーな事にバイクのおまわりさんが交差点にいて、すぐ現場に来てもらえた。

明るいおまわりさんで、お互いの免許、DMV Registrationの紙、保険番号 などを記録していた。あとは事故の情況説明、車の損害の確認を 行っていた。私が首がだるいと言ったら、いきなり救急車を呼ぶかと言われた。 それは必要ないと断った。救急車に乗るのも経験だが、その場合自分の車は 誰が動かしてくれるのだろう?

お互いの言い分を聞き終わると事故証明書控えをくれ、ハイさよなら。 これに事故番号などが書いてあり、後日警察に記録を問い合わせる事が できるのだろう。結局この日以後相手方または警察と連絡を取ったことはなかった。 すべて保険会社との話し合いだった。これがおまわりさんがくれたカードだ。 このカードもその後利用する事はなかった。

事故証明控え,表(60KB)

事故証明控え,裏(35KB)

車の被害はバンパーがへこみ、車体後部右側が歪み、トランク、後ろドアの 開閉に支障をきたした。だた、運転は大丈夫だったのでそのまま会社に向かった。 相手のCIVICは別に何もへこみはなかった。悔しい。。

事故相手によって無保険などで、事故処理に手間がずいぶんかかる時があると 聞いていたが私の場合はおまわりさんもすぐ見つかり、 先方も非を認めており事故現場ではスムーズな処理だったに違いない。

会社に着くと早速先方の保険会社(B社)から電話があった。 一応adjusterと称する本事故の担当者からであった。 相手方が自分の保険会社(B社)にすぐ連絡したのだろう。 このadjusterからは事故の情況の確認、車の被害、体の調子など 質問責めにあった。最後には訴える気があるかどうかと担当直入に 聞かれ、どう答えてよいやら。。。体を治すのが先だと伝えておいた。 そういえば年収も聞かれた。最後に事故のクレーム番号をもらった。

自分は自分の保険会社代理店の方に事故の連絡をした。 追突なので100%先方が悪いとの見解を聞く。また、今後どのように 処理を進めるかの意見を聞いた。 その後自分の保険会社(A社)の方らも連絡があってここでも 再度事故の様子を聞かれ、車の状態、体の調子を確認される。 ご丁寧にこの会社、私の供述をテープに録音してくれていた。 まるで犯罪者扱いだ。おれは何も悪くはないのだ。 そして今度はA社のクレーム番号をもらう。このクレーム番号 は事故の照会番号でもあり、費用の請求先とても使うようだ。

保険会社の利用方法

事故処理に関する交渉,費用処理をすべて先方のB社と進める方法と 自分のA社にすべての費用をつけて、保険会社同志で あとの処理を進める方法とある。今回は私の見方をしてくれる であろうA社にすべての費用を請求してB社から金を返してもらう 事にした。 自分でB社と直接交渉して、すべての費用を B社に払わさせるのは言葉の壁もあり, 先ほどの電話での質問責めもあり気が滅入りそうだったからだ。

また、自分がまったく悪くないのにA社に仲裁を頼む場合 今後の保険の掛け金の上昇につながる懸念があったが、100%先方が悪い 場合は無事故と同じ扱いだった。自分の保険更新時に事故の記録があったが NAF(Not At Fault)と記載され掛け金upにはならなかった。

体の修理

自分の医療費はすべてこのA社のクレーム番号に請求する事となる。 首のだるさ、背中の張りなどがあり、医者に2回通った。 自分は一餞も払わなかった。のちほどの慰謝料の請求時に基本となるのが 医療費だ。回数を稼ぐ事をお勧めする。また、事故日当日通院しておくと証拠になって 良い。病院の看護婦によれば体がリラックスしている時に追突されたほうが 体の被害が少ないらしい。私のように"来るぞ"と思って体を強張らせていると ショックが大きいらしい。リラックスする事を薦める。

車の修理

車の方が面倒だった。バンパーがへこんだのだが、その衝撃が 車体の後部にも来ており後部座席のドアの開閉に支障があった。

車の修理に関してはA社が認定している業者に見積もりをとらせ、 それをA社が承認して実際の修理を行う。この時A社が推薦する板金屋を 選ぶ。板金屋と直接交渉して修理日程を決定し、その間の代車を 手配しなくてはいけない。

板金屋も良くわかっていて、Enterprise というレンタカーを紹介してくれた。 この会社はどうも事故の代車貸し出しを良く引き受けているようだ。 このレンタカー会社板金屋まで送り迎えをしてくれるのだ。 事故車を板金屋で引き渡すので板金屋にレンタカーがないと移動ができない。 この点Enterprise社は配慮してくれている。 レンタカーの費用もA社のクレーム番号につける。ただし、私のA社の保険で カバーする代車費用の限度があり、これをオーバーする分は 自分が立て替えてあとでB社に請求する手順を踏まなくてはいけなかった。 一餞たりとも払わないという建前が崩れていく。

修理は3300ドル程度と見積もられた。見かけは大したダメージは無いのに。。 バンパーその物は$900位、あとは主に塗装などの人件費だ。 車の修理の保険規定はA社に準ずるので 修理時に免責の$200は一時期立て替えざる負えなかった。 この$200はあとでA社から返還される。(A社が$200をB社に請求し、A社が私に返還) また、免責以外の車の修理の費用は後日A社が小切手を私宛に郵送してくれた。

車の修理には約2週間かかった。

実は修理の後も車体下部に未修理部分を発見して数ヶ月後に半日持ち込んで 追加で修理をしてもらった。もちろん無償。 あー面倒。

そして慰謝料請求へ

先方のB社のadjusterからは定期的に電話にて症状の確認があった。 この電話がかかると暗い気分になっていた記憶がある。 なるべく避けていた。日本なら誠意が感じられないとか文句言いたい放題 なのだが。

一度B社から内容通達証明付きの郵便が来た。これにはあなたがB社に請求できる のは事故から1年以内であることが書かかれていた。

2,3ヶ月たってからは私の心も落ち着き、adjusterからの電話もなく、 平穏な日々を過ごしていた。事故から10ヶ月ぐらいしてからそろそろ慰謝料請求して 見ようかと自分の保険会社の代理店に相談した。そこの社長から以下の話を聞いた。

慰謝料は被害者が相手の保険会社に請求できる。この時の金額については 以下の話があるようだ。算出金額は 医者にかかった費用 x 倍率A+賃金のロス らしい。まずこの倍率Aに関しては先方の保険会社の方針で決まっているらしい。 AAAと呼ばれる保険会社は一番厳しく 1倍以上はなかなか引き出せないらしい。 ほかにも厳しい会社としてAll State, State Farmなどがあるらしい、彼らは 1.5-2.0 倍程度を掲示しているくるらしい。ここで弁護士を雇って交渉するのも 手だが、保険会社の方針から大きくずれることはなく、弁護士に30-40% 取られるのであまり得ではないらしい。先方のB社も厳しい方に入るようだ。 一方賃金のロスも請求できるが、会社からの休業証明、収入証明など の提出を要求される場合があるとの事。

社長が実際私のケースを見て、かかった医療費は合計でも$80位。 どう頑張っても$400位ではなかろうかとの意見。あれだけ苦労して交渉して 車を修理して$400程度というのは本当に悲しい。車の下取り価格にだって響くはずだ。

結局、私はB社に医療費の証明、年収証明、通院でロスした時間(これは自己 申告)を提出し、補償しろとB社に電話した。その数日後先方の adjusterから$1000でどうかという電話があり、これで手を打つ事にした。 あの時いや$2000よこせと言って見たかった。。。どうなっただろう。

参考文献になるかも知れない。 http://www.nolo.com 参照あれ。

今回のアメリカ文化の御値段 $1000なり。


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