『蟹工船・党生活者』

小林多喜二
新潮文庫 ISBN 4-10-108401-7 C0193 \240E

 ――何時でも会社は漁夫を雇うのに細心の注意を払った。募集地の村長さんや、署長さんに頼んで「模範青年」を連れてくる。労働組合などに関心のない、云いなりになる労働者を選ぶ。「抜け目なく」万事好都合に! 然し、蟹工船の「仕事」は、今では丁度逆に、それ等の労働者を団結――組織させようとしていた。いくら「抜け目のない」資本家でも、この不思議な行方までには気付いていなかった。それは、皮肉にも、未組織の労働者、手のつけられない「飲んだくれ」労働者をワザワザ集めて、団結することを教えてくれているようなものだった。

(「蟹工船」p89)
 
“小林多喜二(1903〜33)秋田出身。小樽高商卒。北海道拓殖銀行に就職。志賀直哉の影響を受けた人道主義的作晶を書き、のちプロレタリア文化運動に入る。上京して共産党に入党、非合法生活の中で著作したが、昭和8年逮捕され、虐殺された。”(日東書院「人名辞典」より)
 その項の末尾にはこうある。“代表作「蟹工船」”

 小林多喜二という名前は、高校の文学史にば必ずといっていいほど登場する。名前を聞いたことがないという人間はあまりいないはずだ。だが、彼の著作がそれほど読まれているわけではないということも事実だろう。
 もちろん二十代で獄死してしまったので作品数が絶対に少ないというのもその要因だが、「プロレタリア文学」という言葉の持つ七面倒くさそうな、つまりなんとなく堅苦しく難しそうな響きも原因ではない。「プロレタリア文学」というジャンル名は「読んで面白そう」という印象を与えるとは言いがたいのだ。
 何の気なしに古本屋で見つけて買っておいた「蟹工船」を手に取ったのは、ある日の午前四時半ごろだったかと思う。まさかその日のうちに読みおわるとは思っていなかった。だがどうだ。それほど読みやすいわけでもない古びた小さな活字を追っているうちに、二時間ほどで読みおわってしまったのである。
 他のプロレタリア文学がどうかは知らない。だが、この「蟹工船」(および「党生活者」)は、読ませるという点で現時においても一級品だといっていい。保証する。

「蟹工船」はまだ日本が帝国だったころ、昭和初期の時代の話。
 ソヴィエト領内であるカムチャッカに侵入し蟹を取り、それを加工し缶詰にするための「蟹工船」が「会社」に仕立てられ、「国益」を大義名分に、ロシア海軍に対抗するための駆逐艦と共に出航する。
“二十年の間も繋ぎっ放しになって、沈没させることしかどうにもならないヨロヨロな「梅毒患者」のような船が、恥かしげもなく、上べだけの濃化粧をほどこされて、函館へ廻ってきた。日露戦争で、「名誉にも」ビッコにされ、魚のハラワタのように放って置かれた痛院船や運送船が、幽霊よりも影のうすい姿を現わした。”――しかし「工船」といっても実際はこの程度の船である。
 そしてそれは、“労働者が北オホツックの海で死ぬことなどは、丸ビルにいる重役には、どうでもいい事だった。”ということでもあった。
 労働者といっても正式な「社員」などではなく、単純な季節雇いの肉体労働者である。彼らは「会社」にしてみれば使い捨ての可能な「もの」でしかない。会社から派遺されてきた監督の浅川は彼らを過酷に使い回す。かれらの「人権」は「会社」の関心の埒外であったから。――“監督は「賞品」の外に、逆に、一番働きの少いものに「焼き」を入れることを貼紙した。鉄棒を真赤に焼いて、身体にそのまま当てることだった。彼等は何処まで逃げても離れない、まるで自分自身の影のような「焼き」に始終追いかけられて、仕事をした。”
 やがて、浅川の苛烈な仕打ちで一人の労働者が死んでしまう。それをきっかけに「学生上り」や「吃りの漁夫」を芯として、自然に浅川らの代表する「資本主義」に対抗する組織が出来上がっていく。労働者の団結は船全体に広がり、ストライキヘと発展する。しかしストライキは同行していた軍艦の手によって鎮圧され、首謀者九人は捕らえられてしまう。
 だが労働者たちは「組織」の弱点を知った。“「――間違っていた。ああやって、九人なら九人という人間を、表に出すんでなかった。まるで、俺達の急所はここだ、と知らせてやっているようなものではないか。俺達全部は、全部が一緒になったという風にやらなければならなかったのだ。そしたら監督だって、駆逐艦に無電は打てなかったろう。まさか、俺達全部を引き渡してしまうなんて事、出来ないからな。”
 労働者たちは再び団結し、もう一度ストライキを敢行することになる。

 資本主義――あるいは帝国主義は、その発達の過程で「植民地の搾取」ということをやってきた。「搾取」はしかし「植民地」にのみ向けられるわけではない。「植民地」であるということは対外的な「弱者」であるということである。一方、対内的な「弱者」すなわち「労働者」は、「資本家」「政治家」という権力者によって搾取された。
 この「蟹工船」にあるのは、その搾取の現場における、民主主義の自然発生の過程である。
 現代日本という状況では、この「蟹工船」にあるような非道は――生命の存続が危ういほどの搾取は滅多にない。この物語は、民衆が貧困であったという前提なくしては説得力を持たない。過度の貧困があって、はじめて明確な「敵」を発見し、彼らは団結することができるのだから。それゆえに、そのまま現在という時代に照応して読むことは不可能であろう。自分を「中流」と見なせる日本人が総人口の八割以上を占めるこの現状は、社会の底辺というものが当時よりかなり底上げされたということの証明に他ならない。

 つまり――かつて日本人は貧乏だったのだ。
 一部はそうでもなかったが、しかしそのほとんどは貧しく、だからかれらは苛烈な労働に従事せざるを得なかった。今、日本人はそれほど過酷な労働を従容と行うほどの貧困さを持ち合わせていない。だが、半世紀よりもすこし前の日本では、こういった「搾取」が平然と行われていた。帝国主義の本質とは、結局はそういった「弱者虐待」を必要とするものでしかなかったのだから。
 現在という状態は過去が積み重なってはじめて成立する。現在に生きるならば、過去の状況を知っているということは、知らないで済ませているより何倍も正当だ。だからせめて、「中流」日本人はこの本を読んでおくぺきではないか。そう思う。
Grade [ A ]
version.1.1.97.12.15.
(初出・HYPER BOOK REVIEW「Vision MAGAZINE vol.32」1994)


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