『空に住む飛行機』

姫野カオルコ
講談社文庫 440円
ISBN4-06-185705-3

「あ……」
 何かを言おうとして理加子は声を出せなかった。喉の奥で唾液が蒸発してしまったように声は出なかった。
 髪の毛が音もなく一本ずつ抜けていきそうに、おぼつかなさが全身をとらえた。
「だって、結局、同属のそばは一番ほっとするもん」
 美枝の声は遠いところから聞こえているようだった。
(この人には家がほっとする場所なのだ!)
 それは衝撃的な事実だった。
(p59)


 著者・姫野カオルコの小説家としてのキャリアは結構長い。デビューは青山学院大在学中、団鬼六賞を取ってからである。長らくポルノ小説を書いていたようなので、いわゆる「普通の」小説を発表しだしたのはここ数年のことのようだ。

「空に住む飛行機」は恋愛小説だ。だがその言葉から単純連想される幸福感からは程遠い。
 ──物語の主人公・理加子は閉塞した状況にいる。彼女の前にあるのは異常に厳格で仲の悪い両親という存在である。両親の常軌を逸した厳格さの下にあった理加子は、「礼儀正しく」「真面目に」「従順に」成長し生活し、やがて二十九の歳を迎える。
 理加子は図書館勤めのかたわら、別々に入院した両親のところに顔を出す。毎日。だが、それは理加子にとってはほとんど拷問に等しいことだった。

“「眼鏡をはずしたほうが男性によく思われると思ってはずすのかもしれないが、そんなことは不良のすることだ。不良の前兆だ」
 二十九の娘に「不良になる」という父親のことばは滑稽である。
 しかし、滑稽なことばも、それが長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長い長いあいだ言われつづけられると、とても日常的なことば、になるのである。
 理加子がものごころついたころから、父親の話しぶりは同じである。今、病室でとりかわしたようなことは、父親にとっても理加子にとっても「とても日常的なこと」なのだ。”


 一月のある晩、理加子は同僚の美枝から、その恋人の小林の友人である江木という男を紹介される。理加子は二十九年間まったく「ふつうのつきあい」というものをした経験がない。理加子が他人と接触することを病的なまでに禁じた両親によるものであった。理加子は恋のできない女になっていた。
 しかし、江木との出会いによって理加子の心はしだいにほぐされていく。
 そのころ理加子は、小林の勤めるTV局のシナリオ大賞に応募しようと、“ふたりのきょうだい”が困難を乗り越えていつまでも一緒にしあわせに暮らす──というシナリオを書きはじめる。そのシナリオで描かれた“ふたりのきょうだい”が困難と闘って幸福を掴みとる物語は、理加子と江木の関係がいくつかの問題を越えて接近していく物語のようでもあった。理加子にとって「他人とつきあうこと」は「闘い」であったから。

 八月。江木はアルバイトで北海道へ行くという。両親のいる病院に行かねばならない理加子は、遊びにこないかという江木の誘いを断ざるをえない。理加子の閉塞状況は、根本で解決されてはいなかった。

 北海道の江木から理加子への電話はある時を境にぱったり止んでしまう。理加子は江木が“他に好きな人ができた”と確信する。理加子は江木と改めて会う約束をとりつけるが、江木からの電話はずっと、何日も来なかった。
 その電話を待っている期間、理加子の体は食べ物を受け付けなかった。理加子はやがて勤務中に倒れ、入院してしまう。
 しばらくして退院した理加子は、TV局で作家の間宮克彦からシナリオを褒められるが、それを嬉しいとは思えなかった。体が恢復していても精神は平常ではなかった。
 TV局から帰るタクシーの中のチラシに、江木の「その人」と似た面影を発見した瞬間、理加子の中に「ある感覚」が甦る。失恋の哀しみではなく、江木と会っていたときにもあった感覚。──そして理加子は、その感覚の正体を突然に理解する。

“意思があって大学に行かなかったのではなく、なんとなく予備校に行って、なんとなくやめてしまう、そのことが。
 アレルギーや体調によるものではなく、幼時の食生活のままにセロリとパセリを食べない、そのことが。
 理加子の写真を理加子本人ではなく小林に頼んで入手する、そのことが。
 いやだったのだ。(中略)だが、自分がいやだと思ったことに目をつぶったのだ。”


 理加子は「いやなこと」に目を塞いでいたことを後悔する。理加子のその行為は「闘い」ではなかったからだ。しかし理加子は、その理解が「突破口」になるかもしれない、ということを悟る。理加子は、江木の住むマンションへとタクシーの行き先を変える。
 すべての閉塞を解き放つために。


「空に住む飛行機」は、主人公の理加子が閉塞された状況から脱出し、自由になり癒されていくまでを描いた物語だ。友人・美枝の「あの人は重いのよ」という言葉にあるように、理加子は「何か」を背負っていて、それが彼女を地上へと引き止めている。理加子がその重さを受け入れざるを得ないのは、彼女の心にある「負債」の意識による──“「でも、学費や生活費は、みんな親が出してくれてるんだから文句を言う権利はないわ」”
 理加子は江木との恋愛で結局は傷つくが、同時に自己が「ふつうの恋」の対象になったこと・なれたことで癒される。そしてまた彼女は、その恋で“自分がいやだと思ったことに目をつぶった”ことに気づく。「いやだ」けれど、理加子はそれと闘おうとはしなかったのだ。「いやだ」けれど、我慢すれば、とりあえずは平穏に、とりあえずは癒されていられたから……。
 彼女はその平穏の理由を認識し、絶望する。
 しかしその認識は、「負債」から理加子を解き放つ力にもなっていく。理加子の「負債」は、彼女がそれを一方的に受け入れてしまっていたからこそ発生していたものだったから。


 何物かにとらわれずに人は存在できない。だが、その関係性の連鎖は「闘い」によってはじめてほんとうに正当なものとなる。抑圧の受容は絶えざる敗北かもしれないのだ。
 重力に囚われていると感じたあなたに──

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 初出・Vision MAGAZINE volume 35(?) HYPER BOOK REVIEW

 1997.8.9.追記。現在「空に住む飛行機」は、角川文庫から「ドールハウス」と改題され出版されています。


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