『吉本隆明×吉本ばなな』
吉本隆明・吉本ばなな
ロッキング・オン 1500円
ISBN4-947599-48-0

(中略)やっぱりニューエイジの人たちとか話してて冗談じゃないと思うところもいっぱいあるけど、いやすいですね。信仰のある人とかニューエイジの人とかは一緒にいていやすいですね」
 ――なんかだけどトウー・マッチな部分も感じません?
「いや、みなさんデリケートで親切だからそれだけで楽です。それと超能力がある人っていうのはほんとに親しくなりますね。で、すごい興味がありますね。人のこと治したりとかしてることに時間を費やしてる人っていうか。なんかそういう人たちって作家とすごく時間の使い方が似てるような気がするから、話してて一番気が合うのはそういう人たちだなあ。なんかこう、一日のうちでほんとにこう、すごく昔やすごく未来のこと一遍に考えるでしょ? で、時間の流れが無茶苦茶になって集中するでしょ? だからそういうのはすごい似てるから。しかもそれが何のためっていったら人助け、みたいな結論になるとこがすごく似てるから、話してて話がわかりやすいんですよね」
(p299〜300)


 前半が「吉本隆明×吉本ばなな」の対談で、それがまあ本書の「売り」だったのだろうが、予想以上に「普通の親子」的な対談に終始していた。
 たとえば、吉本隆明が作家論を語る部分はなるほどそれなりに「文学的」で読めるものではある。が、しかし、吉本ばなながそれに主体的に絡んで話を発展していけるかというとそうでもない。メインは、「あのときこういうことがあってね」と、親と子が共有する(吉本ばななの)「子供時代」の話になっている。
 もちろん、そういった「吉本家の事件」については吉本隆明・吉本ばななが双方で双方の視点から物を言いうるし実際に言ってもいるわけだけれど……。
 精神病理学的にテクストを読む(エクリチュールをなす、とかいってもいい)という志向があるのならばともかく、私にとってこれは基本的に「ふうん」というほかの言葉は出てこないものだ。

 ……つまりこの本は、ファン・ブックなのだろうなぁ……とくに前半。
「娘」としての吉本ばななはいろいろなメディアに散見できるけれど(と思うのだ)、「父親」としての吉本隆明はなかなか見れるもんでもないしね。

 前半が「ファン」向けだったというのはつまり、後半、吉本ばななと渋谷陽一との対談がけっこうエキセントリックでおもしろかったということ。吉本ばななの「オカルティックなモノ」への傾倒=傾向の「しかた」がクリアーに理解できただけでも収穫だった気がする(個人的には。でも、吉本ばななは著作の35%ぐらいしか読んでないから、それゆえこれまでが「クリアーじゃなかった」のかもしれない)。それはヒーリング的なるもの、としてのオカルトである。と単純化してしまうのも危険だけど。
 ただ、吉本ばななの指向性として「癒し」としての小説というのはあるようだ。

 吉本ばななが自分で「ひとつも人間を書いていない」というのは、ヒーリングという視点からすればじつに興味深い。それは裏を返せば「人間は醜い」ということでもあり、そして醜いものから「癒し」は得られない、ということでもあるからだ。なるほど。単純ながら真理である。

 個人的に吉本ばななに引かれつつも、どこか相容れないものや齟齬を感じるのは、「人間を書かない」という指向性のうえにありつつ神秘主義的である物語、に反発してしまうからだろう。つまりは、残念ながらオカルティックなものに眠れるほどディスコミュニケーションが浅くはなかったということかもしれない……フゥ。

 ……ともあれ、まあ、読むのは楽だし、ファンの人にはおすすめです。ファン以外の人には……すすめても買わねえか。うん。

version.1.1.97.04.17.


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