MinMin's Diary



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7月12日

最近、花屋の方に「台湾には旅行で行き、大好きになりました。できれば永住したいです。そこで就職先も探したいです」といった類の書き込みが増えている。
大体が二十代後半の女性だ。
これを見ていて考え込んでしまった。
私は旅行で訪ねた先で嫌いになったところはひとつもない。
別に運が良くていい思いばかりしていた訳ではない。
ただの気楽な無責任な旅行者だったと言ってしまえばそれまでだろう。
確かにその国の人達に眉をしかめられるような行動はとらないようにはしていたが、所詮は何の責任も義務も負わない通りすがりの人だったのだ。
だから、嫌な思いをしてもやり過ごせる。
いい思いをしたら三十倍に楽しい。
日本とは全然違う反応に驚き、感激し、うきうきしてくる。
旅行できているのだから働く必要もない。
働いたにしても「社会にコミットメントしている」形では働けないだろう。
つまり、ヨソモノであるが故の気楽さが基本にはあるのだ。
そこの国の人でないのに、そこに住むというのは並大抵ではない労力を要する。
たとえば、外国人登録をしなければいけない外国人力士は場所の合間を縫い、多くの日本人力士が稽古をつけている時間を丸一日使って外国人登録の更新に臨む。
曙が優勝した時に「ご褒美に入国管理局に行かないで済むようにしてくれたらいいな」と言ったとか言わないとか聞いた。
日本で働く外国人は帰化したり、永住資格を取らない限り、入国管理局とは長いお友達になる。
台湾に住む外国人だって例外ではない。
外事警察とは長いお友達だ。
それどころか、工作証を取るのが大変なので、それをゲットし、延長しつづけるのも容易ではない。
台湾は九州ぐらいの大きさしかない。
そこにぞろぞろと外国人がなだれ込んできたらえらいことになる。
ただでさえ、移民する人は存在しても、移民してくる人は存在しなかった台湾だ。
そこに「定着予備軍」を入れることにいい顔をするはずはない。
彼女達はそういうことを認識しているのだろうか?
美味しいものを満喫し、足の裏のマッサージにエステ、台湾の人との「触れ合い」に舞い上がり、「こんなとこなら住んでみたい」と考え出しただけにすぎないんじゃないだろうか。
しかし、住めば住んだで色々な問題がやってくる。
ノービザで2週間いられる観光旅行者であった時と異なり、住めば住んだで居留の問題も生じる。
それを「留学」という言葉で片付けたにしても、今度は今度でホテルとは違う「住宅」の問題が生じてくる。
台湾のホテルは世界で通用するレベルのものだが、台湾のワンルームマンションで「日本の女性が満足できるレベル」のものを探そうとなると容易ではない。
うまく良い物件を見つけても、上の人のちょっとした物音だけで目くじら立てている日本人には想像がつかないほど、台湾の人達は音に寛容だ。
また、部屋をシェアすることになれば、浴室の使い方ひとつでも違う。
トイレに使用済みのトイレットペーパーを捨てるゴミ箱があるのはご存知だろう。
これは何も公衆トイレだけではない。
一般家庭でも同じように使用済みトイレットペーパーを捨てるゴミ箱があり、それを家のものが捨てる。
共同でトイレを使っているならば、他人様が使用したトイレットペーパーを捨てるお仕事もやってくる。
最初は「現地の人との心の交流」なんて思って台湾のルームメートと部屋をシェアしても、そこらへんで根をあげる日本女性は結構いる。
そして、日本人同士で部屋をシェアしたり、どこかに小さなワンルームを見つけ、「台湾の人ってさぁ」と知ったような顔をして批判したりする。
どうしょうもないわねって感じで首を振ってみたりする。
それはそれで別にいい。
しかし、原点に戻って考えてみてほしい。
そういう首を振るような相手にほれ込み、その台湾に永住したくてあなた達は台湾にやってきたのではないのか?
そう思うと、しょせんは「日本の現状」から逃避したいことが根底にあったのではないかと思う。
日本の価値観を背負い、日本の価値観や生活を全部どこかに持ち出して暮らしたい。
でも、日本で背負っている義務や負担は持ってきたくない。
だからどっか適当な外国に逃げ出したい。
そこで「ガイジン」として無責任に楽しく暮らしたい。
たまたま台湾に旅行でやってきた時、いい思いをした。
旅行は所詮は無責任な滞在の仕方だ。
それを忘れ、「こんないい思いをした台湾だから住んでみたい」という短絡的な発想に陥る。
本当は日本の価値観を全部持ち込み、日本の生活を楽しみ、ついでに日本で当たり前のように享受している自由や権利を持ち込んで、美味しいとこ取りで無責任に暮らしたいだけなのに、それを「海外で生活する」という耳に心地よい言葉で誤魔化しているだけ。
はっきり言って、自分の国で役に立たない人材を喜んで迎え入れる外国はない。
日本で何をしていたのか、何をできるのかというものがないくせに「日本語教師でもして」と安易に考えて台湾に逃げ込もうとしてくる二十代後半の女性が増えてきている。
日本に居ると「結婚」の二文字が覆い被さってくる年代だ。
でも、台湾にいても「結婚」の二文字は覆い被さってくる。
ある意味では日本以上に「結婚していない二十代後半の女性」にとっては厳しい。
外国人だから無罪放免とはいかない。
これで押し切られて台湾男性と結婚とでもいうことになったら「無責任な外国人として日本の価値を背負い、日本での美味しいとこだけを持ち込んで、責任も負わずに楽しく暮らす」というライフプランは音を立てて崩れるだろう。
もちろん、それでも今度は趣を変えて「国際結婚しているインターナショナルな私」という路線で攻める方法はある。
しかし、今度は居留問題も深刻だ。
家族がいなければいざとなれば帰ればいいが、夫や子供が出来たらそうはいかない。
色々な不備の伴う外国人配偶者に対する法律に向かい合わなければいけなくなる。
無責任な外国人ではいられない。
税金だって外国人の方が多く払うのだ。
こういう「所帯じみた」「生活くさい」話題が「ヴァガボン」な私にのしかかってくる。
ヴァガボンだかバカボンだか知らないが、自分の責任から逃れたいくせに、権利だけはちゃっかり使いたい人が、聞こえのいい方法で生きていこうとする方向性の先に「旅行で好きになりました。台湾に永住したいです。仕事もしたいです」という、相手にとっても自分にとっても無責任極まりない言葉があるように思える。

そんなにお好きならば、日本でせっせとお金を貯めて、長期休暇をとって、2週間目一杯楽しんでいってくださいなと進言したい。
住めば都というけれど、住まないから夢の都ということもある。
理想郷やパラダイスは最初からあるものじゃない。
自らが与えられた運命の中で、模索しながら自分で築き上げるものだ。
旅行できただけで永住したいと思うような単純なものではない。
「永住」という言葉や、「骨を埋める」という言葉は容易に使いたくない。
私の尊敬するおばあちゃんは日本で生まれ、台湾に渡り、もしかすると「終の棲家」をカナダにするかもしれない。
人間の運命なんて、自分で決められる部分と、そうでない部分とがある。
私がどこの土地で最期を迎えるのか。
それは私にも解らない。
今、私が言えるのは「この世」のどこかで息を引き取るということぐらいだろう。
「ちょっと住んでみたいと思った」ぐらいに留めた方がいいんじゃないかと、日本から逃避したい二十代後半のお嬢さん達にはお伝えしたい。
住んでみたなら「見たくなかった現実」を目にすることもあるかもしれない。
その時にはすたこらさっさと「居て当たり前」と思ってくれる、我が国籍のある日本に帰った方がいいかもしれない。
空気のように当たり前に「守ってくれる」ものがある自分の国のありがたさを忘れ、誰も守ってくれない外国、ましてや台湾は日本の公的出先機関すらないところ...に甘えに来るのはよした方がいいと思うのだが。



7月24日

いやぁ、忙しい、忙しい。
何が忙しいんだか解らないけれど忙しい。(^^;

最近、立て続けに二人の台湾女性から「台湾女性は努力する」という言葉を聞きました。
社会が女性に対して強く当たるから、それに負けないようにコツコツと努力するそうです。
表面的にであっても、台湾女性が強く振舞っていられるのは、そういう社会だからではないのだそうです。
そうではない社会で懸命に努力して、実力で這い上がっていった賜物なのだそうです。
私も同じ考えです。
台湾社会における女性達の自他ともに認める有能さは、最初からあったものではありません。
彼女達自身が築き上げた信頼と、それを築くために費やされた努力とに裏打ちされているのです。
それを外から眺めただけで「台湾の女はきつい」だの「台湾は男女平等だからいいわね」とか勝手に決め付けないでほしいです。
男性社会にかこわれて、男性に従属しながら生きる道を捨てようと決意した台湾女性は、ある意味では日本よりもずっと保守的な台湾で「他を頼りに出来ない」という悲壮な決意を胸に、たった一人で立ち向かっていく道を選びます。
その際に、ふと思ったのが「専業主婦対職業婦人」という、日本でありがちな対立の構図が生まれてこないことです。
家にいる女性は「専業主婦」でありながら、働く女性をサポートする仕事、たとえばベビーシッターなどをしていたりします。
つまり、専業主婦というよりは、兼業主婦です。
また、働いている女性を悪く言うこともしません。
一方、働いている女性は働いていない女性を悪く言うこともしません。
そんなつまらないことに費やしている時間はないからです。
どのシーンにおいても台湾女性は努力しているように思います。
そんな女性達が「一人で生きていく方が楽」と思い始めたために、台湾男性の結婚の危機が訪れたのです。
しかし、それを省みるでもなく、彼らは「従順な女を外から持ってくればいい」とばかりに国外の途上国の女性達を花嫁に迎えようとしています。
この態度を見ても、台湾社会が「女は家を継続させるために存在する子供製造マシーン」という概念を未だに捨てきれていないことが感じ取れます。
「女がどこの国出身であろうが、父親が中国人であれば、それは中国人だ」と言われたことがあります。
強烈な中華思想に眩暈がしたので、よく覚えています。
ベトナムやタイ、フィリピン、インドネシアからやってきた花嫁も、そういった「ガイジンだけど、子供さえ産んでくれれば」という意識のもとに選ばれたのでしょう。
21世紀にならんとしている台湾社会で、懸命に21世紀に向って邁進している台湾女性が、そのような時代錯誤な発想にからめとられるはずもありません。
そこで、彼女達は「努力」して、自分達がしっかりと立っていられる場所を社会の中に築き上げるのです。

最近では、また、日本で「専業主婦対職業婦人」の構図を煽り立てる風潮を感じます。
「AERA」でも「ステキな専業主婦」とかいう訳の解らない特集を組んでいました。
「VERY」あたりに登場しそうな、一部の、非常に特異な「専業主婦」を取り上げ、さもさも専業主婦は贅沢品みたいなイメージを弄んで、読者を煽り立てるのです。
仕事をしている女性達に専業主婦を蔑ませるような視線を持たせようとしている意図が見え隠れする...。
「専業主婦」という四文字に簡単にくくってしまえない、個々人の事情をまったく顧みない男社会の陰謀が匂ってきます。

台湾社会では高校を卒業したぐらいの女性からして、もう「努力」しています。
「自分探し」だのといった悠長で聞こえのいいことを言っている人はほとんどいません。
まず、とにかく「勤労学生」の職位を得て、そこでアシスタントのような仕事をこなしながら仕事を覚えます。
そして夜間大学などに通いながら会社仕事を覚え、大学卒業資格をとった頃には立派な戦力になりえる人材に育っています。
だから「雇ってもらいながら覚える」なんていう甘い発想がありません。
台湾の某企業に日本女性がやってきて「雇ってください」と言ったそうです。
「こういうことをやりたいんです」と言うので、どれぐらいできるのかと聞いたら「ここで勉強しながら覚えます」という返事だったとか。
そんなこと、台湾では20歳の女性だって言いません。
「自分ができる仕事」にまず就き、そこで色々を覚えていってキャリアアップをしていくからです。
出来もしない仕事に応募し、それをそこで教えてもらおうなんて虫がいい話でしかありません。
若い頃から、たゆまなく努力を続け、道なき道を切り拓いて行く台湾女性。
それに対して海外に出てまでも会社に面倒見てもらおうなんて甘い考えを持っている日本女性。
最初から比較するまでもありません。
私が社長なら、間違いなく努力を怠らず、向上心を持ち続ける台湾女性を雇うでしょう。
社会に対して常に挑戦的で意欲的な台湾女性を、私は世界でも比類なき進歩的女性群と見ているのであります。
でも、そういう女性が多いのに、どうして男社会は追いついてこないのか...。
やっぱり「居心地のいい、甘えさせてくれる社会」を変革しようとする、利益享受者(ここでは男)というのは、あまりいないのかもしれませぬ。
頑張れ、台湾の女性達。
私も影ながら応援しております。



7月26日

なんか、NGOって日本では「正義の味方」っぽい響きを持っているような気がします。
昨晩見かけたニュースでは結構暴力とかを振るう団体の人を密着取材していました。
その団体を「要注意視」し、尾行するなどしている警察を「国家機関が管理」みたいな感じで言っていたのを見て、そう感じました。
その団体がどういう行動を取っているところか、よく知らない視聴者は普通のNGOまでそういう扱いを受けるって誤解するんじゃないだろうか...。
メディアって意図的に方向性を持っていくような気がするな。
あるジャーナリストが日本の大手新聞社の記者と話をしていたら「国民を啓蒙」とか言っていたって書いてあったけど。
新聞やニュースから私達が求めるものは「啓蒙される」ことではないと思うんだけど。
ジャーナリストの黒田清さんが亡くなったとか。
ジャーナリストは大衆を見つめながら、大衆の傾向に迎合してはいけないって思います。
迎合しないということが「啓蒙」という訳でもありません。
一歩ひいた客観性を持ち合わせながらも、対象とする事物に対する愛情なくしては成立しない...。
それが健全なクリティシズム精神であり、ジャーナリズム精神であるような気がします。
巻き込まれたが最期、ジャーナリストはその刃を間違った方向に向けてしまうでしょう。
最近、台湾を不用意に扱う人が増えています。
台湾と日本の関係は、日本側が期待するほど甘いものではないでしょう。
日本人が台湾人の国家やエスニックを語ることに薄ら寒さを感じます。
そんなものを論じるよりも、自国のことを見つめなさいと言いたくなります。
いえ、実は、台湾を論じているふりをして、それは自国のことを論じ、啓蒙しているつもりなのかもしれません。
どんな有能なジャーナリストでも、何かに巻き込まれるとその刃は鈍り、感性は磨耗されていきます。
日本はジャーナリズムが育たない土壌なのでしょうか。



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