MinMin's Diary
おお、端午節も終わり、ばたばたしていれば6月も半ば。
衣替えの季節である。
しかし、季節がなんとなくわやわや〜〜〜と来てしまう台湾では、そのわやわや〜〜に乗り遅れると、今でも毛糸物がクローゼットに堂々とかけてあったりする。(それはお前だけだなどという突っ込みはなし)
いつも「は!」と気がつけば時間が過ぎている私だけに、常に衣替えの時流に乗り遅れる。
そして本格的に暑くなってから「しまった」と思い、毛糸物の洗濯をして、夏物を奥の方からごそごそ取り出すことになる。
もっと早くからやっときゃあいいのに。
それにしてもよく降り続く雨だ。
こうも降ると洗濯する気持もなえてくる。
買い物する気にもなれない。
できれば雨は一日おきに降ってほしい。
思いもしないことで他人に負担をかけていることもある。
そういうことに、注意しなければいけないかもしれない。
「言い出したくても言い出せない」人は、こっちが見たら「なんでそんなことで悩むんじゃ」というようなことでも悩んでしまう。
「そんな深い意味で伝えたことじゃないのに」ということでも深刻に受け止めてしまったりする。
私には私の考えがあるから、その考えを述べ、それを相手に伝えているだけにすぎない。
それで相手をコントロールしようという意図はない。
私の言動も「情報源」として判断材料にしたうえで、それで決めた結果が私の言ったこととは違ったにしても別にそれはそれでいいと思う。
別に私はその人の言動に責任を取る必要も責任も無い。
それを決めたのはその人であり、そうしようと決めたのもその人だ。
それが今後、どういう結果になっても、その人が責任を取ればいいだけの話でしかない。
しかし、私が知っている限りのことを情報として回すにあたり、私は自分が手にしているあらゆる情報を元に、私なりの意見を述べるだろう。
相手が聞けば、それに正直に答える。
嘘はつきたくないから、「私はそう思う」とはっきり言うし、それを後から持ち出されても、別に困らない。
どう突っ込まれても、それには「私」の考えが宿っているのだから、「私」はぐらぐらしない。
「それは止した方がいいですよ」
私が仮にそう伝えたとする。
その理由を自分なりに相手に伝える。
しかし、相手は最終的には自分の判断でそれを行ってしまった。
それはそれで構わない。
それを聞いて激怒するほど自分勝手な専制君主みたいな性格は持ち合わせていない。
民主主義である。
自己の言動に責任を持ち、それに則って動く。
相手も然りである。
私が吐いた言動を「絶対にそれに則って動かなければ、あの人は気を悪くする」だの「そうしなければ会わない方がいい」だのと受け止めるなら、それは見当違いもはなはだしい。
私は他人にそれほど期待していない。
そう言うと傲慢に聞こえるが、自分と全く同じに思う人間なんてこの世には存在しないと考えておいた方がいい。
みんな立場が違う。
発想も違う。
それならそれで、自分と似た路線を歩んでいる人と協力関係を敷いていけばいい。
なんでもかんでもおそろいになろうなんて、気味が悪い。
私が激怒するものは、自分の言動に責任を持たない態度を示した時ぐらいなものだ。
公の場で堂々と言ったり表したりしたものに、反論がきた時、それに対して明確な回答を出せず、「だって、そう聞いたんだもん」だの「これは個人の自由で言ったことだから」というように、いきなり「個人の自由」に逃げ込む態度を見せたならば、捨て置かないだろう。
自分が言ったり行ったりしたことには、最低限の責任が伴う。
それを負おうとせず、言いたい放題、やりたい放題をする人間に対して、私はあからさまに軽蔑の色を見せるだけだ。
だが、たとえ私の言動と一線を画した結論を見出した相手であろうとも、それがその人なりに考えた結果であり、その行動に対してその人なりに明確な理由を述べることができるのならば、それはそれで「その人のやり方」として尊重する。
私のように、はっきりと自分の意見を述べる人間に、慣れていない人が多いかもしれない。
そして、はっきりとした意見を持つ人間は「偏狭なイデオロギーに凝り固まった人間」という風に勝手に想像し、恐れる。
人間には各々の存在に基づく「正義」があり、「真実」があるだろう。
それが常に重なるとは限らない。
自らの正義が他者の正義と真っ向から対立することもあるだろう。
どちらも自分が正しいと思っている。
その最も大きな諍いが国同士の戦争だ。
戦争には賛成できない。
しかし、「正義」の定義が他にもあると気がつかないで、それに巻き込まれていくと、結果的に「よいこと」をしたつもりが人を傷つけている。
オウム真理教の井上被告もその一人だと思う。
熱心な正義の味方が、一大殺人事件を引き起こしてしまった。
だから、私は自分自身の基準をもとに、自分自身の意見を明確に言うが、相手が相手の基準をもとに、私と全く違う結論を見出したとしても、それはそれでいいと思っている。
自分以外の考えが間違いだと思うこと自体が一番恐ろしいことなのだ。
自分以外の意見を認められないということが一番愚かしいことなのだ。
しかし、自分の脆弱な価値判断基準をもとにして書いた、愚かな文章を批判されただけで自己全てを否定されたと思うような若者が増えてきている。
自分の価値観しか認められない人間が増え続けているのを目にして、暗澹たる思いに駆られているだけに、はっきり意見を言う人間を勝手に恐れ、その意見以外のものを認めないのではないかと思う人が増えるのも解る気がする。
まぁ、そう思うなら思えばいい。
人間に対してその程度のアプローチしかできないなら、その人もそれまでだろう。
民主主義の何たるかを理解できず、自己の責任のもとに行動、発言することの大事さを認識している人間の存在すら、自分勝手な人間と同じにしか見られないような人間に理解してもらおうと努力するつもりもない。
それが解らない人間はその程度の人間なのだ。
そんな人相手にいちいち弁明している方が馬鹿馬鹿しい。
しかし、そういう人がいると解った今、そういう人が勝手に感じている負担を軽減するためにも、余計なお世話はしないでおこうと思う。
何かやりたいと言うことが、私の考えでは「まずいんじゃない?」と判断することでも、余計なことは言わない、しないに限る。
小さくしか受け止められない相手には、こちらも気を遣ってあげなければいけないだろう。
何事も疑ってみることが肝心だと思う。
しかし、悲観的になりすぎることはない。
全面的に信用していた時の方が、違う結果だった場合、絶望的な気持になってしまうからだ。
自分なりに納得し、自分なりに疑いつつも、肯定できる部分もみつけ、両者を見比べていることが大事だろう。
不思議と心の中に浮かぶ景色がある。
学生時代に飽きるほど見た眺めだ。
もともとは正門だった入り口からだらだらと坂道を登っていくと、はるか丘の上に赤レンガ造りの瀟洒な旧図書館が見える。
春だと丘の上には桜の花が霞のように咲いていて、えもいわれぬ美しさだった。
石畳の坂道を登りつめると、そこには青年の像がある。
その像の傍にあるベンチに腰掛けてお昼ご飯を食べたりもした。
像の青年は、その坂道を下って学校から出て行った人だ。
隊列をなし、無言で足音だけをさせて出て行った多くの無名学生だ。
送り出す側も言葉少なで、ただ、ただ、彼らを見送った。
石畳の坂道を足音を立てながら出て行った若者のある者は帰らなかった。
いや、彼らの魂は帰ってきたのかもしれない。
しかし、送り出した人達の肉眼で見られる姿では帰ってこなかった。
ぽかぽかとした春の陽射しを浴び、桜の花が夢のように煙っているのを振り返りざまに目にしながら、彼らが踏みしめた石畳を数十年の時間を経て私は踏みしめた。
その隊列の中にいた誰を知っている訳でもない。
しかし、私が毎日毎日踏みしめていた石畳の上を歩いて出て行った青年達の心が、足の裏から体の中に染み込んでくるようだった。
物言わず、赤レンガの図書館の前に立っている青年の姿が何かを語りかけているようだった。
もう、何年もあそこには行っていない。
風の便りでは、あの門は壊され、ゴージャスな新しい門ができたという。
私が踏みしめた石畳もなくなってしまったのだろうか。
あの門はどういう訳か以前から「幻の門」と呼ばれていたが、本当の本当に幻になってしまった。
幻の門から学徒兵として出陣した青年達は、雨の神宮に集結し、戦地へと赴いた。
私はその時代にいなかったのに、不思議と彼らの姿が心の中に浮かんでくるのだ。
石畳に染みた彼らの心が私に何かを語りかけ、何かを見せてくれたのかもしれない。
馬鹿馬鹿しいと思えるような発想なのだが、なんとなく、そう思えて仕方ないのだ。
こんな夜遅いのに犬達が騒がしい。
何事だろう?
昔から「風の声」が聞こえると思っていた。
うまく言えないが「誰の気持」か解らない感情が私の身体を吹き抜けていくのだ。
どこの誰とも解らない、年も性別も民族も何も解らない人の心に感応する。
人だけではない。
私はすぐ「馬だの犬だのの気持になる」と言われるが、本当に感じられるのだ。
思い込みや想像力と言われたらそれまでなのだが。
時代や場所を越えて、さまざまな「思い」が私の身体を吹き抜け、私の心に響いてくる。
その時の気持を、私は自分なりの言葉で書き続けていく必要があるのではないだろうか。
そんな気持になっている。
それにしても、遠い誰か解らない人の心にまで感応することができることができる人もいるのに、どうして身近な人の心すら解らない人が多いのだろう。
私の「心のバイブル」とも呼べる数冊の本の中の一冊、「台湾少年工・望郷のハンマー」の著者である保坂治男先生からご連絡をいただいた。
感激である。
私が書いた拙い書評を、先生が運営していらっしゃる「台湾少年工の歴史を平和と友好につなぐ会」のニュースに掲載してくださるとのこと。
それだけではなく、かの、恨み葛の葉...ならぬ恨みは深き展転社への批判も掲載してくださるとか。
私はイデオロギーが大嫌いで、右も左も苦手だ。
イデオロギーは人を幸せにしないと常々言ってきている。
私は、あの時代を生きてきた人達を、あの時代を生きていたという理由だけで否定したくない。
しかし、あの時代を踏まえて、未来には二度と同じ思いをする人が生まれてはいけないという自戒の念を胸に刻みつけなくてはいけないと思う。
だが、あの時代を生きていた人達は、今の日本では存在自体を否定されたり、無駄死に呼ばわりされたり、愚者扱いされたりしがちだ。
イデオロギーに走った世代が彼らを頭ごなしに否定したためだろう。
しかし、そのつけが今、回ってきている。
否定された者の鬱屈した気持を巧みに利用した反対側のイデオロギーが台頭し始めている。
彼らの性質が悪いことの理由には、自分が帰属する土地や人への愛情を巧みに利用する一方で、今までの「悪人」=「日本人」という構造にうんざりしていた日本人を巧みに巻き込んでいることだ。
誰でもいい人になりたい。
その点を上手に利用している。
その際に有効に使える要因が「台湾」だ。
世界中が右的発想に陥っていた時代に、右翼の流れに乗ってしまったことは、誉められたことではないとはいえ、「世界の趨勢」であったことを考慮に入れる必要を感じる。
おまけに今の健全な民主主義だ、人道主義だを言っていたら自分が食べられてしまう時代だった。
台湾の図書館に英語で書かれた帝国主義を肯定する文章を見つけたことがある。
世界中が推進している帝国主義という素晴らしい主義を、我が日本も見習おうといった内容だった。
今でこそ、悪の権化みたいな帝国主義だが、当時はどこの国でも「正しい」概念だったのだろう。
そういう時代に自らも生き、自らも軍国少年として育っていた保坂先生の書かれた「台湾少年工・望郷のハンマー」は、どういう時代の中にあっても、精一杯、ひたむきに生きていた名もない人々の痛みがあますところなく描かれている。
先生の筆の前ではイデオロギーのためのまやかしも通用しない。
よく耳にした「教え子を戦場に送るな」という言葉よりも、ずっと人の温もりを持って私の心に響いてくる。
ただ「教え子を戦場に送るな」というのは簡単だ。
では、どうしたら送り込まないようにできるのか?
それは、ひとりひとりの子供達に戦争の恐ろしさ、戦争の哀しさを実感させ、戦争は誰をも幸せにしないということを心に刻ませることだ。
小学生の時に広島の原爆資料館で見た「消えてしまったおばあちゃんの蔭が残っている御影石」「前に座っていた子の姿を映しているもんぺ」「炭化した弁当」「黒く曲がってまだ伸びている爪」は20年以上経ってもなお生々しく、鮮明に私の中に残っている。
人間には神様が与えてくれた想像力という素晴らしい力がある。
その力を使い、二度と同じ間違いを繰り返さないように、私達は未来に向って地道にアクションを起こし続けていかなければいけないだろう。
ずっと昔にテレビで聞いた瞬間、涙が出た歌がある。
"Amazing Grace"という曲だ。
どうして涙が出たのかも解らないが、とにかくぼろぼろと涙が出た。
その時は歌詞の意味が解った訳ではない。
でも、泣けた。
どこで聞いたという訳でもないのに。
なんだか、ずっと以前、きっと今の私になる前に聞いたのかもしれない。
そんな気になってきている。
"Amazing Grace"の歌詞と曲はここ。
私はクリスチャンじゃないのになぁ...。
不思議だ。
minmin@geocities.co.jp