MinMin's Diary



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3月8日

またしても雨である。
もう笑うっきゃない。
身も心もかびてしまいそうぢゃ...。
晴れ乞いでもせにゃならんかいな。

友人が着々とダイエットを進めている。
それに比べて私ときたら...。(^_^;
春が来たら薄着になるんだから、早いとこ始めたほうがいいんだけどね。

今日、台北市のMRT(都市交通機関)に乗った。
あまりに速いんでびっくりした。
今まで1時間以上かかってたところに着くのに20分だもんね。
便利なんで感動したけど、今までの1時間はなんだったんだろう...。
降りた傍にバス停もあるんで超便利。
これで台北の交通が不便だなんてぬかすヤツがいたら、手のひらでぐぅ作ってぐりぐりと頭のてっぺんに押し込んでやりたいわ。
この5年で台北の交通が本当によくなったと思う。
来た頃はバスは勝手にルートを変えるわ、オートバイはぶいぶいとS字を書いてバスや普通車の間に割り込んでくるわ。
ひゃ〜〜〜って心の中で叫んだこともありましたもん。
台北市内の大通りがバスレーンを作ったのも画期的だったな。
バス利用者として、とっても助かっている。
こうやって、どんどん台北の交通がよくなってくるのを見ると、とってもうれしい。
「どんなもんだい」って気になる。
誰にでもいいから自慢したい気分。(^^;
台北市のMRTは乗り心地もいいし、車内アナウンスだってあるし、駅はきれいだし、いいことずくめ。
台北にいらした際には是非是非ご乗車いただきたいと思ってしまった。
↑決して交通局の回し者ではありませぬ。(^^;
 



3月14日

もう言うのもいやだけど、また雨。
除湿機を週末に譲っていただいたら、まぁ、なんてこと。
うちの狭い狭い一部屋だけでも一晩で水がたまりすぎまして、自動制御で止まっている始末。
いったいどういうとこに住んでいるんだ?
気分は水族館の水槽の中の魚ざんす。

日本でも本格的にチャイルドシート装着が決められましたね。
こちらでは助手席に子供を抱いて乗るというのが結構普通に見かけられます。
「あぶないなぁ」なんて思っていましたが、ある意味では「それが普通」って思っている人達なんだから、私なりに納得できます。
でも納得できなかったのは日本で見た光景。
後ろの席にはふたつのチャイルドシートがきちんと装着してありました。
そのチャイルドシートに子供達を座らせるのが面倒な母親は、なんと、4歳前後の子供二人を抱えて母、子供二人で助手席に座ったのです。
運転するのは父親。
唖然としてみてしまいました。
そりゃ面倒ですよ?
でもね、それなら何のためのチャイルドシート?
法律で決められたから警察につかまらないためにただつけただけ?
確信犯だけに唖然としました。
知らないで助手席に子供を乗せるのは理解できます。
親が運転し、目の届くところといえば助手席です。
だから母親が運転し、助手席に子供を座らせていた台湾人の友人もいました。
また、父親が運転し、母親が助手席に座っているので、その母の膝に子供を座らせているのにも遭遇しました。
でも、彼らはそういう習慣を身に付けているだけで、知っていて「面倒だから」という理由だけでしているわけではありません。
どっちが罪が重いんだろうって思いました。
もちろん、台湾でもきちんとしている人もいます。
友人は生後半年の赤ん坊を抱いて後ろの席に座りました。
乗り込む時にはきちんと赤ちゃんの頭をカバーして。
だから、「この国にはこういう制度がないからいけない」とか、「こういう制度があるからすすんでいる」という考えは通用しないと思います。
確かに、そういう考え方が入り込んでいないという点では遅れていると指摘されてしまうかもしれません。
でも、それが一般的になっていないだけで、知っている人はいるのだから、そのうちに徐々に浸透してくるでしょう。
しかし、制度が出来たからといって形だけはそれに従い、何もしないのはどうでしょうか。
何も知らないでしないでいるよりも罪は重いです。
あの助手席にきちきちに母と子供二人が座っていた車が、万が一、正面衝突したらどうなるんだろう。
後部座席につけているチャイルドシートふたつがむなしく見えるだけですね。
よく「日本人は見えないところでなら何をやってもいいと思っている」って指摘されるけど、こういうのを見ると反論できなくなります。
やることがせこいのかもしらん...。
 



3月15日

日本と台湾、どっちが治安がいいかと聞かれたら、私は「台湾」と答えると思います。
理由なき殺人がないからです。
今日もまた、若者が自分勝手な理由で無辜の生命を奪いました。
台湾の場合、「殺す」という行為を行う場合、それは絶対に殺す側、殺される側にすさまじい感情のもつれがあります。
逆恨みにしてもそこには「感情」が存在します。
日本の「自分の言いたいことを世間に聞かせる手段」として見知らぬ人を殺すような、無機質な殺人はありません。
他者を「人間」と見ずに「もの」としか見ていない殺人。
その不気味さを考えると、私は「台湾の方が治安がいい」と答えてしまうのです。
相手が傷つければ血を流し、痛みを感じる対象だという認識がまったく欠落しているのです。
自分のしたいようにしなければ気が済まず、その延長線上に他者を傷つけるという行為があっても気にしない身勝手な人達。
そんな人があまりにも多い。
寒い世界になったと思います。



3月16日

風邪が長引いてどうにもこうにもだるいったらない。
何かしようと思っても集中力がイマイチ。
自分の身体は自分で守るしかないんですよね...。(^^;

ところで、ニュースとは関係なかったのですが、横浜市青葉区の区役所の画像が流れたとき、ある部分で目が点になりました。
「国籍はひとつに決めましょう」ってなポスターが貼ってあったんですな...。
どうして国籍をひとつにしなきゃいけないんでしょう?
つまりは「日本人」と「非日本人」をきっちり分けるってことですか?
でも、そうしたって、たとえ日本籍を持っていても、「非日本人扱い」される人達はいますよね。
そもそも、日本の法律で「あんたは日本人になるかならないか」って決めようということ自体、島国根性で嫌になります。
そんなに日本国籍っていうのはえらいもんなんでしょうかね。
アメックスのゴールドカード扱いでございますか???
そのゴールドカードを持っていても「あれは子カードだから」なんて言われて差別される人もいるんですけどね。
そうやってきっちり線を引こうとする日本という国の根性の狭さに益々嫌気がさしてきています。

日本で金城武さんの人気はどうなんでしょう。
噂によると彼が某写真週刊誌にひどいことを書かれたとか。

彼を見ていて思い出すのは「欲望の翼」という映画でレスリー・チュンが演じた青年です。
よく考えたら、この映画の監督って金城武を見出したウォン・カーウァイ監督なんですよね。
このレスリー演じた青年が語る「足のない鳥」の話はとても印象的です。
ウォン監督は、金城青年の持つ「足のない鳥」という部分を敏感に嗅ぎ取ったんじゃないかなと思います。
そして現在の日本において確立した「金城武像」は生まれたような気がします。
何しろ台湾での金城くんはコメディアンでしたから...。

「足のない鳥は、飛び立つ前にもう死んでたんだ」
「欲望の翼」の主人公の青年が生命尽きる間際に呟くセリフです。
このセリフがね、どうしても金城武さんの今にダブるんです。
彼を足のない鳥にしないためにも、もう一度、コメディの世界に返してあげたいと思います。
コメディ...笑いの世界。
「笑い」って実はものすごく残酷な要素を含んでいると思います。
弱者や痛めつけられたものを笑う笑いってのが多い。
チャップリンものなんかもそうです。
徹底的に弱者を笑う。
笑われる側にしても、笑われていることを心の中では哀しみながら、そうやって笑われることでしか自己認識できないジレンマを抱えている。
でも、笑われて、笑われて、笑われることによって他の誰でもない自分が生まれる。
チャップリンがチャップリン以外の何者でもないように。
チャップリンがなに人だとか、どこの生まれとか、誰も考えない。
チャップリンと聞いて思い出すのはあのチョビひげと帽子とステッキ。
他の誰でもない、そして他の誰にもなれない「チャップリン」でしかないチャップリンがいるだけ。
だから、金城青年は他の誰でもない、そして他の誰にもなれない「金城武」になるために、足のない鳥を演じるのを止めなければいけないと思うのです。
足のない鳥の金城武が足のない鳥を演じ続けている以上、そこに発展性はないでしょう。
でも日本芸能界は彼に「足のない鳥」の役しか与えない。
彼をどんどん籠の中に閉じ込めてしまおうとする。
籠の中に閉じ込められたら「足のない鳥」は自滅するしかないと思います。
それが私の心配することです。

こんな内容のメールを金城君を応援している人あてに出しました。
金城君に限らず、「自分が誰なのか」ということで葛藤している人は多いと思います。
「みんな同じ」になり、同じ流れに乗り、同じ風に生きることが安全と見なされている日本の社会において、最初から異質なものを持つ人はとても生きづらいです。
どこにも帰属する場所を持たない身の不安感は、同じことで安心する社会においては必要以上に覆い被さってくると思います。
自分が自分だと言い切れるためには必要以上の勇気と根気が必要でしょう。
繊細な人間は自滅するしかないかもしれません。
自暴自棄になり、刹那的な行動に走り、時には自虐的にもなる。
自らを持つことを許されない人間にしてみれば、しごく当然な反応だと思います。
安穏として「同じ」中にもぐりこみ、マイノリティとしての不安を極力抱かぬようにし、そしてそういったものの葛藤を見ないようにしている人には、「自己」を持てずにもがき、多勢に入ることも出来ずに排斥され、行き場を失っている人の苦しみは理解できないでしょう。
その「苦しみ」故に振舞う奇怪な行為や反社会的行為をも理解できず、それすら「あいつは違うから」という言葉で片付け、彼らをより一層排斥する理由とする。
「仲間に入れてほしかったら歩み寄ってくればいいんだよ」
マイノリティの痛みを知らない人間はいとも簡単にこう言うのです。
歩み寄っても、歩み寄っても、どこかで線をひかれ、どんなに努力しても本当には仲間にしてもらえないという苦しさを知らずに。
無情な「多勢」である自分達の姿勢になんの反省もしないまま。
もがき苦しんだ末の反社会的行動を何の考慮も加えないまま批判する。
歩み寄った末の答えが拒絶であった時、努力した分だけ傷つき、開き直り、反動的になるということを多勢に入る人達は知らないのです。
歩み寄った末の答えが「お前の今持っているものを全て捨ててこちら側と全て同じになれ」という強制だった時、自分自身を全て消滅させなければ仲間に入れてもらえにことに気付き、それでは自分自身はいったいなんなのだろうと懐疑的になり、自分自身が消されていく不安を今度は覚えます。
そして「過去の自分」を捨てても、決して彼らの仲間になれるわけではなく、自分の心の奥底で傷つき、叫ぶ自分自身に戸惑うのです。
それでもその自分をなだめ、裏切り、「多勢」になるべく努力を続けます。
しかし、その努力はかくも簡単に「多勢」の側の人間の「ま、君はもともとは○○だから」という言葉で崩れ去ります。
どんなに努力しても他人はやはり自分を本当の仲間とは見ていなかった。
これだけ努力した自分はなんだったのか。
自分自身を裏切り、傷つけてきた代償がこれだったのか。
捨てた過去の自分への申し訳なさ、「多勢」になろうと努力した自分への憐憫で身は引き裂かれそうになります。
もう傷つきたくない。
そう思う気持が自暴自棄、刹那的な行動、自虐的行動、反社会的行為を生じさせるのではないでしょうか。

帰国子女、「ハーフ」と呼ばれる人達を身近に見ていて、多文化の中で育ち、複合文化を背景に持つ人にとって、いかに日本という国が生きづらいか考えてしまいます。

どうして他者の違う点を「個性」として認められないのでしょうか。
「違うことは素敵」なのだと認識できないのでしょうか。
金城武が日本人か台湾人か、彼の日本語が完璧か否か...。
あまりにもくだらなく卑小な論議だと思います。
金城武は他の誰でもない金城武だし、他の誰もがなり得ない存在です。

それと同じで日本籍を有しながらも別の国の国籍を有している子供にしてみれば、その国籍を持つことは、その子のアイデンティティであり、個性であります。
国家がその個性を彼らから奪う権利は果たしてあるのでしょうか?
そうやって日本は均等化して、不気味な人間を大量生産していくのでしょうか。
そして均等化されることに不安を抱いた人が無辜の人間を殺すことで自分の存在を他人に認めさせようとし、そうすることでしか自分を他者と区別化できないようになっていくのでしょうか。
なんだか日本がどんどん不気味な国になっていくような、薄ら寒い気がしてきます。
 



3月17日

いよいよ明日は台湾総統選挙です。
そこで、それを前にして、私自身の気持を書いておきたいと思います。
私が自分のHPで台湾の政治について書くのは最初で最後になるでしょう。

いよいよ総統選挙が明日に迫ってきました。
私は落ち着いた気持で静観しようと決めています。
なぜなら私は投票権がないですから、私の存在を台湾人の決断に委ねることに決めたからです。
中国大陸が色々なことを言ってきますし、何がどうなるかは全く解りません。
しかし、考えても見れば、どこに住んでいても一寸先は闇です。
日本のメディアは続々と台湾入りし、なんだか浮かれています。
日本人というのは無責任極まりない民族で、対岸の火事ゆえに楽しみにしているのでしょうか。
なんとも浮ついた感じがします。
暴動や紛争が発生するのを期待しているようですらあります。
台湾にいる私にしてみれば台湾人は非常に理性的に行動していると思いますが、日本のメディアはわざわざ刺激的な部分を報道しているようです。
煽っているようにも思えます。

私は外国人ですから、誰が総統になっても外国人として生きるだけです。
仮に外国人排斥法案が可決されても、それが台湾の選んだ道として受け止めるだけでしょう。
仮にそういうことになれば、台湾の子供達ために何十年も力を尽くしていた外国人修道女とて、私と同じ運命になるのですから、しょうがないです。
そういうことを考えているというと、「そんなこと絶対にないよ」と言われます。
でも、私は常に最悪の状態も考慮に入れるくせがついています。
「絶対にない」ということだけは「絶対にない」のですから。
歴史を学んでいれば、どんな事態が起きても受け入れられるはずです。
感情や理性で受け入れられない不当なことであっても、起き得るものとして覚悟を決めていればいいのです。
しかし、何があっても絶対に政治に口出ししてはいけないと考えています。
台湾の政治は台湾人が決めるものであり、台湾人に任せ、委ねるものだからです。
私の知っている日本人留学生はある総統候補者の支持をしていて、それをあからさまに見せています。
更に自分は台湾人だとも言っているそうです。
確かにその留学生は台湾のために色々としています。
それは立派ですが、彼がある地域の問題で行政との話し合いにも同席していると聞いて「?」と思いました。
彼はどんなに彼らのために努力していても台湾人ではありません。
そこで行政に口を出すのは「内政干渉」になります。
どんなに彼が「自分は自分のことを台湾人と思っている」と言っても日本国籍なのですから、それは通りません。
それならば、そのパスポートを捨て、今すぐに兵役に就き、日本にある全ての人間関係を断ち、中華民国籍者として生きるようにするべきでしょう。
正義感から発された行為ではあっても、行き過ぎや、分不相応な態度は決していい結果を生みません。
私は彼の行為を否定はしないけれど、ともすれば行き過ぎになると思っています。
更に、彼がどんなに色々と努力をしても、彼が台湾を思う気持に台湾が応えてくれないって現実を解るだけに、なんかなぁって思うのです。
台湾は移民を日本以上に受け入れない国です。
ある種の技能を持っていても、それを容易に受け入れません。
アメリカなんかだと「技能ある者には門戸は開ける」ってものすごくはっきりしていますけど。
だから台湾では自分の本分を全うし、その本分の中で生活している姿勢の方が見ていて安心できます。
彼なら留学生として中国語をきちんと勉強し、そして日本の社会に帰るべきなのです。
だから、留学生の彼がそれほどまでに台湾の問題に入れ込む必要性を感じないのです。
こういう言い方をすると冷たく聞こえるけど...。
もっと自分を大切にしてって思います。
台湾に入れ込んでも、所詮は「ガイジン」なんだよって。
ものすごく冷たい言い方かもしれないし、心優しい若者を傷つける言い方かもしれないけど。
のめりこんじゃだめ!って言いたいです。

私のような人間は夫が台湾人である限り、台湾での生活がついてきます。
でも、それだけに分を弁えて行動したいと思います。
台湾にはよくなってもらいたいし、すばらしい国になってもらいたいと思います。
けれど、政治の舞台に参加しなくても関わっていく方法はいくらでもあるのです。
だから、外国人が政治に首を突っ込むことは絶対にしてはいけないと思います。
彼がいくら台湾を愛していても、それは一留学生である彼がするべき行動ではないと思います。
出すぎた行為は台湾のためになりません。
外国人は外国人として分を弁えて、できる範囲内で行動するべきです。

台湾では人民によって選出された二代目の総統が明日誕生します。
そんな中、民主主義のなんたるかを理解している人はどれぐらいいるのでしょうか。
運命を委ねる私としては気になります。
某候補が総統になったら彼のために戦争に行かなくてはいけないという、なんともえげつない広告を見ました。
それは民主主義においては間違えた発想だと思います。
その発想はあくまでも民主主義ではなく、「帝王」と「無力な人民」といった構図です。
人民によって選ばれたリーダーの責任は人民自身が負うものです。
選んだリーダーがその後、恐怖政治を始めようが、国家を戦争に追い込もうが、金権政治をしようが、どういうことになろうが、それは選挙によってそのリーダーを選出した大多数の国民の責任です。
そう言うと「自分は投票しないから責任がない」なんて言う人が出るかもしれません。
でも、それも誤りです。
民主主義というのは、人民が主導権を握るのだから、人民には選挙に行く義務があります。
それを放棄した時に、民主主義は崩壊するのです。
そもそも、民主主義とは人民が決めたことに人民自身が従うことです。
そこには人民が選んだリーダーの指導、指令に従うということも含まれているでしょう。
クリントンが決めた戦争で命を落とした人の中にはクリントンを選ばなかった人もいたと思います。
でも、「人民によって」選ばれたリーダーの決めたことは「民意」であるのだから、それに従うのも民主主義国家でのあり方です。
悪法も法なりとギリシアの哲学者がいいましたが、それと同じです。
民主主義は人民が培うものであって、上から押し付けられるものではありません。
日本のように民主主義をアメリカからタダでもらうと、斯くも情けない他人任せの無責任な国家ができあがります。
日本できちんとした意識を持っているのは70代の女性ぐらいなものです。(^^;
彼女達は婦人参政権のために戦いましたから。
台湾の民主主義が台湾人民によって培われることを祈るだけです。
そして、その決定に私は自分を委ねようと思います。
 



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