2月15日
とても不愉快なタイトルの本があります。
[台湾.ミニ日本の奇跡]という本です。
作者を見たら,なんと[玉蘭荘の金曜日]を書いた人でした。
やっぱな…。
読み進めているうちに出るわ,出るわ。
根拠のない発言の数々。
例えば台湾人を支配した時,日本人は韓国人を支配したのと違って[露骨な武力的支配ではなく,比較的合法的な統治であった]と言っている。
それでは霧社事件は何であろう?
また,彼は韓国統治についてそれほど詳しいのだろうか?
そしてこれに続けて簡単にこう結論づける。
[すなわち,戦前からの台湾人には,先の大戦を[日本人]として[鬼畜米英]と闘ったという日本との熱い連帯心が今も脈々と続いているのである]ときた。
そして
[それは戦後一転して戦勝国民(現在の中華民国として)になってからも変わらぬ心情であり,まず,このことをしっかりと理解しない限り,台湾の今日の近親憎悪を,私たち日本人が自戒をもって読み解くことはできない]
ともっともらしく言う。
台湾は日本統治をすんなりと受け入れたのか?
否である。
しかし,その時代を知る者はあまりに少なくなってしまった。
今,生きている日本語世代と呼ばれる人達は生まれた時から既に日本の統治下にあった。
その人達からの知識だけで何をもっともらしいことを…とあきれてしまった。
まぁ,日本の台湾関係のものは大体がこの路線だ。
あとは以徳報怨。
これさえ出せば日本人がすまながるとでも思うのか…。
この本でもいくつかの思想の混乱が見られる。
おそらく違う派閥の人の受けうりを判断することの出来ない著者がそのまんまに使用したからだろう。
日本語世代の温情という本省人系老人を持ち出し,更には元日本兵の話を出して日本の非道を訴える。
その一方で蒋介石総統を持ち出して[在台日本軍民も,台湾人からなんらの報復を受けることなく,無事日本へ引き揚げることができた]と書く。
そして[そうした台湾人と中華民国軍とのギャップは,前述した(注意.どこに前述してるか不明)一九四七年の[二.二八事件]ともなったが,同四九年に蒋介石総統が百五十万の軍民とともに台湾に移ってきてからは,統治形態も安定したものとなり,今日に至っている]と言う。
[その後の安定]とは何か?
白色恐怖と戒厳令で抑えたものを指すのだろうか?
私がいつも言うのは日本の元日本兵に対する問題に[以徳報怨]は使用できないということだ。
蒋介石総統の御恩は彼自身に感謝すればいい。
だけど,それは戦ってきた相手である日本に対しての蒋介石総統の情ということで別問題だ。
元日本兵は日本兵として日本の為に闘ったんだから,それとこれを混同したら困る。
話がややこしくなる。
別人がしたことを混同して話すと余計に訳解らなくなるんで,きちんと分類してほしい。
元日本兵の側から言えば[その後の安定]の時代は[だんまり]の時代だ。
この人は自分に都合のいいところしかピックアップしてないんじゃないかと疑いたくなる。
こうした彼の主張の揺れは終始一貫する。
例えば天皇訪中での[お言葉]に対するコメント。
ここでは彼は完全に心情的に[中華民国]として中国大陸から来た人になってる。
[この時,平成天皇の[中国国民]とは何を対象としたのだろうか]でまず始まる。
[少なくとも,台湾を含む,中国人すべてに対しての[お言葉]であったのだと信じたい]と来る。
そして
[本来,日本の天皇が中国への戦争責任を言おうとするならば,それは日本軍の侵略に対して戦った中華民国軍下の人民に対してでなければならないからである]に至ってはもう笑うしかない。
[不幸にして,今は台湾に政府を移してはいるものの,中華民国が現に存在している以上,仮に[中国国民]が現中共指導下の国民のみを指すのであれば,中華民国台湾にとってあまりに寂しい[お言葉]である]…。
[いわんや,故蒋介石総統の戦後日本への以徳報怨政策を思うとき,たとえ日華断交中であろうとも,中華民国台湾に対してなんらかの配慮があってほしかった]…。
どこの誰とお会いしてお話をうかがったのですか?と著者に聞きたい。
これは明らかに誰か第3者が言った言葉をそのままもらったと思える。
台湾を語ってはおらず,発言の主体は大陸から移ってきた中華民国の発想に基づいている。
それならば[日本兵]として日本軍に参加し,日本の為に戦った人に何故思いが至らないのだ?
さんざん前に[元日本兵]だの日本語世代だの並べておきながら,どうしてこの場ではそれが一言も出ないのだ?
そうなると,これは彼自身の考えではなく,誰かの受け売りでしかないと思えてくるのだ。
台湾の近代史が複雑なのは二つの歴史の大きな流れが台湾に存在することだと思う。
元日本人としての過去がある人達の一群。
そして中国大陸人としての過去がある人達の一群。
若い世代にはそれはほとんどなくなってきているが,まだ生存する彼らから聞く話は微妙にズレるし,発想もズレる。
台湾において先の大戦を語るならば少なくとも2つの立場があることを理解して発言すべきだろう。
ところが著者は都合のいいところだけ利用して,そのたびに片方の立場の人達の存在を忘れる。
それはちょうど,本人達が発言しているのと変わりない。
彼ら当事者は当然のことながら自分の側のことしか話さない。
そこでこの[中華民国台湾に居る中華民国下の人民]といった発言は中国大陸から戦後渡ってきた人達の側が言ったものだと判断できる。
恐らく,台湾の戦後世代も教科書で習う歴史はこれだからそう言うだろう。
だが,元日本人として生きた経験のある人ならばそうは言わないだろう。
[あの時は日本人と一緒に苦労したんだ。せめてねぎらいの言葉くらいほしいよ]
こんな感じだろう。
別の場所でも彼は蒋介石総統に甘えて台湾への補償を行なってないことを今一度,厳しく認識するべきだと言う。
ここにこの著者の行きあたりばったり的なものの書き方が浮かびあがってくる。
そして終始一貫するのは論旨の揺ればかりでない。
何があっても日本と台湾はくっついてなきゃいけないという考え。
台湾の日本語世代(これを日本精神と日本語を理解できる親日世代と彼は呼ぶ)が年を取ってアメリカナイズされた若者に主役をとって代わられたら日本はヤバイと彼は訴える。
どこの国でも世代交代はある。
ましてやアジアの諸国におけるアメリカの影響はすさまじい。
それは日本も同じだ。
彼は言う。
[台湾でも少数派となった親日世代,がどんなにがんばっても,結果として日本への愛想尽かしをしてしまうことも充分ありうる]と。
どうして台湾でアメリカナイズされた若者に世代交代すると愛想を尽かされ,間に合わないと彼は思うのか。
他の国,例えば韓国ならアメリカナイズされても別にどうってことないだろう。
他の国が国策を変更しようが,それは国と国の問題であり,何も[親日]だなんだという感情に訴えるものではない。
お互いの国が尊重しあっていればそれで問題はないだろう。
なのに,どうして台湾だとアメリカナイズされた若者の登場がマイナスになるのか?
そこに彼の心の底に潜む[台湾はいつまでも日本と表裏一体でなければいけない]という思い込みが隠れているように思える。
彼は続ける。
[[日本よ,もう一度,近くて近い国になろう]という台湾の親日世代からのラブコールも,これが最後かもしれない]…。
こういう発言を全くないとは言えないが,高齢者,しかも日本語世代と普段から接している私が聞く声はこれではない。
[今の日本にも台湾にも私達は属してないんだよ]
[この世代がなくなれば台湾も随分と変わりますよ]
[今の日本も私達とはつながっていない]
非常に醒めた視線で日本と自分達を眺めている。
妙な日本への未練などあまり感じない。
彼らが懐かしいのは[日本]というのではなく,[日本時代]に過ごした青春の日々なのかもしれない。
友と肩を並べて歌った日本の歌。
声はりあげて応援した野球,ラグビー…。
そうしたものを全て見ることもせず,もっぱら自分の主義主張を言わんとする為に都合のいいところだけ摘みあげる著者の姿勢。
とにかく,他人の国を自分の国の[ミニ]と呼ぶ姿勢からしてまったく失礼極まりない。
仮にアメリカ人に[日本.ミニアメリカの奇跡]なんて言われてうれしい日本人はどこにいるだろう。
恐らく,彼自身気がついているかどうかは解らないが彼は反米主義者であるのだろう。
そして無意識であるかもしれないが大日本主義者でもある。
例えば台湾で生け花を習ってる女性をこう評する。
[教室での彼女たちの言動は,日本以上に日本的ですらある。]
[あいさつや身のこなしが実に優しく,台湾女性にありがつなツンツン(失礼)したところがない]
[日本語のできる娘も多い]
まず気になるのが[娘]という表現だ。
仮にも一人前の女性を指して[娘]とは何だろう?
この[娘]とは彼が勤務していた日本語雑誌によく登場するスナックの宣伝文句によく登場する。
これじゃまるで[スナック◯◯,日本語のできる娘も多く,おまけに日本的で親切で情がある]だ…。
そしてある女性を評して
[きれいな日本語を話す上に,もの言いからして日本女性そのものだ]
と言う。
一体,[日本女性そのもの]とはどういうものなのか?
[日本的][日本女性]
また,別のところで[日本女性の美徳に[耐える]ということがあります]とも言ってる。
いつの時代のことだ???
つまり彼は[日本]という言葉を肯定的に使用している。
[台湾女性]は[ツンツン]してると極めて否定的な表現で登場してるのに対してである。
そして最後に彼女達のことを[日本のギャルにも見せてあげたい]と言う。
日本のギャルは日本女性ですぜ…と教えてあげたい。
また,空手をする台湾青年を評して
[日本の武の心が,台湾の若者をさらに強くしている感じがした]という。
それならばアメリカのベースボールが日本の若者を強くしたということと同じになる。
台湾の若者が強くなったのは彼ら自身の努力であり,彼ら自身の力である。
空手は手段であり,決して理由にはならない。
それを日本の空手をしてるから台湾の青年は強くなるというのはいかに?
また日本が台湾に残した遺産として様々なものをあげる。
これも台湾に来れば台湾の日本語世代が言ってくれるんで,ここに登場することも,そう珍しいことではない。
ところが,ここでもよく調べてなかった為に嘘八百ついてるところが登場する。
神奈川県にあった海軍の工場で働いた台湾少年の話を持ち出しているが,結論がいけない。
[悲惨な結果とはいえ,こうした多くの青少年が戦後,台湾に戻り,日本で習得した機械技術を今度は自国の発展のために生かしたことは充分に考えられよう]という脳天気な発言。
[台湾.ミニ日本の奇跡]が出版(1993年7月)された頃に大和市の小学校の校長先生がこの少年工の話を学校でされた。
詳細は[台湾少年工.望郷のハンマー](ゆい書房)にある。
この本は少年工だった人達との綿密な話し合いと地道なリサーチで成り立った秀逸なものだ。
同書では少年工が台湾に帰ってからの苦難の日々が細かく記されている。
ある少年工だった青年が軍の少佐に8000人の統率のとれた,幹部として誰でも通用するエンジニアがいるので活用してみてはと持ちかけたが,わかってもらえなかったとある。
[中国軍の幹部たちは,いろいろな人から,この青少年たちが世界的レベルの航空機をつくってきたことを聞いたのですが,信じようとはしませんでした]
つまり,彼らは戦後,台湾においてその技術を発揮することも出来ず,それどころか日本軍に荷担していたということで肩身の狭い思いをしながら生きてきた。
彼らが日本へ行って得たものは何だったのだろう?
それをよくも脳天気に自国の発展に生かしたことは充分に考えられるなんて当て推量でものが書ける。
同じ時期にこの少年工について綿密に調べて本を出版している人がいるのだから,調べることも可能だったはずだ。
それをも怠り,勝手に自分に都合のいいように考えているお気楽さ。
まとめの段に入っても彼の脳天気な論調は変わらない。
台湾の発展は日本を目標にしてきたのであり,懸命にミニ日本の道を走ってきたと言う。
そうだろうか?
アジア諸国が経済発展を続ける中で台湾もその例外ではないだろう。
しかし,台湾が戦後にまで日本を見続けたか?
ならば何故,アメリカ留学組がかくも多いのか?
台湾の議会は英語でも大丈夫だという冗談があるくらいだ。
有名なリチャードクーにしても,日本語を操るがアメリカで学位を取得している。
台湾は日本だけを目標にしているのではない。
追い付き,追い越せといったものではなく,自らの発展を目標として台湾は歩んできた。
それを日本語の解る世代が居て,台湾人自身の懐が広いのをいいことに勝手なことをよくぞこれだけ言ったものである。
読み終わって深い嘆息が出た。
こういうもの書きがあまりにも台湾には多い。
ごろごろ居る。
こういうのを私は総称として[台湾ごろつき]略して[タイゴロ]と呼ぶ。
2月16日
口ばっかで机の上だけで空論を振りかざしてる人が多過ぎます。
今,私は自分にとって外国であるところに住んでいます。
その国の政治については私は当面は語るつもりはありません。
その国の人達の選択を見守らせてもらいます。
だけど日本に住みながらそれに口を突っ込む日本人の多いこと!!
私は社会には目を向けていたいと思います。
だけど社会に目を向けることイコール政治を語ることではないはずです。
ある友人にそのことについてこのようなメールを書きました。
だから私は玉蘭荘に関わってるの。
社会を動かすことの手助けは外国人だって出来るぞって。
山をも動かすって精神でさ。
私,ideologistにはなりたくない。
空論を振りかざして何も役に立たない人にはなりたくない。
子供の頃から火のついた煙草が捨てられてたらすぐに消すことを自分に義務づけてるんだ。
誰に頼まれたんでも教えられたんでもない。
自分に出来る何かからしようって子供心に思ったから。(そんな犬も居た)
その延長なんだ,玉蘭荘は。
だから当面,独立だとか統一だとかには目は向けてるヒマはない。
その時になったらその中でどうすることが台湾人にとって一番いいか考える。
とにかく,自分の住んでいるところを自分が住み易くするために何かを取り敢えずする。
これが私のやり方なんだ。
高齢者問題なんかに関わると,その国の弱者に対する姿勢がよく見えてくる。
何か社会的なことにどんどん関わることで私の主張も色々な人の耳に入る。
とにかく動く。
地道な活動家になりたい。無名戦士でもいい。
自分の子供が安心してここで暮らせるように何か少しでもしておきたい。
逃げることよりも向き合うことを考えたい。
だから自分が出来ないことには口出ししないで,まずは見ている。
だけど,あまりに極端な方へ行きそうだったらばしっと言えるだけの論理武装はしておく。
自分が発言出来るだけの根拠を揃えておく。
◯◯ちゃんが出くわした野郎なんて1対1だったら絶対にねじ伏せるだけの自信あるよ。
だって,私は台湾での活動家だもん。
ヤツはただの安全な場所で,机上での空論を振りかざし,独立派の太鼓持ちをすることで日本では得られない政治的に特殊な地位を得ることに成功してるだけの人。
日本じゃ日本の区会議員にだって知りあえないヤツが民進党の大物と面識を持つ。
そして何か勘違いして,[台湾人には俺が教えてやんないと連中は進歩しない]なんて思い上がる。
そんなヤツよりも私の方がはるかに台湾という社会に貢献してる自信あるよ。
でもideologyには踏み込む必要はない。
活動家はやるべきことをきちんとすることで自分の為すべきことを証明する。
花蓮で出会ったドイツ人のシスターのように。
子供が安心してここで暮らせないとしたなら…それはその時にまた最良と思える方法を考える。
行き当たりばったりみたいな発言だけど,無責任なideologistよりはそういう生き方に責任持ってるつもり。
[◯◯ちゃんが出くわした野郎]ってのは日本人であり,まったく台湾と関係ない立場にありながら台湾問題に首突っ込んでる人。
◯◯ちゃんが何げなく[タイペイ]と言ったら,いきなり[たいほくと言え!タイペイなんて外省人の言う言葉だ]と怒ったのです。
[タイペイ]って今じゃ世界中の地図が書いてあるのにですよ。
台湾主義者を気取っていますが[たいほくと言え]という彼の言葉にまぎれもない[大日本帝国主義]的臭いが感じられるのです。
台北は台湾語では[たいばっ]です。
こんな人が台湾の政治問題に首を突っ込み,台湾の独立を叫んでる…。
妙な話です。
私は彼に言いたいです。
そんなに台湾の未来が心配なら,その菊の御紋のパスポートを捨ててください。
台湾の政治問題にそんなに首を突っ込みたいなら,まず日本国籍を捨てて中華民国籍を取得してください。
そして中華民国籍を取得したら青年男子の義務である兵役に2年間就いてください。
きっとこういう[正義漢]ぶりっこの人はこう言うでしょう。
[私の欲しいのは中華民国籍ではなく,台湾の国籍だ]って。
冗談じゃねぇ。
台湾国内で生命賭けて台湾独立を叫び続けた人達だって今でも国外に出るには中華民国籍のパスポート使ってんだよ!
しょせんは対岸の火事なんじゃないの。
気の毒がるフリして正義の味方ぶって,いざとなったらさっさとトンズラできる立場で勝手なこと言うんじゃないわ。
まるでさんざんたきつけておいて,夫婦喧嘩が始まって家庭内不和になったら,さっさとトンズラする近所の人みたい。
そんでその家庭不和の内情を別のところでもっともらしく喋ってる。
御自分は満足でしょう。
だけど,その家庭不和の波を被るのはその家の老人子供。
つまりね,他人の家庭のことに土足で入り込んで,もっともらしいこと言うんじゃないっていうんです。
それよりも地道に台湾の社会をよくすることをひとつでも考えてください。
台湾で外国人が自分の喫ったタバコをぽいっと道に捨てるのを見ました。
[あんた,自分の国でもそんな風にすんのか?]
他人の国を尊重できない人に自分の国を尊重しろという権利はありません。
また,同時に自分の国のこともきちんと出来ないのに他人の国の問題に首を突っ込む必要はありません。
台湾独立を叫ぶ日本に居る日本人に言いたい。
そんなこと言ってる間に日本の政治をどうにかしなさい!!
他人の蝿を追ってるより,自分の方の蝿をしっかり追いなさい。
そしてそういう日本人に頼ろうとする台湾人の独立派の一部の人達。
自分の国の生き方を他国にゆだねるような真似をしてはいけません。
そうやって国を滅ぼしたところがこの歴史上にどれだけあったか。
自分達の勝利は自分達の手だけで勝ち取るように努力してください。
私は独立も統一も当面は支持しません。
私のもっぱらの問題は歩道を歩きやすくしてもらうこと。
ゴミ箱と吸いがら入れをもっと各所に増やしてもらうこと。
高齢者福祉をもっと充実させてもらうこと。
託児所の安全基準検査を徹底してもらうこと。
外国人配偶者の待遇を改善してもらうこと。
大体こんなとこです。
イデオロギーよりも現実の生活の方が大事なのです。
口先ばっかのイデオロギストより地道なアクティビスト。
これが私の目指す道です。
2月19日
本日はたんぽぽ組の事務係さんとスタンプを作成。
顔写真のスタンプでプリクラスタンプバージョンって感じ。
巷で[恐いらしい]と噂されてる二人だけになるべく可愛いく写ろうと努力。
その甲斐あって結構プリティな写りになりました。
そして晩ご飯はイスラム料理っぽい店に潜入?
気がつくと周囲はみんな外国人…。
おまけにオーナーまでミャンマー華僑。
すごい多国籍風かつ無国籍風でよかったです。
その前には西蔵屋という店にも潜入。
チベットもの,インドもの,ネパールものがありました。
街中や日常にも冒険はあります。
何ごとにも好奇心を失わずにいたいです。
でも好奇心の赴くままに他人には迷惑かけてはいけない。
正しい冒険家の定義をここで私が語るような筋合じゃないけど…。
自分の周囲に人が居て,その人達の存在があるからこそ自分がここに居るって,思ってほしいです。
冒険家を気取ることはお金さえあればある程度は出来るでしょう。
だけどね,思うの。
アマゾン河を下ることが何も冒険じゃない。
紛争地域に足を踏み込むことが冒険じゃない。
危険を冒すことイコール冒険と思っちゃいけない。
他人に迷惑かけずに自分一人の力でどこまで出来るのか。
自分の視線で見て,自分で感じ,新しいものとの出会いを愛おしみ,楽しめる。
自己があり,他者がある。
冒険とはそういうことを知るための第1歩でもあるんじゃないでしょうか。
生まれて初めてするプリクラ。
生まれて初めて食べる未知の味。
生まれて初めて聞く音楽。
生まれて初めて出会う人。
自分勝手な思い込みだけで他人の日常に踏み込み,冒険したつもりになってる人達に言いたいです。
冒険なんてどこにでも転がってるよ。
それを冒険と思う気持があるかないかの違いなんです。
猿岩石みたいにすることが冒険なのでしょうか?
他人の好意だけに甘えて旅することで冒険家気分になってる人があまりに多い気がします。
個人旅行イコール冒険って勘違いはやめてほしいですね。
パック旅行にだって冒険の種はいっぱい詰まってます。
そこで冒険を見出だせるか否かは自分の感性ってことでしょう。
冒険家の親分であるたんぽぽ組事務係こと冒険小僧さんと一緒に台北のほんの一角でありましたが楽しく冒険させてもらった私の感想です。
2月20日
本日は台北にあるお達者倶楽部,玉蘭荘に出向きました。
そしたら日本にある玉蘭荘を支援する会の会報が来てました。
見てびっくり…。
忘れてた[玉蘭荘の金曜日]について…。
それも全く鵜呑み状態で絶賛…。
[台湾各地に散在して残る更に多くの日本人妻達を尋ね歩き](!!)
[それぞれの問題を堀り起して](!!)
[一冊の本にしてくださいました](!!!!!)
そしてこの支援する会の人も所詮,解っちゃないなと思わせるに足りる言葉が登場。
[この方々は,戦争という歴史の大波に翻弄された結果,異国での淋しく苦しい戦後を生きてこられたのです。]
この書いた人がおいくつかは存じません。
だけど,戦後苦しかったのは異国にいようが日本にいようが同じでしょ?
それに[淋しく苦しい戦後]って台湾に住む本人達が言ってますか?
それは日本に住む日本人の色眼鏡じゃないですか?
おまけに
[宮本孝さんは台湾をつぶさに歩き,調べ,](!!)
{玉蘭荘に生きる方々のことを本にしてくださいました。](!!!)
困るよ,こういう風に批評的精神もなく,盲目的に他人の言葉を鵜呑みにするのって。
おまけにこっちにこのことに関する連絡すら取ってないで…。
おいおい,おかげでまたまたばっさまお怒りだぞ…。
[だめだね,日本に居る人は]
って言ってたもん。
ボランティア精神って何だろうと思います。
[可哀想な人]に手をさしのべるのがボランティアでしょうか?
新しく玉蘭荘の総幹事になった女性と話していて考えました。
彼女はベテラン看護婦です。
国立病院の看護婦という公務員の地位を投げうって玉蘭荘に来てくれました。
自分が老後に手にできる恩給やら公務員待遇を全部投げうってきてくれたのです。
彼女が言います。
[高齢者が歩いてる時,私は手をかさないことがあります。自分で出来ることは自分でするように。それが自立とリハビリになるのです]
[だけどね,あんな気の毒な老人が一人で難儀してるのに手をかさないなんて冷たいって言う人もいます]
[手をさしのべるばかりが優しさではありません]
彼女と話しててなんとなく思いました。
[気の毒]だからするんじゃない。
自分が出来る範囲で自分が出来ることを出来る場所でするまでのこと。
誰だって年を取ります。
そして誰だって生きている時代の影響を受けながら生きているのです。
カンボジアで内戦があった時に不運な日本人会社員が犠牲になったのを覚えてますか?
まさか誰も彼がそんなとこでそんな理由で死ぬなんて思いもしなかったでしょう。
人間の運命なんてどの時代でも不思議なものだし,言うなれば私達誰もが歴史に翻弄されているのです。
大戦をくぐり抜けてきた現在の高齢者の顔には生きてきた印が刻み込まれています。
私は街中で出会う見知らぬ高齢者にも若い頃の残像を見ることがあります。
きっと,私と同じ頃に,彼や彼女は生き生きと生きていたんだろう。
決して魚の死んだような目はしてなかっただろう。
ちょっと話が逸れるけど,人間の流れってものに興味あります。
親は子供に生命を与えます。
だけどそのことで親は必要以上に子供に要求することは出来ないと思います。
子供な何も親に頼んで生命を与えてもらったのではないのですから。
子供は生命を与えてくれたことに感謝する気持を抱いていればいいのです。
そしてそれを時に形にする…。
だけど,生命を与えた親には責任があります。
ある時には自分の生命を投げうってでも子供を守る…。
それは新しい時代を守ることでもあると思えます。
時間は流れています。
その時間をスムーズに流す為に親は子供を育くむのかもしれません。
やがてその子供が大人になり,親になった時,また新たに自分の子供に親がしてくれたのと同じことをする…。
こうやって世界は流れているのでしょう。
こうして時間は流れているのでしょう。
高齢者は未来の私の姿です。
更には未来の私の子供でもあります。
自分自身をより良く生かす為にこそボランティアはするもんだと思います。
私は可哀想になんて同情されたくないです。
同情してくれる人にはありがたいけどお引き取り願いたいです。
違う時間帯を違う環境で生きながらも同じ条件で生きてきた人達。
人として営み,人として生き,大きな歴史という波に流されながらも生きぬいてきた人達。
その人達への連帯感が私をお達者倶楽部へと行かせるのです。
[お気の毒に]
そういう気持も大事です。
だけど,そこから生まれる視線は決して対等のものではないと思えます。
自分自身の将来の姿として見た時,高齢者ケアは初めて本物になるんじゃないでしょうか。
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