3月3日
ひな祭です。
女の子の節句です。
そんな女の子のお祝いの日に考えたこと。
別の国から来た女の子が日本でひどい言葉を浴びせられたという問題です。
韓国からの女子留学生が日本の大学で日本人の男子学生に卑猥な言葉を浴びせられました。
それに抗議した彼女達を彼はなおも侮辱し続けました。
[日本語わかりません]
などと言って。
ちょうどそれに行きあった韓国人男子学生が彼に抗議したところ,もみあいとなり,双方が軽傷を負いました。
これに対して日本人男子学生は韓国人男子学生を退学させろと学校に要求しました。
退学させなければ自分が退学して報復措置をするという脅迫めいたことも言ったそうです。
処置に窮した大学側は二人の学生を謹慎処分にしたそうです。
これだけ見た場合,どういう問題を感じるでしょうか?
ここから日本における留学生が受ける民族差別ということで運動が起きました。
インターネット上で署名運動も始まりました。
知人に頼まれて私はこの問題を色々なところに提起しました。
すると面白いですね。様々な反応が返ってくる。
この話をしてくれた男性はこの問題をこう捕らえています。
[単にセクハラ事件ではなく,民族的差別が根底にある]問題。
ある女性はそれに対してこう捕らえています。
[民族的差別などというもの以前に女性差別]問題。
そしてアメリカ在住のある男性はこう捕らえてます。
[どこにでもあるものであり,差別や偏見は一方からだけのものではない]。
つまり[韓国人の側にも日本人への偏見や差別があるからだ]というのです。
さて,私自身はというと,ここには多くの差別的要素が含まれていると思いました。
まずアメリカ在住の男性の考えには真向から反対です。
差別や偏見は一方的なものから発生するのではないぃ〜?????
双方が偏見や差別を持つから発生するっちゅうのか?
じゃ私が大阪で言葉の壁にぶつかってイジメに遭ったのは私が悪いのか。
私が大阪弁を喋れもしないのに転校したのが悪いのか。
私は大阪を排斥したり,蔑視したりしなかった。
排斥してきたのは大阪のクラスに居た男達だ。
横浜弁で成績が自分よりいい女が転校してきたって言って。
そうですよ,女が男より成績よかったらいけないのか?
こういう[差別される側にも問題がある]的発想がイジメの末の自殺を生み出すのです。
問題があったら差別されてもいいのか!?
関東出身の私が関西でイジメられるのはもともと関東者が関西人を差別してるからなんだから,怨むなら同胞を怨めですか?
このアメリカ在住の男性は息子が韓国人とのトラブルで殴られたという経験があるそうです。
ほとんど個人的怨恨から韓国人への偏見を抱いています。
まともに文章を読んでなく,日本人男子が訴えたことを
[韓国人が納得いく結果にならなかったから騒いでるんでしょう]
ときた。かぁーーーーーっ!!
アメリカ生活で日本語の読み方忘れたかっ!
何の為にアメリカに住んでいるんでしょう。
多様な文化,考え方を受け入れられないなんて…。
この人の発想は在日韓国人への日本人のそれとほとんど変わりません。
私自身の考えはこうです。
セクシャルハラスメントという絶対に犯してはいけないことをした男性がいる。
被害者が外国人女性だった。
加害者が日本人男性だった。
被害者である外国人女性の国籍が日本で彼差別を受けやすいものだった。
ここにこの加害者の男性の女性蔑視,外国人蔑視という態度が露呈している。
彼は許し難い態度を彼女に対して取ったと言える。
更にはその女性を擁護した同じ国からの男子留学生との間でもめた末,双方が負傷した。
何を思うたかゴネ出した加害者は被害者を庇った男子留学生を退学せよと学校側に要求。
とにかく,原因は一人の日本人のオヤジ的発想のバカ男の無責任な言動なのです。
私の台湾人の友人は日本留学中に日本の男性に声をかけられました。
[おい,いくら出せばやらせる?]
驚いた彼女は家に飛んで帰り,自分の家の中でも恐くて震えていたそうです。
これも先程のアメリカ在住の男性の論理ですと彼女の側にも問題があることになります。
売春を日本人の男がしに行く国から来てるんだから,そう言われて仕方ないんでしょうか?
私が昨年まで面倒見ていた台湾人の高校生グループの一人が日本に留学しました。
駅で友人と話しているといきなり腕をつかまれました。
[ねぇ,1時間いくら?]
びっくりした彼女は中国語で怒鳴りつけたそうです。
それでも悔しくて,悔しくて,でも親にそんなこと言えなくてグループの仲間に国際電話してきました。
そのことを電話を受けた子から聞いた私はなんともやるせない気持になりました。
どうしてあんなに日本に行くのを楽しみにして,日本語を一所懸命勉強してた子がそんな目に遭うんだろう…。
それもアメリカ在住の男性の論理からするとしょうがないことなのです。
きっと
[公共の場で身体売りにくる女と同じ言語で喋ってる方が悪い]ってとこになるのでしょうか?
差別する人は必ず相手にも差別があるからという理屈をこねます。
だけど長い女性差別の歴史において,女性の側がどんな差別を男性にしましたか?
在日外国人差別だって最初は日本人が差別したんじゃないんですか?
[差別は双方からのもの]なんて歩み寄ろうとしているのに排斥される辛さを知らない人が言えるのです。
歩み寄ろうとして排斥されることが繰り返せば最後にキレます。
そして[そんなにこっちを排斥するならこっちだってお断りだ!]という思いに変わります。
高齢者,障害者差別はどうなのでしょう?
いたわるフリして差別してませんか?
人間には偏見というものがあります。
それは仕方ないことです。
だけど,それを理由をつけて肯定することは断じて許せません。
この事件を知らせてくれた男性は留学生差別として受けとめてます。
これを知らせた相手の一人である女性は女性差別であると受けとめてます。
受けとめ方には価値観が反映されるますから,そこでどの要素が大きくなるかは個人差があるでしょう。
だけどね,[いくらでもあることだ]と言って問題視しない人って終わってる気がします。
言わせてください。
外国に住んでいても,地球人入ってませんね。
鎖国時代の日本人バリバリです。
そんなんだから息子が韓国人に殴られるんです。
差別が差別を生むのであって,最初から二つの差別が存在するんじゃないってこと,知らないんですか?
もし[自分もアメリカで差別された]というのなら,差別された自分をどこかで卑下して,相手の差別を肯定してませんでしたか?
差別は存在し続けるでしょう。
だけど絶対に許してはいけないもの。
今回の事件はその問題提起となってくれることを望んでいます。
これまでにどれだけ多くの外国人女性が言われなき屈辱を味わい,日本で悔しい思いをしてきたことでしょう。
これは氷山の一角です。
相手が韓国人だからとかそういった問題にスリ替えないでほしいです。
男性による女性蔑視がまずあり,更には日本人によるアジア蔑視がある。
それを問題にせず,被害者の側である韓国人男子学生までをも謹慎にしてしまう日本の学校のことなかれ主義。
それをいいことにつけあがる日本人学生の奢り。
自分の非が理解できていない愚かさを誰も教えようとしない。
こんな学生が卒業旅行と称してアメリカとか行くんだよね。
やれやれ。
きちんと学べない人間はどこに行こうと駄目なんだろうね。


3月7日
本日は充実した1日でした。
朝から台湾アヤシイ探険隊の[タガワの妻]姐御の家に冒険小僧さんと共に乱入。
それも彼女が一度も会ったことのない,絶対に日本人に見られないと保証付きの青年を連れて。
そこには[ネノワ]の好きなユウ坊とそのパパママ登場。
美味しいお昼をタガワの妻さんに御馳走になりました。
だけどタイムアウトで出ていかなければならなくなって…。
さんざっぱら食べさせてもらって片付けないでごめんなさい…。
冒険小僧さんと行きつく先は[日本人妻の永住権を考える会]。
ここで日本人女性で台湾人の夫と結婚してる人の台湾における法的立場についての講演を聞く。
お話は自らも同じ立場にある国立政治大学の藤井志津枝先生。
彼女によると,彼女は中華民国の国籍取得を試みたそうです。
日本国籍を捨ててもいいという態度で臨み,ついに[日本の国籍を捨てたら中華民国籍をあげます]という証書まで取得しました。
そこで日本の法務省にその証書を提出すると…受理できないということ。
理由は[中華民国とは断交し,中国とは中華人民共和国であるので,よって中華民国の発給した証書は無効であり,故にその証書で国籍離脱を申請する理由にはならない]ということなのだそうです。
つまり,日本人の私達は日本国籍を中華民国籍取得の為という理由では捨てられないのです。
要するに何があっても中華民国籍は取得出来ないということです。
すると永住権もない私達に[永住したいなら日本国籍を捨てて中華民国籍を取りな]という中華民国側の要求も飲むことが出来ません。
さぁ,どうしましょう…ということです。
日本国籍を捨てるつもりはありません,というのではなく,日本政府が捨てさせてくれないのです。
私はもともと捨てるつもりはなかったのですが,これで薄氷の上に私達の生活が成立してることが理解できますね。
ここでも冒険小僧さんと私はいつもの地球人運動を展開。
たんぽぽ組の存在まで語ってしまいました。
そしてこの運動のページを作ることまで確約してしまったのです。
熱いなぁ,私達って。
ついでに[玉蘭荘の金曜日]事件についても語りまくりました。
案の定,皆さん達は怒ってました。
そりゃそうですよ。
自分のことを[異郷に果てなんとする日本人妻]と言われたも同然な人ばっかですもん。
ここでも風を巻き起こそうと思います。
地道に,別の人の意識が向くようにするんです。
そしてその後は明日は帰国してしまう紅茶少女Uzitsuちゃんの家で中国茶道を楽しみました。
最後の晩ご飯には近所にある美味しいインドネシア料理の店をチョイス。
ここでは総勢11名ということもあり,メニューの混乱もあったものの,楽しいひとときを過ごしました。
この店の店じまいの時間近くにオーナーのインドネシア華僑のおじさんが近付いてきました。
[あ,ごめん,ごめん。もう店じまいだよね]
そう言う私にオーナーは
[違うよ,これから地下でカラオケ大会なんだ。皆さん,どうぞ参加してくださいよ]
とのお誘い。
色々な用事やらで帰った人もいたのですが,結局は私,Uzitsuちゃん,その友人3人が残りました。
地下に向かうと何やら異様な盛り上がり…。
元バンドマンだったというインドネシア華僑のおじちゃん達は50年代のノリのいい曲をガンガン歌ってます。
エルビスプレスリーの歌を踊りつきで歌うおじちゃん…。
そのうち60代前後のおじちゃん,おばちゃんの大ゴーゴー大会に様変わり…。
それに混じって踊る私達。
その後,いきなり大きなケーキが登場。
どうやらおじちゃんの中の一人の誕生日だったらしいのです。
ハッピーバースディの大合唱の中で蝋燭を消すおじちゃん。
ほとんど面識もない私達を仲間に入れてくれたインドネシア華僑のおじちゃん,おばちゃん。
一緒に歌おうよと誘ってくれたこの人達の優しさ。
私達を混ぜることでより多くの人間が誕生日を祝ってくれることになるだろうという仲間への思いやり。
なんだかちょっと感激しました。
インドネシアで生まれ,育ち,そして様々な事情で今,台湾に住んでいる彼ら。
日本に生まれ,育ち,そしてどういう訳だか今,台湾に住んでいる私。
めぐりあわせの不思議を感じます。
このおじちゃんの今年の誕生日を私が祝うなんて誰が想像したでしょう。
こんな時に私は国籍だとか宗教だとか人種だとか民族だとかの限界を感じるのです。
この民族はこうだとか,この宗教の人はこうだとか,カテゴライズするのは楽ですよね。
でも,私,日本人はこうだからお前もこうだって言われたら躊躇します。
更には日本人でも関東人だからこうだって言われるともっと困ります。
それで関東人でも横浜人だからこうだって言われたらどうしたらいいだろうと思います。
私は私でしかないんですから…。
本日出会ったインドネシア華僑のおじちゃん,おばちゃんがいい人だからって全てのインドネシア華僑がいい人とは限らない。
全てのインドネシア華僑が明るくて人なつっこいとも限らない。
あそこに居たインドネシア華僑のおじちゃん,おばちゃんと縁あって私達は今日のあの時間を共有したんです。
そして楽しいひとときを過ごした。
あっちも[ブンガワンソロ]が好きな変わった日本人と一緒に誕生日を祝った。
歌の上手な可愛い日本のお嬢さんで明日,日本に帰るのにわざわざ残ってくれた子がいた。
台湾人で何でも歌える気の利いた女の子が美声を聞かせてくれた。
その脇でうれしそうにしている台湾人の気のいい青年がいた。
中国語の歌が歌えるこれまた気のいい日本人青年がいた。
その事実だけで充分じゃないですか。
なんか最近,民族差別だの何だのということが目につくんで,ついそんなことを考えてしまったのです。
台湾のことを解ったような顔して[多民族国家]だのと言ってる日本人にも今迄に何度か出会いました。
[多民族国家]
人類学的にはそうでしょうね。
だけど21世紀を目前にした台湾では今はもうそんなことは越えたような気がします。
それよか日本の方が問題多き多民族国家のような気がします。
在日外国人問題も何やら未解決。
アイヌ人問題もやっと重い腰をあげたところ。
そんな日本に比べて,様々な人達を受け入れてしまう台湾島の懐の広さが愛しいです。
台湾という島の魔力が不思議です。
インドネシア華僑のおじちゃん,おばちゃんと私が何の違和感もなく一緒に居られる島。
島自身はこんなに懐が広いのに…そこにある法律が全く違うのです。
台湾の法律が台湾の島の持つオーラのようになってくれたら…。
そう切に願うのでありました。

3月8日
言葉の暴力について考えてます。
言葉は素晴らしい道具にもなります。
だけど恐ろしい凶器にもなる。
まさにペンは剣より強し,馬鹿と鋏は使いよう…(ちょっと違うかな?)
差別も言葉によるものが多いです。
吐き出す方はさしたる意味もなく吐いている。
しかし,言われた対象であるものは限りなく傷つく。
意図的に吐いているならまだいいです。(よくないけど)
確信犯ですから。
問題はそうじゃない人です。
感性の鈍い人。
他人の傷みを自分の身に置き換えることの出来ない人。
自分の身の上に降りかかったのでなければあくまでも他人事な人。
こういう人がこの世に存在するのもしょうがない。
認めましょう。
だけどね,そういう人間が[ジャーナリスト]だとか[ノンフィクション作家]だなんてものにはなるなって言わせてください。
この職種は客観的であらねばならぬけれども,書かれる対象に誠意と愛情を持つべきライターであるのですから。
さもなければ書いた対象を言葉という刃で傷つけるだけです。
それじゃ切る相手が違います。
切る相手はそこに横たわる大きな問題であって登場する人達ではありません。

最近,差別という言葉によく出くわします。
私は差別という言葉に敏感です。
そして差別するものに対しても敏感です。
私自身が差別を受けた経験があるからかもしれません。
相手の吐いた何気ない言葉や言動に差別の臭いを嗅ぎ取ります。
あるホームページを見てショックを受けました。
台湾に住んでいることをうたい文句にしてる女性が書いたものです。
おまけにアメリカでジャーナリズムの学士を苦労して取得したとまで書いてありました。
ついでに台湾の新聞社に勤務してただの,翻訳をしてるだのとプロ気どりなことが書いてありました。
彼女が台湾人に対して書いた記述を読むうちに怒りで手が震えました。
あまりにも一方的なものの見方。
時代遅れな思想の塊まり。
ジャーナリストにあるまじき態度で平然と公共の場であるインターネットで発言してしまう無神経さ。
そこにあったのはほとんど中傷誹謗に近い[外省人][客家人]への記述です。
あなたがそういう経験をしたのですか?
あなたが自分の足で歩いてそういう結果を得たのですか?
外省人は見栄っぱりですって?
客家人はケチんぼですって?
本当はもっとひどいことが書いてあったけど思い出すのもイヤだからいい。
こういうカテゴライズした上に否定的見解を述べられると我慢できません。
[東京もん,東京帰れぇや]
悪意に満ちた響きが今でも頭の中に蘇ります。
私は何も悪いことをしていなかったのに…。
懸命に歩み寄ろうとしたのに…。
受け入れてくれなかったのは相手の方だった。
ただ横浜から転校してきただけの私をスケープゴートにして楽しんでいた人達。
団結を強めようとする為に異質なものを選んで排斥した人達。
私は何も好きで来たんじゃない…。
そう思うようになったのは幾らもしませんでした。
こんな友達もいないとこにどうして喜んで来ると思う?
あんた達にとっては地元かもしれないけど,私には違うよ。
こんな思いを抱きながら,それでも黙々と学校に通い,自分の本分はまっとうしてました。
これって…外省人の老兵の人達に近い感覚かもしれないな…
そう思い始めたのはいつ頃からでしょうか。
田んぼを耕してたらいきなり兵役に就かされた人。
買い出しに行って市場で兵役に就かされた人。
中華鍋持って料理してたら兵役に就かされた人。
わずか15歳にも満たない少年が,60歳を越える老人が,何がなんだか解らないままに行軍させられました。
好きでやってるんじゃない。
何でこんなことしてるんだ。
そう思ってるうちに気がついたら海を渡って台湾に到着してました。
故郷は遥か遠くです。
戻りたくても戻れない。
おまけに最初は好意的だった台湾の人の目も日増しに冷たいものに変わってくる。
あるいは到着した頃にはもう冷たい目だったかもしれない。
同じ中国人だと信じて,同胞だと信じている人達に[外省人]と呼ばれ続けました。
私だって同じ日本人に[関東もん]だの[東京もん]だのと言われました。(正確には横浜なんだけどな)
外省人は常に異質なもの扱いされ続けたのです。
私はいつも,いつも横浜を思い出して,いつの日か帰るんだと念じてました。
横浜だって決して最高の場所だった訳ではないんだけど…。
故郷を思い続け,結婚もせずに帰れる日を待っていた外省人の若者もいました。
若者だったはずの彼の髪に白いものが混じり始めました。
気がつけば老境にさしかかっています。
そして心の中に描き続けた美しい故郷も今では全く変わってしまったことも頭の中では理解してます。
だからいくら開放されて中国に渡ることが出来ても帰ることをしようとしない人が沢山います。
美しい思い出を壊したくないからでしょう。
そうした多くの魂が台湾で消えていきました。
本人の罪ではないものの為に殺されて,身寄りもない為に顧みることすらされない人達。
彼らの魂はどこに行けばいいのでしょう。
訳が解らないままに,民衆の憎悪を一身に浴びながら,私刑のようになぶり殺された人達。
ただ,ただ,外省人だというだけで殺されていった人達。
上層部の指導者も確かに外省人です。
だから[外省人は金持ち]などという論理はあまりにも馬鹿丸出しです。
バラックに住む外省人の老兵を知らないのですか?
孤独のうちに死んでいく外省人の老兵を知らないのですか?
先祖代々の墓もなく,家族もないので死んでも誰もお参りに来てくれない外省人の老兵達。
この人達の魂はどこへ行くのでしょう。
この人達の思いはどこへ行くのでしょう。
共産党軍との戦いにおびえながら,やっとの思いで渡ってきた台湾。
共産党軍の恐怖から取り敢えず逃れられたと安堵の息を吐いていた彼らを襲った228事件。
自分は何もしていないのになぶり殺された多くの外省人。
最期に思い出したのは故郷の大地でしょうか?
懐かしい母の顔でしょうか?
そして,今,老境にある多くの外省人の老兵はこうして逝った仲間を見ているのです。
自分達が台湾に渡ってきてから約50年近い歳月が流れました。
その間に彼らは納得してるのです。
傷みも辛さも全て飲み込んで,そして今の優しさがあるのです。
外省だ本省だと言いたくないですけど,敢えて言うならば,私が台湾で嫌な思いをさせられたのはもっぱら本省人の若い人です。
自分勝手にすることが民主主義だとはきちがえてる馬鹿者。
要するに傷みを知る人達はどこの出身だろうと優しさを持っているのです。
出自や性別や年齢や民族は関係ないのです。
いい人はいい人。
嫌なヤツは嫌なヤツ。
日本人と言えばチビでデッパで眼鏡かけてカメラを首からさげて歩いてる…。
そういった西洋の思い込みがもろに出た映画を見たことがあります。
今じゃ日本人の男と言えば外国で女を買うスケベ男。
日本人の女と言えば外国で男遊びをする色情狂。
日本の若い女の子はお金さえ出せば売春なんてOK。
こういった情報が普遍的なものとされたらどんな気持ですか?
その[日本人]の中にあなた自身も入るのですよ。
あなただけ例外ということはないのですよ。
宮本孝氏もしょっちゅう[セックスアニマルと化した日本人男性]などと言ってるけど,あれ,自分のことかしら?
[日本人男性]って言ったらね,自分を含めて日本の男性ならそれこそ幼稚園に通うけんちゃん,たぁ坊,全てを含むんですぜ。
そしてこういう物言いをする輩に限って自分がジャーナリストだ,ノンフィクション作家だとうそぶく。
偏見差別野郎はおとなしくしててくれ!!
思うのは勝手だけど公の場でそういうことを発言すんな!!
差別された人間は何年経ってもそういうのを見ると傷がうずくんじゃ!!


3月9日
本日、玉蘭荘にて台湾でも有名なアクティビストの高俊明牧師様がお話をしてくださいました。
そのお話の中で感謝はしなければいけないが、それで満足してしまってはいけないという御言葉がありました。
自分がここに生かされていることを感謝しつつも、それで満足してれば現状維持に留まり、進歩は生まれないのだということです。
この言葉はまるで私に言ってくださったみたいに響きました。
感謝しつつも満足してはいけない。
常に行動せよ。
そうと聞いたらやるのみです。
私はクリスチャンじゃないけれど、いつもこう思うのです。
神は見ていらっしゃると。
たとえ嫌われても言うべき事は言う。
するべきことはする。
訳知り顔して何もしない人になってはいけない。
常に自分の目でものを見つめ、自分の目で判断する。
批評的精神を持ち、闇雲に他人の言葉を信じない。
自分の言動に責任を持ち、それが過ちであったと認める時には謙虚に認める。
ぐたぐた御託を並べない。
自分の過ちを指摘された場合にはきちんとそれに対峙する。
遁走するようなせこい真似はしない。
他人がどう見るかという問題ではないのです。
最終的には自分自身とどう向き合うかなのですから。
遁走する程度の主義主張なら言ったり、したりしない方がまだましです。
高俊明牧師様は見ず知らずの政治犯の為に獄に繋がれました。
政治犯として軍法会議にかけられて緑島送りにされました。
逃げることもせず、堂々と緑島に向かわれたとのことです。
高牧師様の柔和な笑顔を見て、誰がそんなすさまじい過去を連想できるでしょう。
台湾には高牧師様のような人が無名の人の中にも大勢います。
他人に語ることの出来ないようなすさまじい過去を持ちながらも穏やかに微笑む人達。
どうしてこんなに穏やかに優しく微笑むことができるのか。
それは自分自身の過去の全てを一切合切飲み込んで今の自分があるという考えに至っているからではないでしょうか。
若輩者のアクティビストではありますが、自分自身の手の届く範囲から手を打っていきたいと思ってます。
そして年取った時にああいう笑顔が出来る年寄りになりたいと思うのです。

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