日常化現象
[前編]
ずっと、自分は特別なのだと感じていた。
生まれたのは、ただの市民階級。しかし、そんなものが、何かの障害になるとは思ってもいない。
何かに不満があったわけではない。それでも、どこかに本当の居場所があるというような気がしていた。
強固な城門の前に立ち、私は王城を見上げた。
城下町で育った私にとって、王城なんてものは見慣れたものだったが、近くで見た事は数える程しかない。近くで見ると、その圧倒的なまでの威圧感をひしひしと感じて、私は僅かに口許を歪めた。
そのまま、私は顔を前に向け、すたすたと王城の中へと歩みを進める。城門で門番らしき兵に呼び止められたが、私は丁寧にチョークを使って門番を眠らせ、王城の中へと快く通してもらった。彼らも、私のチョークを体験することが出来て、さぞかし喜んでいるに違いない。
一人納得していた私を、多くの兵士達が取り囲んだ。どうやら、誰かから私の事が彼らに連絡がいったらしかった。
歓迎されるのは嫌ではないが、ここまでの歓迎は、流石に少々煩わしく感じる。私は愛用の棒を取り出して、軽く振り回した。瞬時に私の周りに気絶した兵士の山が誕生する。
――彼らには、少し眠っていてもらおう。
そもそも、私が王城へきたのには訳がある。王城から、不思議な魔力を感じ取ったからだ。それがあまりにも不可思議なものであったから、私は直々に赴いてやったというわけだ。
「む、魔力の気配が濃い……」
私はおもむろに立ち止まった。とたんに遠巻きに私を窺っていた兵士達が私を取り囲む。私は小さく舌打ちをした。
歓迎してもらうのは、さっきも言ったようにありがたい。しかし、行き過ぎた歓迎は邪魔なだけだ。私は再び、愛用の棒を構えた。これぐらいの兵士の数ならば、一撃だろう。
さあ、来い。
「はぁい、そこまで〜」
ぎろりとにらみつけた私の気をそぐように、のんびりとした声が聞こえてきた。兵士達はその声に反応し、そそくさと道をあける。
私はその声の主に目を向けた。
「散れ散れ。後は俺様に任せておけ」
男の声に、兵士達は顔を見合わせ去っていく。
「暴走しそうだったら、僕が止めるから」
それでも去ろうとしなかった少数の兵士達に、男の後からやってきた少年が声をかけると、ようやく少数の兵士達は安心したように頷き、先に去っていった兵士達に続いた。
――一応は、助けてもらった事になるのだろうか。だとすれば、礼は言わねばなるまい。
私は考えて、現れた人物達に顔を向けた。
「うむ、皆の者、大儀であった。誉めてつかわすぞ」
男は私の顔をまじまじと見て、にやりと笑った。本能が、この男は油断ならぬ相手だと告げる。私は一歩だけ下がり、男との距離を少しばかり広げた。
「大儀とはね……。面白いな、そう来るとは」
「僕もそう返すとは思いもしなかった」
少年が男の言葉に相槌を返す。
私はその僅かな隙に、二人を観察した。はたして、彼らは私の臣下となるに相応しい人物か、それを見極めなくてはならない。
男は――どうやら魔法使いらしい。剣は所持しているものの、どう見ても、男の格好は魔法使いの礼服だ。それならば、兵士達が男の言葉に大人しく身をひいた理由もわかる。アーディルでは魔法使いというものの地位が高いのだ。
そして、少年。一瞬少女かとも思ったが、着ている服はしっかりと男物であったし、声も少女と言える程高くはない。
それにしても、この少年は一体どういう者なのだろうか。どこかで見たような気もするが、王城に知り合いがいるはずもない。私は少し首を傾げた。
「それで、あんた何者だ?何の用だ?」
失礼にも男が突然声を上げた。
「私の名を訊く前に、己の名を名乗るのが礼儀というものであろう」
私がもっともな事を言うと、男と少年は苦笑した。己の無礼さに気がついて、恥ずかしくなったのだろう。そういう事ならば、許さないわけにはいかない。
「名を名乗るがよい」
「名乗るがよいって……まあ、別にいいんだけどね。僕はシャルズ。どういう立場かな――そうだね、一応、捕らわれの御子息様って事で」
捕らわれの子息、とは。この国、裏では何をやっているのかわからんな。私は呆れたため息をついた。
「シャルズといえば、シャルズルアンを呼び起こす名前だな。伝説の魔神シャルズルアン。その名は禁忌の名前とも思っていたのだが」
その昔、アーディルのみならず、全世界を恐怖と混乱におとしめたといわれるシャルズルアン。只人であった彼は、魔精の王の力を借りて、魔神と呼ばれる存在になったといわれている。
その魔神を封じたのが、アーディルという地であり、それのせいで、魔精を召喚する事が出来るのはアーディルの魔法使いのみになってしまったのだとも言われている。
それが真実なのか、それとも御伽噺なのか、誰にもわかりはしないが、火のないところに煙はたたない。きっと、何らかの事実は含まれているのだろう。
「名前の由来は知らないよ。でも、シャルズという名前は今は亡き母がつけたと聞いているよ」
「へぇ……陛下ではないのか。俺はてっきり陛下だと思っていた」
シャルズはかぶりを振った。
「マスターがつけたのは、精々、ミドルネームぐらいだろ。うちの父さんが、かわいい息子のファーストネームをつける権利をゆずるとも思えないし」
成る程な、などと男が納得している。一体、どういう親なんだか。
それにしても、この少年、国王をマスターと呼ぶとは……すでに国王の忠実なる僕という事なのだろうか。
私は内心でうなった。彼が私の臣下に下りたいと言った場合、やはり、私は彼を諭すべきだろうか。しかし、無碍に断るのもかわいそうだ。……いや、待てよ。捕らわれの――という件からして、彼は強制的に?
「何か一人で考え込んでいるところ悪いが――俺はキール・ファルビアン。当然、偽名」
くくくっと男が笑う。シャルズが男を怪訝げに見やった。
「名前はキルサラム。職業は――公務員ってとこで。とりあえずはキールでいいさ」
キルサラム――といえば
「神王の名か。その昔、シャルズルアンを封じた神王キルサラムだな」
私が目を向けると、キールはにやりと笑った。よくよく、この男、この笑い方が好きなようだ。
と、シャルズがキールの足を蹴った。キールは大げさに痛がって見せている。
「嘘吐きだな、キール。キルサラムが本名だとは、初めて知ったよ」
「いや、分からんよ。俺は本当にキルサラムなのかもしれないし、はたまた、もっと別の名前……例えば、雷光院 春日なのかもしれない。俺は本名は、と言った覚えは一度もないね」
やはり、この男侮れない。下手に近付かない方が懸命なようだ。
私はやれやれとため息をついた。
別にこのキールがキルサラムであろうがなかろうが、どうでもいい。そもそも、私はこの男に会いにきたわけではないのだから。
「ところで、君、さあ」
シャルズが恐る恐るといった体で口を開いた。私はシャルズに顔を向けて、首を傾げる。一体どんな事を言い出すのか、興味があったのだ。
「もしかして、ルー君じゃない?ルーゼンテ・ナン君」
いかにも、その通り。私は頷きかけて、思わず固まった。
何故、彼がその名を知っているのか、分からなかったからだ。