クロス・ハート
[Valentine's Day]
>>後編<<
ラリエスのお坊ちゃまが勝ち誇ったように笑っている。
その前に、焦ったような影珠の姿。
そして、何故かシャルズは変わらず、にこにこと微笑んでいたりする――。
「シャルぅ!なんで、そんなに余裕なんだよ!」
「武器、考えてみればあそこにも置いてないなって思って」
考えてみれば、戦う事なんてなかったから、一級賢者となってから証であるペン以外の武器を持ったことがなかったのだ。
「それに、所詮、ラリエスのお坊ちゃまだし」
「ふっ……余裕をぶっこいていられるのも今だけだっ!」
ラリエスのお坊ちゃまは、ロッドを真っ直ぐシャルズに向けた。それが何の術かわからないまま、影珠はとりあえずの結界を張る。
「無駄だっ!我が声に応えよ、風臨!」
風が吹き起こる。影珠の結界では、物理的なものを防ぐことは出来ないため、シャルズの周りを強い風が取り囲んだ。
「我が名は影珠。影を司りし紫眼の一族の名において、収まれ風臨」
「これぐらいなら、余裕?」
「まあ、とりあえず」
ぶわり。
一度勢力を増した風は、すぐさま溶けるように収まっていく。
風臨は、魔精界から力そのものを取り出す魔法だ。場を作るのには、それが一番てっとり早いのだと、キールが言っていた事があった。
つまり、この魔法だけでは意味はなさない。しかし、それで作られた場で、協力な魔法を使えば、無傷ではすまないだろう。
「なかなかやるな。しかし、今までの俺と思うなっ!我が声に応えよ、火硫!」
流石に今度は間に合わない。
思わずペンに手を伸ばしたシャルズの動きをやんわりと押しとどめたのは、影珠でもシャルズでもない、別の人間の声であった。
「消えよ」
漆黒の髪に漆黒の瞳。その顔立ちは整いすぎていて、冷たい印象さえ与えてくるものだ。
「シャルズ様、ご無事ですか?」
「えっと……シアン……だったよね?」
一度だけキールに紹介された事のある、キールの最初のしもべの名前を言うと、始闇(シアン)は顔を綻ばせた。
「はい、その通りです」
綻ばせたままの顔で一礼し、今度は影珠に目を向けた。
「それは紫眼の長男か……。シャルズ様の事は命をかけてお守りをせねばならないだろう?」
言い返すかと思った影珠が、深く頭を垂れて溜息をついた。影珠らしからぬ殊勝な態度だ。
「お前ら、俺を無視するなっ!」
ラリエスのお坊ちゃまが繰り出した炎は、シャルズ達の前へ到達する前に勢いを無くして消えていく。始闇は影珠に向けていた視線をライレスのお坊ちゃまに向けて、冷たい微笑を浮かべた。
「我が現れた時点で、この場は我と我が主のものだ。――殺されたくなければ、早々に立ち去るがいい。……もっとも、逃げ出した先の――その角で我が主がてぐすねを引いて貴様を待ちわびておるだろうがな」
その言葉には、偽りはないようだった。試しに使おうとしてみた初期の魔法はシャルズのもとに効果をもたらすことなく、その存在自体を消してしまっている。
「魔精王様……」
乾いた声で、影珠が呟いた。
魔精王――魔精を統括する、魔精界の王。腐っても魔法使いのはしくれということか、その存在をラリエスのお坊ちゃまも知っていたのだろう。人間を相手にする方がましだと思ったのか、ラリエスのお坊ちゃまは慌てたようにきびすを返して逃げ出した。
「おろかな事を……」
一言、凍える声で呟くと、始闇はふたたびにこやかにシャルズを振り返った。
「ご心配なく、シャルズ様。今ごろあちらで――」
ついと始闇が遠くの角に目を向けた。シャルズと影珠もそれに倣うと……
でぎゃあっっ!
世にも不思議な叫び声が……。
「あのように我が主が成敗しております故」
「……魔精王様……。もしかして、魔精王様の主とは……」
「キール・ファルビアンだ」
恐る恐るといった体で影珠が尋ねると、始闇は事も無げに応えた。
「やっぱり……」
影珠はがくりと肩を落とした。
影珠は何故かキールを毛嫌いしている。天敵とでも思っているのか、とにかくキールと顔を合わせば言い争いに――しかも一方的な――発展する程のものなのだ。
「よお、影珠」
やがて、しばらくしてキールが姿を見せた。どうやら、ラリエスのお坊ちゃまの成敗は終わったらしい。
影珠は何かを言う気力もなくしていたのか、それとも魔精王の前で言い争いは出来なかったのか、がくりと肩を落としたまま、小さい唸り声をあげた。
「いつもどおりのバレンタインだったな」
宮殿のテラスから、夕暮れの町並みを見下ろしながら、キールがにやにやと笑いながら呟いた。
「成敗?」
問えば、そうだ、と軽い返事が返ってくる。
「それから、愛する人からのチョコレート、な」
それが本来のバレンタインなのだという事実を思い出して、シャルズは苦笑を浮かべた。
キールは遠距離恋愛中だ。彼女だけを愛していて、彼女以外の事を恋愛対象としてみることはないのだ、という。実際、キールはどんな手を使われようと、いつものペースを崩さず、どんな美女に告白されようと、冷たく振り払う事で有名だった。
「俺も贈ったけどな、一本だけ。赤いバラ。しかも、匿名。らしくなくて笑えるだろ?」
いつもは違うんだぞ?
キールは念を押すように一つ呟いて、苦笑を浮かべた。
「だけど、バレンタインはそういう事をしてはいけないような気がしてな」
「へぇ……キールでもそんな事考えるんだ」
「まあな。――そういう時もあるさ」
シャルズはキールの言葉に微笑んで、夕暮れの町並みに目を向けた。今でも、クロス・ハートはいたるところで起こっているのだろう。
「キール、僕って一応、メラフィの婚約者なわけだよね?」
「ん?――まあ、一応、あの酒場国王に言わせるとそうだよな」
「……人を好きになるのって、怖いね」
気になる人が出来た。だけど、それはまだ恋ではない。きっと、恋に変わるだろう想い。だから、今ならまだ引き返せる。
顎をテラスにのせて、自嘲を含めて微笑むと、頭上でキールがくつくつと笑い始めた。シャルズは憮然としてキールを見上げる。
「いいんじゃないのか。どうせ、あっちだって本気じゃないんだろうし」
「あっちって……メラフィ?」
「少なくとも、俺からしてみれば二人とも仲のいい知人ってところだしな。恋ってのは、もっと――もっと、焦って、取り返しのつかないような想いなんだと思う」
焦って取り返しのつかないようなことをしたんだろうか。
そんなシャルズの考えが顔に出ていたのか、キールはにやりと笑った。
「ま、犯罪ぎりぎりの行為を少々してしまいましたとさ。後悔はしていないけどな」
「……ぎりぎり?」
「そ。だから、俺はここにいるわけ」
キールはシャルズの頭を二度ほど叩くと、くるりときびすを返してテラスを後にした。
「……いいのか……なぁ」
シャルズは小さく呟いて、再び城下町に視線を向けた。
キールと話していたら、彼の影響を受けて、何が正しいのか、そして何が正しくないのかわからなくなってくる。キールの言葉のどこまでが本当の事なのかわからないというのに、それでも、キールの言葉には何故か説得力があるのだ。
「言ってみようか……」
メラフィに。
全てを打ち明けてみよう。
考えれば、何故だかすっきりとして、シャルズは苦笑した。
全てがうまくいくような、そんな気がした。
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