![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() |
【今回のあらすじ】地獄のバス旅を終えた私たちを待っていたのは混沌のジャカルタ北バスターミナル、雲助タ クシー、ミゼラブルなゲストハウス。がんばれ我々!負けるな我々!脱走だ我々!<さっそく負けてるやん。 1996/10/26 さて、30時間のバス長旅の始まり始まり。10時のバス、9時半にはバススタンド に来いと職員が言ったので、言われたとおりにやってくると目の前にエアコンバ スが。エアコンはエアコンなのだがなんだか超キタナイバス。臭くて、床が汚れ ていて、椅子が湿っていて、ハエがいっぱい飛んでいる。バスに乗れ!と指示さ れて、相棒と2人で真っ青になる。これなのか!? 相棒が必死で職員に食い下がり、通じない言語で確かめたところによるとこうで あった。とりあえずコレに乗ってここから離れた別のバスターミナルへ行き、バ スを乗り換える。乗り換え(希望の光キラリ☆)。そっかー。 ボロ臭バスは10時に出発し、ANSというバス会社で我々を降ろし、我々はそこで 待て!と再び指示された。いつまで待つねん。11時ごろまでだ!ということなの だが、「ごろまで」ってなんなんだ。インドネシア人の「ごろまで」。信頼性高 すぎて涙が。もしかすると我々はとてつもなく大きなマチガイを犯したのではあ るまいか。 ・ 飛行機 / 2時間 / 邦貨いちまんごせんえん ・ VIPバス / 30時間 / 邦貨ごせんえん ・ エアコンバス / 30時間 / 邦貨さんぜんごひゃくえん ・ ノンエアコン / 35時間 / 邦貨にせんさんびゃくえん で、我々は3500円のエアコンバスを選んでしまったのだ。朝10時発で、翌日の夕 方4時に到着という触れ込みだ。そしたら何てこと。もうすぐ1時なのに我々は まだパダンでバスを待っている。何でや?何でやねん? 一番いいVIPバスはもう2台も出発してしまった。1500円ケチったためにあれに 乗れず、こんな暑くて臭くてハエがいっぱいのところでいつ果てるとも知れない インド番組を見ているなんて…。しかし1500円と書くとたいしたこと無いように 思えるが、2人で3000円、60,000ルピアというと一週間分、下手すると10日分の 宿代である。この後にまだインド亜大陸の長旅を控えた我々、ケチりたくなるの もムリはないではないか。そしたら、このザマだ。 このバスはここパダンを出発点にしていると当然のごとく考えていたのだが、始 点から3時間も遅れるハズがないので、どうやらちがったようだ。ひょっとする とメダンあたりを起点とし、メダン―パパラット―ブキティンギ―とトランス・ スマトラ・ハイウェイをフルに走ってパダンを通過し、ジャカルタへ向かうらし い。パダン―ジャカルタ間には都市らしい都市はないから、パダンの後はジャカ ルタへ突っ走るのであろう。しかしパダンの前にはいくつからの街へちょこちょ こ寄り道をし、ゴハンを食べ、トイレ休憩をとりつつ走ってくるのだ。 メダン―パパラットが4〜5時間、パパラット―ブキティンギが8時間ぐらい、 ブキティンギ―パダンが2時間だから合計15時間、プラス食事やなにゃらかんや らで16〜17時間というところか。それが日によっては20時間になったりすること もある、ということなんだろうな〜あ〜あ〜あイヤになっちゃうな〜あ〜おっど っろいたっと。 しかし冗談ではないのが到着時間で、当初の目論見では午後4時にはジャカルタ に到着、つまり明るいうちにこの混乱した巨大な、しかも治安の悪い町にたどり つくつもりでいたのだが、もはや1時近い今もしすぐバスが来たとしても、30時 間後には夜の7時以降、すでに日は落ちている。だけではなく、5時ごろからバ ンコック並のラッシュが始まるはずなので、間違いなくそれに巻き込まれて到着 がさらに遅れる。多分10時とか11時ぐらい。下手すると日付変わっちゃうかな あ。しかもバスターミナルは市の中心から12キロほど離れているから、我々が目 指す安宿街へはタクシーを利用せざるを得ない。 宿代より高いタクシー代はまだいいとして、問題は安全である。治安である。人命である。 バスがやっときた。チケットをキャンセルして明日出直すべく、窓口で交渉して いる最中であった。すでに1時半だ。キャンセルしたいならここではなく、バス ターミナルまで戻って返金してもらえとのことであった。とりあえず来たバスを 見る。 バスは我々をここまで運んできたやつと同じタイプのバスだった。嗚呼。席は湿 っていないが、エアコンが入ると上から水がボタボタボタっと降ってきた。2 時、出発。実に四時間遅れである。しかもどういうことなのか全くわからんのだ が、このバス、想像していたようにパダンから走ってきたというわけでもなく、 ここが始発点なのだ。始発でなんでこんなに遅れるのだ?さっぱりわからんぞ。 悪夢のようなバス移動の始まり始まりである。バスは予想よりずっとボロく、汚 かった。窓は予想通り開けられないタイプ、いわゆるはめ殺しである。エアコン をかけると上から水が降ってくる。結構な量だ。冷房対策に用意していたサロン をかけようと上の棚にのせたデイパックを降ろすとなんてこと!灯油とおぼしき においの油がしっとり中までしみとおっている。くさいくさい。この油の匂いと ともに30時間を過ごすのか。だれだ好んでこんな旅をするやつは。私か。マゾ か。 と、隣や前の客がタバコを吸い始めた。これがあるから窓の開けられないのエアコン車はいやなのだ。真剣に気分が悪い。おまけにリクライニングシートが壊れていて、30時間ずっと寝っぱなしときたもんだ。 夜、エアコンがどんどん強くなり、油と水で湿ったサロンはどんどん私の体温を 奪いだしだ。なにしろ冷たい強風がひざにもろに吹き付けてきて、風を調整する 手段もない。夜中に寒さで目覚めた私は、荷物からレインコートを引っ張り出し て着込んだ。なんでバスの中でレインコートなのだ。 そうこうしていいるうちに、一番いいバス、スーパーエグゼクティブ様はどんど ん私たちを追い抜かしてゆく。このバスが30時間でつくとしたら、あのバスは半 分くらいで着くんじゃないかなあ。 1996/10/27 朝5時。バスはモスクの前で停まり、女性ばかりが全員降りていった。同時にラ ジオのボリューム全開。6時、朝食。しかし我々は眠かったのでパス。バスに残 って熟睡。夜は寒いのに昼間のエアコンの効きは悪い。開けられない窓の中で小 汗を流す。12時、昼食。初めてパダン料理を食べた。 |