当時は羽田からの出国で、コレラの予防注射も必要とのこと。予防注射は2回必要であったが、4日しかなく、出国直前に羽田で1回だけの予防注射を受けて、そのまま出発した。後で判ったがアメリカには必要なかった。旅行会社で必要と言われたように覚えているが、いい加減な旅行会社だ。
ロサンゼルスが初めての海外。ダウンタウンのヒルトン・ホテルで、なぜか一人部屋になってしまい、キングダブルサイズのベットの隅で一人寂しく初めての夜を過ごした。外では救急車だかパトカーだかのサイレン音が常に鳴り響いており、かなり不安な夜だった。
この時のロサンジェルスでのことは、今となっては覚えていることは余りないが、初めてのダウンタウンの観光をバスで回り全てが珍しかったこと、当時は日本にはなかったデズニーランドでの半日楽しく過ごしたことは覚えている。
次にサンフランシスコに行ったが、ツアーを開催している同じ旅行会社で、たまたまノンノンだかアンアンだかのツアーも一緒になって、女性が沢山いるツアーとしてサンフランシスコのツアー客相手のお店では知られたツアーだった。これを目当てにした日本人相手のお土産屋の客引きにワゴン車を出させて、サンフランシスコ案内をさせてしまった。サンフランシスコ映画で良くある、坂道を車で飛びながら走り回ったり、楽しい時を過ごしさせてもらった。数日後にこの客引きの日本人とバークレーの地下鉄の駅でばったり。留学中の日本人学生であった
気楽な独りでのツアーへの参加。別な日本人相手のお土産屋で安い物を買って、どこか危険でない、良いエロ映画館はないかを聞いた。教えてくれたのは、バスを乗り継いで行く場所。初めてのアメリカでのバス。降りる停留所の探し方、バスからの降り方など初めての経験。日本語しか出来ない人が、大きな都市で観光案内にないような所を探すには、日本人相手の土産物屋で聞くのが良い手かもしれない。
ある朝、ツアーの出発が早い日があり、一緒になったツアーの人の朝食に付き合った。知ったかぶりをして、あっちのホテルのレストランの方が人がいないよと連れて行き、ワン・ハンバーグ・プリーズ、ノータイム・ハリーと言ったら直ぐにハンバーグが出てきて、単語で通じると思ってしまった。これが切っ掛けで、この後10年くらい単語だけでアメリカ人とベラベラ話をしていた。単語だけでも結構通じる。所詮、コミュニケーションは、度胸である。今では、人に聞かれても恥ずかしくない程度に英語が出来るようになったが、子供のように耳で覚えた英会話なので、かえって頭で考えないので、普通の人より会話になっているようだ。