1ヶ月の香港


1983年4月

I社に勤務中、社内部門であったので、褒美のような形でセールス部門のご褒美ツアーであるコンベンションにスタッフとして参加した。

1週間に渡って1500人のセールス部門の人が来る大変なコンベンションで、1ヶ月に渡って香港で3つのホテルの客室と必要ホール、レストランなどの予約をする仕事でった。香港へ来る人数分の部屋を押さえるという簡単と思える仕事であったが、日々刻々と来る人数が変わる。その度に3つのホテルの予約数を変えるなど、大変な仕事であった。帰国後もしばらく夢に見るのは、人数を数えて、部屋が足りるか心配している場面だった。

初めは判り難かったホテルのマネージャー達の英語も、次第に判るようになり、最後には怒鳴りつけられるようにまでなった。英語は慣れと、度胸だ。アメリカ人やイギリス人の英語だけが正しい英語で、アジア人の英語はなまっていると思っていると、世界で通用する英語は喋れない。日本人の英語だって立派な英語だ。発音が変だなどと恥じていると、外人とは対等に話は出来ない。こっちは英語も日本語も話せるんだ位の度胸が欲しい。

カオルーンのシェラトン・ホテルに事務所もあり宿泊もしていた。ホテル内ばかりの仕事なので、食事や、たまの休日は外に出た。
香港の裏町の食堂は物珍しく面白い所ばかり。いつも朝食をとっていたのは、ホテルの裏路地の学校脇にあり、お粥とビーフンのセットで200円。学校へ行く生徒もビーフンをビニール袋に入れて持って行く。
たまたま昼食をこの店でとった時に、朝食と違ったメニューに戸惑ったが、隣にいた人がハムエッグライスを食べていた。皿に盛ったご飯の上にハムエッグを載せただけの食事だが、これが美味しい。少々の油とソース、柔らかい黄身が下のご飯と混ざっての美味しさ。今では我が家のご馳走の一つになった。

香港島へはスターフェリーと地下鉄で行ける。地下鉄は早いが、フェリーは少々時間は係るが、安いく趣がある。

地下鉄は香港島だけでなく、北へ行けば、香港の人々が住んでいる地方へも行ける。一番北の駅で降りると、歩いている人々は全て中国人で、大きなスーパーのようなのに出くわして、本当の香港の生活を垣間見たようで楽しい経験であった。


鉄道もあり、中国へも行き来している。3等だか4等だかの切符を買って、列車で1つか2つの駅を中国方面へ。中国から来た列車には沢山の人が乗っていたが、鶏から野菜など沢山の物も一緒に持ってくる。



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copyright 1999 Makoto Aida