生活に慣れるまで


銀行口座を作るにも、自動車免許を取るにも、ソウシャル・セキュリティ・ナンバーが必要である。これがないとアメリカでは普通の生活が出来ない。町の事務所で申込書を貰って、必要事項を記入して申し込むと、数週間で会社に到着。申し込み用紙には母親の結婚前の名字まで必要だ。

銀行はどこでも良かった。近所の適当な銀行で会社から貰った当座資金1万ドルくらいのトラベラーチェックを預金。大量なサインで大変だった。こんなことならば大きな額面で作れば良かった。

家具付きのアパートなんてなくて、自分達で全て買った。ベット、キッチンテーブル、リビングのテーブル、ソファー、すべての部屋の照明、カーテン、洗濯機と乾燥機、掃除機、ステレオなどなど。2年間で帰国するし、持っては帰れないし、お金は沢山はないしと、安い物を選んだがそれでも結構な出費だった。初めはガレージセールも回ったが、良いものはなかなかない。

日本のような地上波テレビ(日本で言う普通のテレビ局)は幾つかあるが、映りが全く悪い。結局ケーブルテレビになってしまう。付けたいというと直ぐに飛んで来てくれて接続してくれる。幾つかのパッケージ契約になっているが、20局くらい映るやつにするが、使い始めると英語番組ばかりだが結構少なく感じる。何時も面白いものはないかグルグルチャンネルを変えていて、一周して面白かったチャンネルを忘れてしまう。1回電話での営業があり、今なら安くもっと多いチャンネルのパッケージが安いよと言われ加入してしまった。いつから見れるのと聞いたら、今すぐと言われビックリ。局の方での発信で何か仕掛けがあるようで、本当に直ぐに見れるチャンネルが増えた。

新聞は会社からの手配で、1日後れの日経新聞が毎日配達されていた。経済に余り興味のない私には、日本の記事はあまり必要なかった。英語を読むことは得意でなかったが、地元の新聞を取らないと、何か面白いことが起きていても判らないので、新聞を取った。誰かが朝早くにアパートのドアの前に置いていっていた。1ヶ月で12ドルくらいだったと思う。特に終末は折り込み広告が多く、アメリカ人の好きなクーポンが沢山付いている。女房はクーポンを入れる箱を買ったりしたが、5セント、10セントという単位での割引では飽きて何もしなくなった。

電話は必需品である。加入時に長距離電話に加入するか、当然日本には頻繁に掛けるので加入するというと、どの会社にするのかと聞く。煩いな何処でも良いよと思うが、オペレーターに何処があるのと聞くと、知っているAT&T,MCIなどと言っているのでAT&Tにした。アメリカは公平を期すとのことで、市内電話会社は客の要望で、どの長距離電話会社とでも接続しなければいけないようです。

女房は英語もままならず、一日中アパート内にいて、毎日帰るとスーパーまで買い物。一日家に居るので相当フラストしていた。2回ほど乳母車に子供を乗せて、車では5分ほどの近くのスーパーまで行ったらしいが、歩道のないアメリカの道では道路を渡る時などに大変だったようだ。

アメリカでは車と電話がないと生活できない。車社会なので歩く人のことは考慮されていない。車がないと手足をもがれたに等しい。これはニューヨークなどの大都市での生活を除く。広い国土なので、車だけでなく、実際に行かないでも用が足せる電話も必須である。日本のように”電話失礼ですが”という社会ではない。

車も9年程の中古トヨタ セリカを買った。個人での売買が中心なので、探すのも結構大変。1200ドルだったと思う。これは結構程度が良くて、2年経った帰国時に、次に来た担当者に売り、その人も2年後に、また誰かに売って帰って来たようだ。
車には当たり外れが大きい。2台目は3年しか経っていないアメ車の中古だったが、これは1年半でクランクシャフトが落ちて、壊れてしまった。
車の保険加入が、これまた大変だった。カナダから来ている中国系の同僚が良くしてくれてたが、アメリカ式と思われる方法で私を鍛えてくれた。電話帳に載っている保険代理店に全て電話しろとの司令。通じない英語で何とか聞いたが、海外から来ているということで、殆ど全ての代理店に断られた。OKと言った会社には相当な料金を吹っかけられたが、ここ以外選択の余地がなかった。会社などの関連で保険加入できれば良いのだが。

中古車を買って、結構故障が多く、車の修理も大変重要なことだった。修理工の品質が良くないのか、何処かを直してもらうと、別な所がおかしくなったり、完全には直ってなかったりと大変だった。幸い同僚が外車専門の良い修理屋さんを紹介してくれたので、トヨタセリカは何とか修理で程度を保てた。ヨルダンあたりから移民してきた人だ。純正部品だと300ドルだけど、別なのだと30ドルだよとか、別な直し方があるから今度試してみるなどと、非常に親切丁寧だった。

州によって違うと思うが、日本の運転免許を持っていると、アメリカの免許試験を受けるだけ。机の上に2,3枚の写真での質問が20問ほど出るだけの選択試験。終わって英語が分かり難かったと係りの女性にいうと、日本語も含めて11カ国語の筆記試験もあるという。早く言ってくれよ。

隣町にトヨタが大きな工場を作っており、レキシントンにはトヨタを中心にした日本人コミュニティが出来ていた。女房は何かの関係で、日本人の奥さん連中と親しくなり、免許試験のアンチョコを貰ってきた。筆記試験が通ると、もう仮免で運転が出来る。女房は教習会社の人に数時間教えてもらって、路上試験。1回落ちたが、2回目でパス。

女房は免許を取り、車を買うと、それまでとは違って、子供をデイケアセンターに預けて、自分は習い事などに駆けずり回っていた。わが家の女房はアメリカが合っているようだ。

自分で一番嬉しかったのは、ビールが安かったこと。缶ビール24本入りの箱が日本では5000円以上だったが、アメリカでは7,8ドルだった。休みの日は女房、子供共になかなか起きてこないが、こちらは癖で早く起きてしまう。朝食なんか自分では作らないので、ビールを3,4本飲んで、ソファーに横になって、テレビでも見ながらウトウト。気楽な生活だ。


何とか生活らしい生活が始まって来たのは6ヶ月後くらいだ。6ヶ月も過ぎると、私も女房も車の運転は問題なくなり、車での旅が始まり出した。しかし、季節は既に秋も遅く、寒くなってきていた。



前ページ | 旅の思いで へ戻る | 次ページ


copyright 1999 Makoto Aida