フリー・ジャズ・フェスティバルという名前から、好きな前衛ジャズだと思っていたが、無料という意味のフリーだった。シカゴダウンタウンの湖畔の大きな公園で開催され、周りには沢山の露天が出ていて、いろいろな料理も楽しめる。一般の人のための音楽フェスティバルだが、ヨーロッパ前衛のグローブ・ユニティ・オーケストラも演奏をした。私らの期待したような前衛の演奏ではなかったが。
シカゴはミシガン湖畔の綺麗な町で、高級品店、ブルースなどの音楽、観光など結構楽しめる。ブルースは発祥の地という感じに近く、沢山のブルースクラブがある。普通の観光客が行けるエリアにも幾つかブルースクラブがあり、安全に低料金でブルースを楽しめる。
何処の都市でもある市内観光のバスに乗るといい。主要観光地は回れるし、好きな所で、途中下車できる。湖に出て行く観光船にも乗るべきだ。シカゴの道路は3層のようになっていて、川岸から反対側を見るとビックリする。町中の地上の道路を歩いていて、気が付くと地下を歩いていることもよくある。映画によく出てくるループというビルの3階位の高さを走っている電車もある。いずれも昼間は安全である。
キーウェストへの旅
初めてのクリスマス休暇シーズン。寒い所を避けて、暖かい所と思って、キーウェストへ行った。アトランタ経由マイアミ空港。レンタカーで4時間でキーウェストへ。途中から道は、例の有名な海の中の一本道。女房が運転している時にセブンマイルブリッジになり、登っている部分では空に向かって飛んでいるようになり、下りでは海に飛び込むような感じで、運転している女房は感激の叫び声を上げていた。
キーウェストでは海に入っている人も少々いるくらいに暖かかった。これが夏だと暑いのだろうと思われた。夜に子供がベットから落ち、夜中に吐いてしまい、プールでもすべて、少々吐いた。心配だったが何ともなく安心。子供連れの旅では心配事が多い。最南端のポイント、ヘミングウェイの家、海岸沿での夕日を見ながらの夕食など、楽しいことがいっぱいだった。
近くのコインランドリーで洗濯をしている最中に、脇にあるコーヒースタンドでエスプレッソ。カリブの人々が多いせいか、コーヒーが旨い。キーウェストでも一番安そうなエリアでのコーヒーだったが、美味しかった。
帰りはマイアミで2泊。泊まったヒルトンホテルの真ん前のビルが綺麗な色のイルミネーションで、部屋でカクテルを飲んでいても、何処かのバーで飲んでいるようは雰囲気。
マイアミはカリブ色で、これまでに行ったアメリカとは色が全く違っていた。一方マイアミビーチは引退した老人ばかりの町。しかも海岸で車を止めた時に駐車メーターが時間を少々過ぎてしまい、駐車違反となり、10ドルを支払いに行かなければならなかった。
しかし、暖かい。12月31日にレキシントンへ帰ったが、大変な温度差、雰囲気の差であった。
ニューヨークへの旅
ニューヨークへは出張を含めて3回位行った。1回は6月のニューヨークジャズフェスティバルに合わせて行った。わざわざ日本の旅行代理店に電話して、日本からのスイングジャーナルのツアーに合わせた。おかげでホテル代などかなり高く付いてしまった。そして、添乗員の手伝いまでしてしまった。しかし、日本のジャズ好きな人と久しぶりに話が出来て良かったのかな。
当時流行始めていたニッティングファクトリーに行った時、入り口でお金を払ってから女房、子供が遅いなと後ろを見ると、女房達の後ろから、高田馬場イントロの茂串さんが入ってきた。お互いに、こんな所で何をしているんだ、と話が始まった。異国の地での久しぶりの再会だった。スティーブ・コールマン、ジュリ・アレンのバンドを聞き、翌日はサンラ・アーケストラも一緒に聞いた。サンラが階段の踊り場で食事をしていたり、演奏中に子供がサンラのマネージャーに遊んでもらったりと、いろいろと面白かった。演奏終了後の深夜に、茂串と歩いて中華街に行き随分と沢山中華を食べた。ニューヨークならではの思いでだ。
後は、レキシントンで同じアパート群に住んでいる、トヨタ工場の建築に来ている大林組の一家と一緒に、時期を合わせて行った。あちらはジャズなど知らなかったが、折角のニューヨークなので、私が夜、子守りをして、女房の案内でジャズライブに行った。一緒にエンパイアステートビルにも登り、写真を撮ったり、食事をしたり、寿司バーで豪勢に飲んで食ってと楽しんだ。
ニューオルリンズ
レキシントン赴任1年後にパスポートが切れることになり、ニューオルリンズまで更新に行かなければいけないねと話している矢先に、友人のカメラマンが日本からニューオルリンズ、ニューヨークとアメリカに来ることになった。折角だからと、少々早いが会社の出張費を使ってニューオルリンズ行きを決めた。久々の再会でジャズを聞きながら飲もうと思っていたが、ここでは子供を連れて酒場に入れなかった。しかし、ビールはどこでも外で買えるし、バーはドアを開け放しているので、外で音楽を聴きながら飲むことは出来た。
ガンボスープが本当に美味しい。店名がガンボという店があり、美味しいスープを食べさせてくれた。フレンチコーターにホテルが取れず、歩いて少々の由緒正しいクラリオンホテルという古くて、部屋の驚くほど狭いホテル泊まったが、1階にテイクアウトのコーナーがあり、ここで買って食べたガンボスープがもっと美味しい。
ジャズの発祥のなどといわれるプリザーベーションホールや他のジャズクラブの音楽も聴いたが、ここのフレンチコーターのジャズは観光のための音楽で、真剣に聞くためのジャズではない。しかし、マリサリス一家のような人々がまだニューオルリンズから出てくるのだから、どこかで真剣に演奏をしているクラブもあるのだろう。
ロサンジェルス・サンフランシスコへの旅
ユナイテッド・エアラインのマイレッジが溜まって、1988年末、年始にかけて一家でロサンジェルス、サンフランシスコの旅をした。飛行機代はただだがホテル代はかかるので、観光案内で探して安そうなホテルを予約しておいた。初めのホテルは、地図で見るとマリナ・デル・レイの脇だったが、実際には運河を渡るので結構離れたモーテルだった。女房は虫が出たと騒いでいたが、スタジオタイプのまあまあのモーテルだったと思う。デズニーランド、ユニバーサルスタジオ、ベニスビーチと楽しんだ。
海岸線を車で北上してカーメルのモーテルへ。4室程が一緒になったバンガロー・タイプの部屋で、初日に女房が風呂でお湯をどんどん使ったので途中からお湯が出なくなり、一時は壊れたと騒ぎ立てたが、お湯の使い過ぎであった。アメリカ人は余り熱いお湯でシャワーや風呂を使わないので、ボイラーの容量が小さい。日本人の特に女性がお湯をどんどん使って風呂に入ると、小さなモーテルなどでは(一戸建てでも)直ぐにお湯が足りなくなってしまう。
昔私がモンタレーへ来た時の話をしたので、女房がカーメルへ来たがったのだ。やはり高級店が沢山あり、また海岸沿い、モンタレーの海岸、漁港、水族館などを楽しめた。モンタレーのフィシャーマンズワーフでは露天での食べ物や、カワウソだかなんだかに餌をあげたり、水族館でエイに触れたりと、小さい子供連れでも楽しめる。
海岸線沿いに北上してサンフランシスコに向う。途中道が細くなって、崖に切り立ったような所に出くわし、女房が運転を怖がったが、道が細くて車を止められずにそのまま運転していった。景色は非常に美しい。
サンフランシスコに12月31日に到着し、カウントダウンをユニオンスクエアで迎えたが、テレビで見るニューヨークのタイムズスクエアのようなカウントダウンや興奮はない。ただし酔っ払っている人が多く、割れたビンなども沢山散らばっていて危ない。
サンフランシスコ市内でも車でと思ったが、坂が多くて、坂道発信で1回失敗しそうになり、車は止めた。ケーブルカーやタクシーで十分だ。昔はなかったピアー39(?)など結構変わってしまった。女房子供をタクシーで帰して、昔ストリップが沢山あったノースビーチを独りで歩いたが、もう何もなくなっていた。何だかサンフランシスコは寂れてしまった感じがした。
レキシントンへ帰る時、サンフランシスコ空港で5時間程待たされた。シカゴ空港が雪で閉鎖されていて、シカゴ経由の便が出なかったのだ。出来れば、冬にはシカゴやデトロイトなど寒い所を経由する飛行機便は避けた方が賢明だ。