I 社にて


この会社では、仕事であろうが海外出張を褒美と考えていた。外資系と言われながら、全く日本的な会社だったと思う。こんなことなので世界を相手の仕事になっていないのだと思う。しかし、これが会社としての社員のモラルを考えている証とも思える。


初めての海外出張は、先に書いたように、1983年の香港だが、これは直接自分の仕事とは関係していない。

次が自分の仕事で、1985年にアメリカのラーレー、レキシントンへ行った。

その次が、2年間のアメリカへの赴任。

帰国翌年に会議出席のために、コロラド州ボルダー、ケンタッキー州レキシントンへ出張。ボルダーはユーザ数人との一緒の出張で、何だか日本人のツアーで行ったような旅だった。自分でレンタカーを借りなかったので、不便なこと。アメリカの田舎では車がないと生活できない。
ボルダーは小さな町で大学とI社の町の感じだった。向こうのマネージャーの家に夕食に招待されたが、何と山の中で、電気も来ていないし、道路も舗装されていない。田舎の暮らしが好きなアメリカ人が多いことを思い知らされた。

久々のレキシントン。部下の評価ミーティングと開発部門マネージャーとの会議、新規ビジネスの調査をした位の仕事であった。昔いたアパートを訪れると、裏のアパートに住んでいて、家で子供と良く遊んでいた小学生を見かけたので話し掛けると、覚えていない。1年経っただけで子供は忘れてしまうようだ。上の階にいたジャズ好きの黒人夫婦を訪れて、ジャズ談義。1年ぶりの町は懐かしかった。



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copyright 1999 Makoto Aida