written by ケイ・プロクシマ
「いつまで寝てるのよ。」 という階下の母の笑いながらも不機嫌な声に、 「はい?」 と、返事をしながら彰裕はベットの中で靴下をはいた。昨日寝るときに脱いだ 靴下は、ちょっと湿っていて、足先から不快感が広がった。スタジャンをパジ ャマの上にひっかけると大きなあくびをしながら下へ降りていった。妹がリビ ングでファミコンをしていた。何か言うと、不愉快な言葉が返ってくるようで 黙ったまま横を通りすぎた。彰裕は食卓に座って新聞を広げた。これといって 何も事件はない。今年も降水量が少ないことがトップ記事になっている。念入 りに化粧をした母が、ホットケーキの素を食卓において、 「ごはん、ないから。」 と言って、出掛けた。 彰裕は、新聞の端からちらっと、ホットケーキの素を見ただけでまた新聞に戻 った。 「お兄ちゃん、友達くるから、3時間ほど出かけてくれない?」 テレビの画面から目を離さずに、9つ年下の妹が言う。 彰裕は、返事をしない。 「お兄ちゃん、聞いてんの?」 友達じゃなくて、彼氏だろうと思うが、彰裕はあえて言わない。妹が聞いてか ら、5秒ぐらいたって、 「いくらで?」 と彰裕は言った。今日は、腹が立つほど天気がいい。 「お金取るの?せこいなあ。」 「親父は?」 「昨日から、泊りで接待ゴルフ。」 「3時間たったら、帰ってくるからな。何時にくるんだ?そいつは?」 「あと30分くらいで。」 時計は、11時30分を指している。彰裕は妹から千円受け取るとGパンに着 替えて、真っ白に汚れた黒のトレノで出かけた。行き先は、ハッピーパーラー だ。途中、ドライブスルーでハンバーガーとオレンジジュースを買った。公園 の駐車場に停まると、窓をあけてエンジンを止めた。まだ冷たい風が暑い車内 を適温に冷やしてくれる。彰裕は先週もホットケーキだったなと思いながら、 ハンバーガーをほおばった。お弁当をさげた親子連れがちょうど車の前を通り すぎる。この公園は広い芝生広場があった。父親のほうは、少なくとも5才は 自分より若く見える。 (そんなに若くて親父になってどうすんだよ。) と思ったが、昨日突然別れた美咲の言葉がふいに、浮かんだ。 「ねえ、将来の夢や希望はないの?」 彰裕は、美咲の意図がわからずにチョコパフェを食べるのをやめて黙り込んだ。 「もう、30なのよ。そんなに遊び回ってないで、何か人生の目標みたいなも のはないの?」 (まだ、30だ。そういえば、3週間も会ってなかったな。先週はパチンコして たんだっけ・・・・。) と彰裕は思いながら答えた。 「楽しく・・・・遊んで暮らしたい。」 美咲は、コーヒーを静かに置いて、宣言した。 「別れるから。」 「へ?」 「ひとりで、楽しく暮らしたら?」 美咲は、振り返らず喫茶店を出ていった。彰裕は茫然と彼女が消えたドアを見 つめてた。まだ、会って数分しか経ってない。 (別れをいうためにわざわざ休日の土曜日の午前中にこんなとこへ、呼び出し たのか。電話で済ませばいいのに。) 無料でセックスできる相手がいなくなったなと、彰裕は思った。 (俺があの時どう答えたら美咲は、別れを切りださなかっただろう?いや、 きっと何を言っても、別れたんだろう。) 彰裕はオレンジジュースをいっきに飲み干した。そして残りのハンバーガーを 口に入れるとエンジンをかけた。 (開店は、1時からだったな。) ハッピーパーラーにつくと、入口に、数人が並んでた。彰裕は、最後尾に並ん だ。あと、40分もある。スポーツ新聞でも買ってくればよかったと後悔した が、すでに自分の後にも列ができてたので、自分の前に並んでる奴を観察しな がら時間を過ごした。 「ちぇっ・・・・。」 彰裕は1時間も経たないうちに、パチンコ店からでてきた。あっという間に2 万円が消えてしまった。これ以上つぎこむと、給料日まで昼飯が食べられなく なる。車に乗って、キーを差し込むとデジタル表示の時計が、丁度2時2分に 変わった。あと、1時間もある。家に帰れない。 (そうだ、今週号のジャンプ買うの忘れてたんだ。) 彰裕はいつもの駐車場の広い本屋に行った。でも、あるべき場所にジャンプが なかった。 「すみません。ジャンプは?」 「・・・売り切れです。」 見ればわかるじゃん・・というような店員の態度に二度と来るもんかと思った。 本屋は、この町には腐るほどある。彰裕は、それから、3軒の本屋に立ち寄っ たが、どこにもジャンプがなかった。読みとばすのはいやだなと思ったが、な いものはどうしようもない。あきらめたとき、急にお腹がすいてきた。急にボ ンカレーが食べたくなった。 : : : : : 貴理子は、笑っていいとものオープニングで目が覚めた。もう1時だ。そう いえば昨日は、朝の3時までテレビを見てたのを覚えてる。目は覚めたけれど 体はだるくて起きられない。枕元のリモコンをとって音声を大きくした。ぼん やりしながら、映像を見てた。そういえば、トイレに行きたいと、貴理子は思 い出した。まだ、出血してるだろう。まだ、掻爬して3日目だから。12畳の ワンル〜ムマンションで、トイレは玄関の近くにあった。今日もやけに、遠く に感じる。 「よっこらしょ。」 掛け声も、なんとなく、だるそうに聞こえる。ベットから立ち上がるとそれは それで、すたすたとトイレまで、歩いていった。この部屋は地下鉄の駅から近 いし、コンビニへも近くだし、エレベータもついてて相場より安い家賃で、き れいだったけど、ユニットバスでトイレもいっしょなのが、難点といえば、そ うだった。 「げー。」 トイレの上には、鏡がついていた。見たくもない自分の顔を見てしまった。貴 理子は、また、ため息をついた。 「怒るだろうな。だって、どうしろっていうのよ。」 一人で住むようになって、独言が多くなった。貴理子は誰にも言わずに、金曜 日の午後、早退して、堕ろしてきた。もちろん、相手の男にも言ってない。な んせ、相手は中学生だったから。名前は和彦。上田和彦14才だ。貴理子とち ょうど10才違う。半年ほど前に交差点でぶつかって知り合った。貴理子が、 酔っ払っていてついナンパしたのだ。和彦は貴理子の好きな色白で病弱そうに 見えるきれいな少年だった。もっとも、和彦は貴理子を大学生だと思い、貴理 子も和彦を高校生だと思ってた。お互いの年令を知ったときには、もうすでに ホテルで抱き合った後だった。貴理子は、犯罪だ!と腰が抜けるほど驚いたが そういえば中学生も高校生も、見かけだけでは判断できにくいなと自分に言い 訳して納得した。和彦のほうは、 「童顔だな。」 と笑って言っただけだった。 それから、和彦は週末になると、貴理子の部屋に遊びにきてた。貴理子は、中 学生なんだなーと、思いながらも和彦の電話を待つようになった。和彦はうっ すら茶色にブリーチした前髪をかきあげながら、けだるそうにタバコに火を付 ける。それをじーっと見てるのがうれしかった。和彦の通う中学校は、この辺 りでは有名な私立の進学校で、エレベーターで高校まで進めた。タバコを吸う ような生徒はいないはずだ。きっと。受験生でもなくてそれほど子供でもなく て、でもおとなぶってもいなかった。貴理子は、まだ混沌とした未来をもつ少 年の話に、自分もまたそうであるかのように耳を傾けた。そして、言葉で言え ない気持ちを補うかのように、時折、抱き合って眠った。 あの日だ。貴理子は、いつも規則正しい生理がこなかった日、そう思った。 和彦は、週末にしか来ない。そう、思い込んでた。あの水曜日、貴理子は仕事 場の仲間とみんなで飲みにいって、ワインを飲みすぎてまた泥酔してしまった。 あまり、酒癖はいいほうじゃなかったけど、貴理子は楽しいお酒なんで、みん なによく誘われた。でもワインと日本酒には、ちょっと弱かった。で、先輩に 送ってもらったのだ。もちろん、その先輩は、前々から貴理子に目を付けてて 何かとチャンスを狙っていたのだけど、貴理子の趣味ではなかった。ひとりで 帰れると言うのに、勝手についてきてしまった。アパートのドアの前で 「ろーも、あーりがとーございまーす。」 と、振り返ったとたん、キスされてた。 「・・・。」 貴理子は、ちょっとだけしらふにかえると、先輩をつきとばして、部屋に入っ て鍵をかけた。でも、その場にすわりこんでしまった。目をつぶるといよいよ 頭がぐるぐるまわる。 (う〜ん。ベットで眠りたい。) と思った貴理子は、やっと立ち上がった。 「ピンポ〜ン」 ドアごしに、貴理子は怒鳴った。 「まだ、いたんですか?。」 「・・・・ぼくだけど。」 貴理子は、聞き覚えのある声にびっくりして、ドアをあけた。とたんに、乱暴 に後の壁に体を押しつけられた。長身の和彦に押さえ付けられると、貴理子は 身動きがとれなくなる。 「あいつは、誰なんだ?」 「・・・・・ただの上司よ。」 「好きなのか?」 「まっさか〜。」 和彦は、激しく口付けてきた。貴理子は、くらくらと意識が遠ざかった。 貴理子は、はっと目をさますと、あったかい布団の中にいて、隣で和彦がす ーすーと軽く寝息をたてて眠っているのに気が付いた。しかももう朝だ。 「あれ?なんで和彦が?」 と、独言。泥酔すると記憶がなくなることがある。意識はあって、しゃべった り、動いたりするんだけど、本人の意思はまったくない。しかも、まわりも、 それに気が付かない。酔っ払いなのは、そうなんだけど・・・。で、たいてい 穴があったら入りたいような発言や行動をしている。それにしても、昨日は和 彦とは飲みにいってない。のに、どうしてここにいるんだろう。今日は平日な のに学校はどうするつもりなのだろうか。なんでここにいるのか後で聞いてみ ようと貴理子は思った。喉が渇く。水を飲みたいとベットからおりると、ぬる ーと、足の内側をすべっていくものがある。 (もしかして・・・・。) 和彦の寝ている鼻を起きるまで、つまんでみた。 貴理子は、生理予定日から1週間もたたないうちに、妊娠判定薬を買ってき た。すぐにトイレにかけこむと、包装を解いて、どきどきしながらおしっこを かけた。ゆっくりゆっくり窓が曇って、やがてそれがハ〜トのピンクに染まっ て妊娠の判定をしたとき、貴理子は、堕ろすことを決めていた。相談しように も、相手は中学生なのだ。定期便の電話に今週は具合と気分が悪いのでくるな と告げた。和彦に知られたくはなかった。 貴理子はトイレから帰ってくるついでに冷蔵庫によって、エビアン水を一口 飲んだ。そして、よろよろとまたベットにもぐりこんだ。タモリも50近いの にーと思いながらいいとも増刊号を見てた。ふと、 「別れなきゃ。」 と独言。堕ろしたことが理由じゃない。できたことを言えなかったことが理由 だ。 (あと5年後だったら、私は29、和彦は19。駄目だ。学生じゃない。あと 10年後だったら、私は34、和彦は24。まだ、24才だ。) 貴理子は、考えるだけ無駄だと思って、テレビを見た。コンビニのCMで、タ レントがおいしそうに生クリ〜ムといちごを食べている。 「おいしそ〜。」 近くに、同じコンビニがある。食べたい。しんどい。食べたい。だるい。食べ たい。痛い。食べたい。歩きたくない。食べたい。食べたい。食べたい・・。 あと2時間たって、いいともが終わったら、買いにいこうと貴理子は決めた。 : : : : : : 「つまんない女でしょう。わたしって。」 「そうでもないよ。」 「そうでもないくらいなんだ?」 だめだ。嫌味ばっかり言ってしまう。きょうは、調子が悪い。 「どうしたの?」 「じゃあ、また」 律子は、いきなり電話を切った。東京からわざわざかけてくれているのに、こ っちから切ってしまった。切ってしまった自分が情けなくて、律子はさらに憂 欝になった。祐一郎が転勤で東京へ行ってしまってから律子は日々日々落ち込 んでいった。付き合いだしてからまだ6年だったが、律子はなんでも祐一郎に 合わせて生活をしていた。もう祐一郎なしでは、時間をつぶせなくなっていた。 そんな時に、いきなり、転勤が決まってしまったのだ。こっちにある工場を閉 鎖して東京にある工場に合併してしまったのだ。結婚の約束をしたわけではな かった。それらしい雰囲気はあった。お互いになくてはならない相手でもあっ た。しかし、結婚するにはまだ早すぎると祐一郎は思ったので、ついてこいと は言わなかった。律子は、いっしょにいけるものと思っていたので、がっかり してその時から、いろんな想像をしてしまうようになった。たとえば、東京に は祐一郎が隠している想い人がいるんじゃないか?とか、あいしてると言って る電話のむこうであっかんべーをしてる祐一郎とか、想像でさらに、どっと不 信感を増して、身に覚えのない祐一郎を責めて、責めて、決め付けて電話を切 るようになっていた。そのあとに、死にたくなるほど落ち込むのだった。毎度 お馴染みのパターンだったが、毎回本気で、死にたいと律子は思ってた。死ね ないのは、死ねない理由がその時に限って、ふと浮かんでしまうからだった。 律子は、歯科衛生士で今年、歯科医院に就職したばかりだった。個人の歯科医 院で、先生が一人、技工士が一人、あと歯科助手が一人いた。そこへ、いっき に4人の歯科衛生士が入ってきたのだ。その一人だった。なんでも、その年に 一度にいままでいた人が過労でやめていったらしい。2人の新人と2人の再就 職組だった。同じ頃にみんな就職したので、年令はそれぞれ違ってたがそれな りにうまくやっていた。仕事に慣れた頃、12時間労働で立ちっぱなしなので もっと休みをとるために時間をずらしてロ〜テ〜ションを組めることになった。 4人はその最小限の人数だった。風邪をひいても誰も休めない。だから、仕事 をやめて東京に行くとは、言い出せる環境ではなかった。もし、自分が抜けれ ば、全員毎日12時間労働に戻るのだった。しかも、ミラを買ったばっかりで 100万ほど親から借金してて毎月返していた。もちろん、親と同居で一人で 住めるほど給料も高くなかった。東京で再就職できたとしても、とても暮らし ていけなかった。でも、祐一郎と結婚すれば、別の話だったが。くたくたに疲 れる仕事のある平日はまだいいけど、土曜・日曜となると、一人で過ごす時間 の長さに耐えきれなくなりそうになった。電話して祐一郎が留守だったりする と、誰かとデートしてるんじゃないかとか、よけいな想像をしてしまってもっ と苦しくなった。自分より素敵な女性が、東京にはごまんといるだろうと思う 自分がいやで、自己嫌悪してしまう。天気のいい日には、祐一郎と出かける予 定がないので、ぽかぽかとした日光を浴びながら、死にたくなるのだ。先週の 日曜日は、髪を洗ってなかったので、死ぬのをやめた。先先週の日曜は、雨が 降っていたので死ぬのをやめた。先先先週の日曜は、なんでやめたのか、もう 忘れてしまった。もう一度、電話をかけた。 「もしもし。」 「もしもし。・・・・ご機嫌いかが?」 祐一郎は、どんなに電話をがちゃんと切っても、また、かけなおせば出てくれ た。 「すごーく、いい天気。迎えにきてよ。」 「・・・。」 「冗談よ。東京だもんね。」 ものすごく長い沈黙の後、律子はまた、 「もしもし・・・。」 と、消えるような声で言った。 「もしもし」 ちゃんと返ってくる。 「お腹すいたな。」 「お昼食べてないの?」 「う・・ん。食欲ないもん。」 「僕は、スパゲティを食べたよ。」 祐一郎の作るカルボナーラは絶品だ。律子はまた、哀しくなった。何か甘いも のが食べたくなった。リーベンデールアイスクリームのチョコレートを買いに いかなくちゃいけないので、今週も死ねなくなった。 : : : : : そのコンビニエンスストアは、地下鉄の入口の階段の前にあった。その横に はバス停もあったのでお客も多かった。しかもこの場所にはもったいない程広 い駐車場があったので、夜も人が多くやってきた。午後3時半、そろそろファ ンファーレのなるころだなと、アルバイトの金森清一は、思った。ポケットに は、10レースの馬券が入っている。と、黒のすごく汚れたトレノが駐車場に はいってきた。 「くっそー。」 まあ、しょうがない。バイトだバイト。裏に入って中継を見るのは、はじめか らあきらめていた。めずらしく客がいなくて、店長がちょっと用事で抜けたも のだから、思いついただけだった。 「いらっしゃいませ。」 反射的に声をだした。入ってきたのは、ちょっと青ざめた女だった。足取りが 重そうで、こころなしか、がにまたにも見える。いつも仕事の帰りに寄ってい くあの女だ。きょうは、別人に見える。デザートのほうへ歩いていくのを見て いると、また、誰か入ってきた。さっきのトレノから降りてきた男だ。 「いらっしゃいませ。」 最初、バイトにはいったころ、いらっしゃいませが言えなかった。1ヵ月も立 たないうちに、それは、自然になった。もう、ドアが開く音がすると、見もし ないで言ってる自分にときどき、やな感じがした。この男は、はじめてみるな と金森は思った。自慢じゃないが、一度見た客は忘れない。無駄な記憶力だ。 単調なバイトで、人間を見てるのだけが楽しみになっていった。生理用品や避 妊用具を買っていく人間は、入ってくる時から、なんとなくそわそわしている ように思えた。男は、レトルトのカレーが並んでいるところへ歩いていった。 「いらっしゃいませ。」 そういえば、さっきミラが駐車場にはいってきてた。若い女だ。好みのタイプ だ。あ、こいつは、男といつもいちゃいちゃしながらきてた子だ。そういえば 最近暗い顔して変わったもの買っていくよな。ポンプ式のシャンプーとか。ア イスクリームの棚のほうに行くみたいだな。今日は。最初に入ってきた女は、 苺と生クリ〜ムのはいったカップを2つ腕にかかえて、雑誌のほうに移動して た。女性週刊誌を手にとって見ている。男は、ボンカレーの辛口をもって、お 弁当のコーナーにいってごはんを見ていた。 「きゃあ。」 アイスクリームの棚のほうから、小さい悲鳴が聞こえたのでそっちに目をやる と、たくさんのアイスクリームが床にころがってて、若い女がそれをうんざり した顔でゆっくり棚に戻している。チャンスだ。さり気なく手伝うふりして、 お友達になったりして。と、雑誌のコーナーにいたはずの女が目の前に立って いて、ボンカレーとごはんを手に持った男に 「あ、どうも。」 と言っていた。レジがかち合ったんだな。しょうがない。仕事だ仕事。 「ありがとうございました。」 女は、うれしそうにお金を払うと、やっぱりちょっとつらそうに、帰っていっ た。その後姿を首を傾げて見てたら、レジを待ってる男も、その姿を見送って いるのに気が付いて、おかしくなった。この男は地下鉄もバスも使わない奴で たまたま車で通りかかったんだろうな。やっぱり、初めて見るような気がする。 けど、まあ、どうでもいいや。 「ありがとうございました。」 まだ、アイスクリームは床に何個かころがっている。他に誰も客がいないので 金森はレジのカウンターを出て女のほうに近づいていった。 「だいじょうぶですか?」 と、いうのに、女は返事をしない。かける言葉を間違えたかな。女は最後の1 個を棚に戻すと、改めて落ちてないきれいなアイスクリームを棚から取り出し た。女はまるで金森が存在してないかのようにレジにむかったので、金森も走 って戻った。 「ありがとうございました。」 時計は、3時45分を指していた。
© 1996 ケイ・プロクシマ
VZC27929@pcvan.or.jpイラスト:茂木ぽん
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