written by WATA
英志君、有紀子さん、本日はご結婚おめでとうございます。また、この佳き日 をお迎えになられるにあたり、お二人を暖かく見守られていらっしゃった、ご 両家のご両親様、本当にご苦労さまでした。結婚式という人生の大きな節目の 式典に、お招きにあずかる、ということは終生の慶びであります。ありがとう ございました。 阪神大震災で始まり、地下鉄サリン事件と続いた昨年は、私、個人といたしま しては、人の幸福とは何か、ということを考えさせられた一年でした。私なり に考えました、人の幸福というものについて、ここで少しお話しをして、お二 人へのはなむけのことばとさせていただきます。 世の中には、一般に、「不幸である」と考えられている人々としていわゆる 「障害」を持った方々がいらっしゃいます。さまざまな障害が考えられますが、 中でも重度と呼ばれる障害を背負ってこの世に生まれてきた方々は、一生かか っても知性として一、二歳のレベルにしか到達しない、と言われています。八 十年あまりの人生を、一、二歳として過ごす。この人生の間に、障害を持った 方々や、この方々をとりまく、ご家族には、幸福な生活など存在しないのでし ょうか。いったい何を支えとして生きて行けばよいのでしょうか。 しかし、現実は違います。重い障害を背負った方々にも、幸福な生き方は存在 するのです。音楽を好み、複数のクラッシック音楽を聞き分け、簡単な作曲す らできる。ことばは発せられないまでも、喜怒哀楽の情を理解し、まわりの人 々をいたわることができる。四季それぞれ咲く花の美しさがわかる。など、な ど、障害にかかわらず、周りの者にとって、暮らしやすい生き方をしている方 々が実は多く存在しているのです。 そればかりか、家族が一丸となって、この方の幸福を考えられるようになる。 家庭には、常に愛情が溢れる。そこでは、スプーンを持って食事をすることが、 よちよちと歩くことが、声をあげて笑うことが、いえ、そうです、生きている というそのこと自体が本人や家族にとって、大きな喜びとなるのです。果たし てこれ以上の幸福というものが、この世に存在するでしょうか。 なぜ、このようなことが可能となるのか。それは、知性は育たなくても、心は 人生の年月の分だけ、育っていくからです。 障害者の方々が幸福な生き方をするかどうかは、単純には「心と体の安定」が 日々得られるかどうかと関わってきます。心と体が安定しなければ人の幸福な どないのです。 ではどうしたら、心と体が安定するのか。これは次の二つのことがらと結びつ いています。その一つ目は、この方々が「能力内自立」ができるかどうか、と いうことです。つまり、障害のない一般の人々を目標にして、これに少しでも 近づけようとするのではなく、自身の限界を十分理解した上で、できることを 実現して行く。そして、その人が今できることよりほんの少し上のことを目標 とする。これが能力内自立です。 そして、二つ目は、「快と不快のバランスの良い体験」です。どのような科学 的な測定を行ったかについては詳しく存じあげませんが、人の心が正しく育っ て行くためには、人が一日の内に経験することの七割以上が「快」の体験でな くてはならない、とされています。これはおおざっぱに言えば、一回叱ったら 三回以上はほめてあげなければならない、ということです。障害を持つが故に、 ともすると不快な体験ばかり接しがちになってしまいます。反面、快の体験ば かりでも、周りの者達との協調を学ぶことはできません。 「能力内自立」と「快と不快のバランスの良い体験」によって、人は心と体を 安定させることができるのです。 振り返って考えますに、あのさまざまな事件を引き起こした教団の中心となっ た人々は、人々をリードすることのできる、高い知性を身につけた人々でした。 しかし、彼らは、間もなくこの世に終末が来て、そのために防衛戦争を行わな ければならない、という自分の能力を越えたことを考え、これを実行に移し、 やがては組織の中から崩壊して行きました。つまり、能力内自立することを忘 れ、修行という名のもので、異常な体験を積み、心と体の安定を失っていった のです。彼らが正しく能力内自立と、健全な心の育成に励んでいましたら、こ のような不幸な事件はおきなかったことでしょう。 このように、障害を持った方々の指針となることであっても、基本的なことと して、健常な人々の指針となるのです。そして、あの教団の人々の犯した罪の 深さを考えると、このように単純なことでも、その実践はとても難しい。強い 意志が必要となります。 話を少し変えて、二人の画家の人生について、考えてみたいと思います。 まず一人目はビンセント・バン・ゴッホです。ご承知のように、ゴッホは炎の ような印象を見る人に与える情熱的な作品を残しました。反面、社会に自分を 適応させることができず、周りの人を、やがては自分自身すら信じられなくな りました。数回の自殺未遂を繰り返した末、ピストル自殺したのです。晩年の 作品は、自身の孤独を反映する、陰惨なものしか見られません。すばらしい芸 術作品を世に残しながらも、自殺に到達したゴッホの生き方は、幸福なもので あったとは言えないでしょう。 もう一人はシャガールです。90歳を越えて他界するまで、人を愛する喜び、 生きることのすばらしさをテーマに作品を作り続けました。ゴッホと比較する までもなく、シャガールの人生は、私たちが手本としたい、幸福なものです。 しかし、シャガールの人生は、決して平坦なものではなかったのです。第一次 と第二次の二つの世界大戦をユダヤ人として過ごし、戦争の終結とともに、人 生の伴侶も失いました。戦時中は「官能主義」と批判され、いくつかの国を渡 り歩きました。 思いますに、この世で生きていくからには、どうしても、つらいこと、苦しい ことに出会わなければなりません。このことは、どのような人に対しても例外 はありません。しかも不幸は突然前触れもなく人々を襲ってきます。私たちは ともすると、人を憎み、恨み、妬むようになる。この世の中で生きていくこと に絶望してしまわないことの方が不思議なくらいです。人の公正と信義を重ん じ、明るい未来が来ることを信じられなければ、人の幸福などないのです。9 0歳の生涯を一貫して、生きることの喜びを描き続けたシャガールに対し、わ たしたちはその強い信念を感じないではいられません。 人が幸福となるためには、強い意志と不断の努力が必要です。お二人には、今 日この佳き日の感動をいつまでも忘れることなく、これから先の人生を生きる 際の大いなる勇気とされるよう、心よりお祈りして、また、この場に出席され たすべての方々の健康と幸福をお祈りして、私の挨拶を終わらせていただきま す。
© 1996 WATA
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