不可抗力


                      written by 岩屋山椒魚

 人生は不可抗力である。この世に生をうけるということは、自分自身の意志 に基づく主体的選択によるものではない。気がついたときには生れてしまって いる。いやだ、こんな世の中には生まれたくなかったと、きみはぼやくかもし れない。生んでくれと頼んだ覚えはないぞと、親を恨んでいるかもしれない。 しかし、もう手遅れである。きみはこの世に生まれてしまった。生まれてしま ったからにはいやもおうもなく、しばらくの間は生きていなければならない。  しばらくの間という留保をつけたのは、放っておけば、人間はやがて死ぬか らである。そして、人生が不可抗力であるように、死もまた不可抗力なのであ る。なぜ、おれが死ななければならないのだ。おれは死にたくないと泣きわめ いてもムダである。不良長寿の薬を求めてもムダである。春山茂雄という人の 「脳内革命」に書いてあるように、食生活を工夫し、体操と瞑想の習慣を身に つければ、もしかすると、140歳位までは生きられるかもしれない。しかし、 それが限界である。人間はいくら頑張っても、それ以上の長寿は期待できない。  要するに、人生は二つの不可抗力にはさまれたサンドイッチの中味のような ものである。人間はサンドイッチの中味のような運命に甘んじながら、それで もふだんはささやかな幸せを見つけて暮らしている。極端な不運に見舞われた り、絶望にうちひしがれたりすると、衝動的に自殺して、人生にけりをつける 者もいるが、私が観察した限りでは、ガンの末期患者やアルツハイマーの患者 などでも本気で早く死にたいと思っている者は一人もいない。尊厳などはどう でもいい。なりふりかまわず、とにかく生きられる限りは生きたいというのが 人間の本性である。  この人生不可抗力説は、私には疑うべくもない真理であると思われるが、不 思議なもので世の中にはこのような自明の真理に対してさえも異論をとなえる 者がいる。たとえば、オカルト井守という偏屈な詩人やイグアナ戸蔭という詐 欺師まがいの宗教ブローカーがそうである。  「人生は偶然ではなく、必然だ。しかも、その必然にはおれたちの自由意志 がかかわっているのだ」と井守は言う。  「そんな馬鹿なことがあるものか」と私は言い返した。「きみがこの世に生 まれたのは、きみの父親と母親が性交渉をもった結果、一個の精子と一個の卵 子がたまたま結合して、母親が受精したためだ。それ以前のきみは、およそ3 億個もある精子のうちのたった一個にすぎない。精子に自由意志があるとでも いうのかね」  「もちろんあるさ。花や石に自由意志があるように、精子や卵子にも自由意 志はある。それだけではなく、精子や卵子をつくりだす諸要素にも自由意志は ある。おれはそれらの諸要素の複合体だったのだ」と井守は確信ありげに言っ た。  「すると、きみは、かっては複合体だったが、いまは個体だという訳か」  「いまだって、複合体さ。おれは、エンドルフィンやアドレナリンやウイル スなどもろもろのものから構成されている」  「しかし、きみという人格はひとつではないのか」  「ひとつであると同時にマルチだ。つまり、一即多だよ」  「しかし、そもそも、精子やエンドルフィンに自由意志があるなどというこ とは科学的に証明できないだろう」  「自由意志がないということも証明できないさ。精子やエンドルフィンには 膨大な情報が記憶されている。そして、それらの情報の中に自由意志を働かせ るカギがかくされている。おれたちはそのカギを使って、主体的に父親と母親 を選び、精子と卵子を結合させたのだ」  一方、宗教ブローカーのイグアナ戸蔭は、神を信じているという。ただし、 戸蔭の信じている神は、一種の詐欺師である。  「あの地球という星で、人間に生まれたら、幸せになれますよ」といって、 神は無知な宇宙人たちをだまし、幸福保険の契約書にサインさせて、どんどん 送り込んできているそうだ。たしかに、人間は幸福に恵まれることもあるが、 残念ながらその幸福はつかのまのはかないもので、長続きしない。その最大の 理由は、人間がいつかは死んでしまうという不可抗力の運命に従わなければな らないからである。  幸福保険というのは、万一幸せになれなかった場合は補償するという保険で ある。しかし、「話が違うじゃないか。補償してくれ」と怒って、神にクレー ムをつけても、まず補償してもらえない。  「契約書をよく読んで下さい。不可抗力(force majeure)条項というのがあ って、たとえば天災(Act of God)などによって不幸になった場合は、免責さ れることになっています」と言われるのがおちである。  神に見放されて、不幸にうちひしがれている人間には、戸蔭のような宗教ブ ローカーが近寄ってきて、今度は死後の幸せにあずかるために神を信仰するこ とをすすめる。不幸な人々は、おぼれる者はわらをつかむような心境で、ふた たび神を信じ、戸蔭たちブローカーにお布施を払う。  「それで、きみ自身は死後の人生と幸福を信じているのか」と私は戸蔭に聞 いたことがある。  「もちろん信じているさ」と戸蔭は答えた。「いま、神と死後の人生のため の幸福保険の契約交渉をしているところだ。不可抗力の免責条項ははずしても らおうと思っているがね」  私と井守と戸蔭の考えのうち、どれが正しいときみは思うだろうか。意外な ことに、私の人生不可抗力説よりも、へっぽこ詩人や詐欺師まがいの宗教ブロ ーカーの説の方が支持者が多いようだ。私にはファンが一人もいないのに、井 守や戸蔭にはファンがいる。まったく、世の中はどうなっているのだろう。馬 鹿馬鹿しくて人間なんかやっていらない。(とはいうものの、私もまだ本気で 死にたいとは思っていないが)。                                 (了)

Copyright (C) 1996 by 岩屋山椒魚

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