1999年11月30日の京都
                                                         written by 山羊 

 
 
 

↑賤ヶ岳サービスエリア 

 

浄住寺 

 

↑地蔵院 

 

↑鈴虫寺 

 

↑常寂光寺 

 

    ↑湯豆腐の店の竹矢来 

 

【第1日】
 昨年は京都行きが叶わなかったので、今年はぜひ出かけたいと思っていました。カミさんの元勤務先(NTT)の京都宿泊所に予約を入れておいたのですが、ある日、クレジットカード会社から定期的に送られてくる刊行物に目を通していた彼女が、 

「あなた、全日空ホテルが1泊2食付で1万円ですってよ」 

というので、急遽そちらに切り替えることにした。端から今回は、定番にしていた大原三千院や、帰路に立ち寄る奈良の山中の岩船寺・浄瑠璃寺ははずすことにしていたので、たったの1泊ですけど都心のホテルは、願ってもないベースキャンプ地点でありました。 

  

 11月29日午前7時、北陸道に乗り込んで、時雨模様の魚津を後にしました。今庄(福井県)辺で雪が舞ってたのには驚きました。途中、米原近くの賤ヶ岳サービスエリアで一休み。 

  

 ホテルがそんなにプライスダウンするのは、紅葉も見ごろを過ぎたからなんだろう、さすれば、名残のそれってのもいいんじゃないかぐらいに思っていました。そして、今まで見落としていた古寺を巡礼するのが目的なんだから、場所などをよく調べておくようにと、カミさんには言い含めておきました。俺はドライブが趣味の、叙情に弱いムード派なんだからな、と自分自身に言い聞かせたりして(笑)。というわけで、前回(「韋駄天の北海道」)に引き続き、画像を羅列することになりますので悪しからず。名神道に入ってからは、青空が見えてきました。 

  

 京都南を降りたのが10時半、430キロ余りを3時間半で走破したことになる、相変わらず速い。(笑)まずは洛西に向かってくれとおっしゃる。7年前に大枚をはたいて求めたカーナビ、最近のものほど派手ではないが、機能だけは未だに衰えていません。 

  

 最初にお参りしたのが(笑)浄住寺。石段の上の本堂に向けたのよりは、見返りに山門方向を覗いたカメラアイに鮮烈な紅が飛び込んできました。人影もまばら、やはりウィークデーに来てよかったと、悦にいっていました。じつは、知らぬが仏状態だったのです。 

  

 偉そうな言い方をしましたが、以下の写真はド素人が手慰みに、芸術性よりは、どちらかというと速報性(でもないか笑))と奇を衒う狙いのものをひけらかすことに相なりましょう。 

  

 本道から入った道と直角に交差する、車1台がやっと通れるような細い道が、左、浄住寺、右、地蔵院と別れていました。引き返して地蔵院に到達しました。カミさんが、ここのもみじは青竹の間から望めるのがいいのだと、物の本にある、というので写してみました。俗に「竹の寺」とも呼ばれているらしい。 

  

 地蔵院の前の道をさらに進むと行き止まりになっていました。そこで車を勝手口の前あたりに止めて歩いてみました。行き止まりの先が急な階段で下がっていけるようになっていて、すぐ正面がかの有名な苔寺でありました。もちろん苔寺は最近は予約制になっていて振りの客は入れてもらえません。カミさんだけが鈴虫寺に参詣ということになりました。 

  

 時間は午後3時過ぎ、ホテルに向かうのはまだ早すぎると京都詣でのメッカ、嵯峨野に立ち寄ることにしました。ここで事態は一変しました。嵐山界隈はバス、バス、バス……、人、人、人……の波。京都に来て、かってこれほどの渋滞に巻きこまれたことはありませんでした。こらえ切れずに空いている道を選んだら、迷路に嵌った格好になってしまいました。「京都の人より京都の道を知っている」がキャッチコピーであったカーナビもさっぱり使いこなせず、ついカミさんに当たり散らしたりしてしまいました。 

  

 とある小路に車をとめて数分歩いただろうか、常寂光寺の入口に立ったのは4時近く、ここでもぼくは境内に入るのをやめ、付近を散策しながら女房が出てくるのを待ちました。日が翳ってきたのかあたりが薄暗くなってきていました。若い女性の二人連れにカメラのシャッターを押してくれと頼まれました。 

  

 幾度か訪れた落柿舎などは敬遠して、化野念仏寺のあたりまで歩を伸ばしました。いい加減疲れも出てきたようなので、踵を返すことにしました。あてがわれた部屋は8階建てホテルの7階、二条城のすぐまん前でしたが、残念ながら、窓は反対側に開いていました。夕食は7時からとのことだったので、それまでの小1時間ほど体を横たえました。ぼくはバッタン、キューだったらしい。夕食後、タクシーを拾って清水寺のライトアップを観に出かけました。翌30日までとかいってましたが、午後9時近いというのに人の波がうねっていました。 

  

 

 
  

 

 
 

↑永観堂 

 

 

↑南禅寺(3枚) 

 

↑京都疎水 

 

 

↑東福寺(3枚) 

 

↑↓光明寺(4枚) 

 

【第2日】
 7時からの朝食は込み合うという情報を、フロントで仕入れてきたカミさんに急かされて、なにはともあれ腹ごしらえということに相成りました。オムレツが柔らかすぎて苦労しました。本日は洛東エリアに行きましょう、とのたまう。 

  

 さすがに京都の朝は冷え冷えとしていました。まずは永観堂を訪れました。アマ・プロのカメラマンが、自然が巧まずして創りだした澄んだ色彩を記録にとどめるのはこのときとばかりに、盛んにシャッターを切っていました。 

  

 境内に幼稚園があって子供らの声が響いていました。そういえば3年前だったか、やはりこの時間帯に来たことがありました。そのとき、梅原猛さんがお孫さんの手を引いて歩いておられるのを見て、感動したのを覚えています。こんなとき先生は、一体何を考えていらっしゃるのだろうなどと思ったりして……。() 

  

 すぐ近くかと思っていた南禅寺まで、ちょっとした距離がありました。このお寺はとてつもなくスケールが大きい。落ち葉を炊く煙りがその空間に漂って、古寺の趣が一段と増幅されているようでした。 

  

 境内を、古代ローマを思わせる赤レンガのアーチがよぎっていました。京都疎水です。このアーチは水路閣と呼ばれているらしく、異国風の建築物が鬱蒼とした森に、違和感なく溶け込んでいるのが、なにか不思議な感じでした。ここにもあちこちにカメラを構える人が見受けられました。 

  

 ゆうべ清水寺へ行くときのタクシーの運ちゃんが、明日になると人出は大分少なくなるでしょうといっていました。そのように願っています。ところで、今ごろの見所はどこでしょう?というと、光明寺あたりがいいのではということだった。東福寺などはもう過ぎているでしょう?といえば、いやまだまだ見られるはずですよ、とも。 

  

 光明寺は長岡京市にある。国道171号線をずっと神戸方面に向かわなければなりません。で、余り気が進まなかったのですが、先に東福寺に立ち寄ることにしました。じつは3年前は雨の中、傘をさした観光バスの団体さんの人ごみにもまれ、中に入ったはいいものの、すっかり落葉が進んでいて、非常に味気ない気持ちにさせられたものでした。しかし今日は天気もいいし幾分混雑はなそうだったので、南禅寺を後にして東山通を南下しました。 

  

  

  

  

  

  

  

  

 ラッキーでした。幾度か来たことのある東福寺でこれほどの光景を見るのは、はじめての体験でした。ネグレクトしなくてよかったと思うことしきり。横通に小さなお寺があって、そこの祠が気に入ってシャッターを切りました。 

  

 さて、先を急ぐことにいたします。 

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

  

 光明寺にははじめてやってきました。東福寺からだと最短コースをたどれば15、6キロくらいだったことをあとから知ったのですが、少し迂回したらしくかれこれ1時間以上を優に費やしました。 

  

 しかしここの紅葉は見事でした。まさに圧巻、といっていいほど。山門を入ったところでなにやら人だかり、時代劇の撮影をやっていました。どうも主役は役所浩二みたいでした。間じかに見たカミさんが、私を見てやさしく微笑んでくれたといってしきりに感動していました。() 

  

 今度の京都行きの掉尾を飾るに相応しいエンディングではありました。 

  

(つまらぬ写真を羅列しました。市販の雑誌などにはもっと綺麗な写真が載ってるのでしょうけど……、お目障りであったかもしれません。悪しからず)

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