Innocentia>

Chapter 3

"Joy To The World"


アスカがパーティーに来なかったのは、気に入ったドレスが無かったからだったそう だった。

聞くところによると、彼女はあのパーティーの朝、着て行こうと思っていたドレスが 実は破れていたのを見つけて、急遽どこかでドレスを調達してからパーティーに参加しよう と思ったそうだ。

しかし、街にあるお店をまわってはみたものの、なかなか気に入ったドレスが無い。

そうして探しているうちに、パーティーの時刻は過ぎて、なあなあのうちに出席しな かったのがという。

はっきり言って、シンジには理解しがたい理由だったが、それがシンジがあとでアス カの母から聞いた、アスカの欠席理由だった。

シンジとしては、訳が分からない、といった心境だったが、レイやユイがそれを聞い て妙に納得しているのを見て、女性というのはそういうものなのかもしれない、と無理矢理 自分を納得させた。

その、ゲンドウを除いた碇一家の面々、シンジ、レイ、ユイ、の三人は、今冬月教授 の所に挨拶に来ていた。

「ふむ。しかしシンジ君もレイ君も、そんな歳になったんだなあ。最近、自分が歳を とったような気がするのも、気のせいだけではないようだな。」

冬月が、多少の冗談混じりとはいえ、苦笑しながらそう言った。

「そんな。教授もまだまだこれからじゃありませんか。」

ユイがあわててそういう。

「なになに、私はシンジ君を生まれる前から、君のお腹の中にいるときから知ってい るんだよ。そのシンジ君が、もう結婚をしようとしている。確かに、月日は流れたと、私は 思うがね。」

そう言うと、彼は顔をシンジとレイの方に向けて、笑って見せた。

「それで、式はいつごろにしようと思っているんだい。」

「僕としましては、早ければ早いほど良いと思っています。」

シンジはそう答えた。

実際シンジとしては、今頃になって婚約を発表したのだって、遅すぎだと思っていた くらいだったのだから、当然のことだ。

元々は、レイが大学を卒業したら結婚する、というのが碇家の中での暗黙の了解のよ うなものであった。

それが、レイの大学院進学とともになぜかうやむやになってしまって、かなりの月日 が経っていた。

心の中でシンジは、もう二人はとっくに結婚していておかしくないはずだった、と思 っていた。

でも、今回この結婚が遅れていたおかげで、アスカの母親の醜聞を消すことが出来た のだし、それはそれで良かった、とも思っていた。

しかし、その醜聞も無事に立ち消え、二人の婚約も周知のものとなった。

もはや、二人の結婚は、時を待つこともない、とシンジが思ったとて、それは不思議 でもなんでもなかった。

だが、

「いえ、実は、少し間を置いて欲しいと、私共は思っているんです。」

と、ユイがシンジを制した。

「え、どういうこと、母さん?」

顔に疑問符を浮かべてシンジがたずねる。

冬月もシンジとほぼ同じ気持ちのようだ。

レイは、ただ黙ってユイを見ていた。

「実はね、母さん今度京都に行かなくちゃなんないのよ。」

ユイの言葉に、冬月が微かにわかったような表情をした。

「そのことか・・・。」

「はい。」

二人で納得しているユイと冬月に、シンジは、

「ちょ、ちょっとちょっと。二人だけで納得されても・・・。」

と、口を挟んだ。

「あ、ごめんなさい。でね、そう、母さん京都に行かなくちゃいけなくて。それが、 二三日の出張とかいうのなら、なんの問題もないんだけど、出張っていうよりも出向って言 ったほうがいいような、そんな感じなのよ。」

「そうなんだ。でも、それと僕達の結婚と、どういう関係があるの?」

「うん、その間、レイにはお父さんの世話を頼みたいのよ。あの人って、本当に一人 じゃ何も出来ない人だから、あたし心配で。」

「でも、僕達が結婚したって、母さんが帰ってくるまで三人で一緒に暮らせばいいん じゃないの?」

シンジは、母のいない間、実家に住んでも別にかまわない、と思ったからこう言った のだったが、彼女の考えはもう一つ深いところまで及んでいた。

「そんなの・・・。いくらあの人が、ああいった人間でも、新婚夫婦の邪魔をしたい とは思わないでしょう・・・。」

「僕は別に気にしないけど・・・。」

「あの人としては、そうは思はないでしょうね。どうしたって、居たたまれなくなっ てくるわ。」

「・・・。」

そうまで言われると、何も言い返せなくなってしまうシンジだった。

ピンポーン。

ちょうどシンジが言葉に詰まったころ、冬月教授の部屋のドアの呼び鈴が鳴った。

「ふむ、今日はお客の多い日だな。私のような老骨も、たまには気にかけてくれる人 がいるらしい。」

「まあ、そんなことをおっしゃって。」

「私が出ます。」

冬月の冗談にユイが口を挟むと、レイが立ち上がって玄関に出た。

シンジ達のいる場所からは、玄関は見えない。

しかし、レイがドアを開けてすぐ聞こえてきた声で、訪問者が誰なのかはわかった。

「レイ・・・!!」

「アスカ・・・!!」

「「どうしてここに・・・!?」」

二人は同時に叫んでいた。

そして、どちらからともなく声を出して笑い出した。

アスカがたまに冬月教授を訪れているのを、シンジは伝え聞いて知っていた。

冬月教授は、碇ユイと惣流キョウコの二人にとって共通の恩師だったので、アスカが 母キョウコのことで、相談にのってもらおうと彼を訪ねていたのだ。

そして、何故かは分からないが、二人は気が合ったらしい。

だから、キョウコにたいする心配がなくなった今でも、アスカは冬月を訪れていたの だった。

その二人の笑いが一息つくと、レイが訪問者を誘って部屋に入ってきた。

玄関先から聞こえてきた声で、訪問者がアスカだ、ということはわかっていたシンジ だったが、その訪問者に連れがいるところまでは気付かなかった。

「こんにちは、冬月教授。」

「どうも。」

アスカと共に部屋に入ってきたのは、加持リョウジだった。

彼の事をシンジは結構前から知っていた。

彼は、ゲンドウの直属の部下で、たまに顔をあわせることがあったからだ。

しかし、彼がアスカと面識があるのを知ったのはつい最近のことだ。

考えてみれば、彼にドイツへの出張が多かったのは、会社でゲンドウが彼に惣流キョ ウコの部門を担当してもらっていたからなのだろうが、当時キョウコのこともアスカのこと も知らなかったシンジには、分かるはずもないことだった。

とにかく、シンジの知ることは、前々からの知り合いだった加持が、なにかと惣流親 子の世話をやいている、ということだけだった。

シンジは、そのことに関して何も不思議に思わなかったし、良いことだ、とも思った。

なんにせよ、この第3新東京市であの二人を気にかけてくれる人がいるのは良いこと だと思ったからだ。

たとえ、加持リョウジがプレイボーイ的な面でちょっとした名声を誇っていたとして も・・・。

知り合いではあっても、他に客が来たことには変わりない、と思い、シンジ達は冬月 宅を辞することにした。

アスカの、

「私達のことなら気にすることないのに。」

という言葉もあったが、やはりそういうわけにもいくまい。

「いや、別に挨拶に来ただけだったしね。」

「そう。じゃあ、今度私の所にも遊びに来てね。」

アスカがシンジに手を差し出す。

シンジはただ曖昧に微笑んでその手を握りかえした。


「あらためて、おめでとう。」

「ありがとう。」

そう言い合って、相田ケンスケと碇シンジはビールのジョッキで乾杯した。

二人は、街によくある居酒屋の一角に陣を張っていた。

相田ケンスケは、碇シンジにとって数少ない中学時代からの友人だった。

他にそのころからの友人といったら、鈴原トウジと洞木ヒカリくらいなものだったか らだ。

シンジとケンスケの関係は、まあ、親友だといってもよかっただろう。

二人とそしてトウジがそれを聞いたらきっと、ただの腐れ縁だ、と言うだろうが。

ケンスケは新聞記者だ。

そしてそれが、今夜シンジがケンスケをさそった理由の一つでもあった。

シンジは、自分にはよく分からない、社交界(?)の情報を。

惣流キョウコの状態を、知りたかったからだ。

「やっとというかなんというか、とうとう公式に婚約か・・・。」

ケンスケがしみじみ言った。

中学のころから。

ということは、ほとんどはじめのころから、自分とレイの事を知っているケンスケに そう言われると、シンジは、なにかくすぐったいものを感じていた。

「そんな、しみじみと言わないでよ。なんか、恥ずかしいじゃないか。」

「なに言ってんだよ。俺は喜んでるんだよ。でも・・・。」

「でも・・・?」

シンジは黙り込んだケンスケの顔をのぞきこんだ。

「でも、これでもう独り身なのは俺だけになっちゃうんだなあ・・・。」

ケンスケが深いため息と共にそう言うと、がくっとコケてしまうシンジだった。

ケンスケはもうやけ、とばかりにジョッキを一気にあけた。

ケンスケが、自分一人だけ、と言ったのは、もう一人の中学からの友人、鈴原トウジ も、洞木ヒカリと大恋愛の末、すでに結婚していたからだ。

ジョッキを何杯かあけ、盛り上がったころに、シンジは本題に入った。

「惣流親子のことだろ。この間のお前の作戦が功を奏したみたいで、もう話題にのぼ ることもなさそうだぜ。」

「そうか・・・。」

ケンスケの言葉にシンジは嬉しそうにつぶやいた。

「それで、いまあの二人はどうしてるんだい。」

そう聞いてしまうのは、ケンスケの新聞記者たる由縁なのかもしれない。

「うん、なんか家を探してるみたい。」

「家・・・?」

「そう、家。どうやら本格的に、第3新東京市に腰を落ち着けるみたいなんだ。」

「・・・。」

シンジの言葉に、ケンスケは一瞬考え込む風を見せた。

「どうかしたの?」

「ここに腰を落ち着けるってことはさあ・・・。」

「うん?」

「ドイツに帰らない、ってことだよなあ。」

「そうだろうねえ。」

「じゃあ、離婚でもするのかな。」

「あ、それ、考えてるみたいだよ。」

「そりゃ、まずいなあ・・・。」

渋い表情のケンスケに、シンジは、

「まずいってなにが?」

と不思議そうに聞いた。

「離婚する、なんて言ったら。また、話題の中心に逆戻りじゃないか。」

「そう、か・・・。」

なにを言っている、と言わんばかりのケンスケの言葉に、思わず考え込んでしまうシ ンジだった。


クリスマスイブ。

聖誕祭の前夜祭。

キリスト教徒でもない日本の人々が、なぜか祝う日。

聖誕祭の当日でなく、なぜか前日に人々は盛り上がる。

そしてここ、ゼーレでもクリスマスイブにクリスマスパーティーが開かれていた。

さすがに、この第3新東京市を支配するかのような力を持つゼーレのクリスマスパー ティーは絢爛豪華盛大。

ゼーレの関係者はもちろんのこと、各界の著名人達が数多く出席していた。

そのパーティーに、シンジは一人、少し遅れて到着した。

ちょっと崩れたタキシードのような感じの服装をしたシンジは、このパーティーに出 席している者達の中では結構格好良い部類に属していた。

その証拠に、シンジがレセプションホールに入って来た途端に、入り口の近くに居た 女性客達の視線が、一瞬シンジに集中していた。

だが、そんなことは気にもとめず、シンジは、この広大という表現が正しく当てはま るレセプションホールの中を、知った顔を求めて歩き出した。

途中、会社の同僚や上司に会い、二言三言言葉を交わしては、次を求めてさまよう、 というのを繰り返していると、シンジは一つのちょっとした集団を目にした。

「なんか男ばかりの集まりだなあ・・・。」

と思ったシンジは、その中心にいる人を見て驚いた。

(アスカじゃないか・・・。)

なんであんなにたくさんの人に・・・。

そう一瞬思ったシンジではあったが、アスカの姿振る舞いを見て納得した。

なぜなら、派手ではあっても上品さを失わないドレスに身を包んだアスカは、シンジ が頭のてっぺんから爪先まで、じっくり見てしまうほど美しかったし、その立ち振舞も、人々 の感心を引き付けてやまないものに感じられたからだ。

そのシンジとアスカの視線が、ふと重なった。

次の瞬間、アスカはやわらかに微笑むと、周りを取り巻く人々に優雅に会釈をして、 その集団を離れた。

視線はまっすぐシンジの方を向いたままシンジのいる方向にまっすぐ歩んでくる。

シンジも、それにならってアスカに歩み寄った。

「メリークリスマス、シンジ。」

「メリークリスマス、アスカ。」

二人は微笑み合った。

「でもよかったのかい? あんなにたくさんの人達をそでにしちゃって。」

そう言いながら、シンジがアスカをホールの隅にあるいすに誘う。

「いいのよ。どうせあの人達は、私が惣流キョウコの娘だ、っていうんで珍しがって るだけなんだから。」

アスカは、そのしゃれたベンチのようないすに腰掛けた。

シンジは、

(それはちょっと違うんじゃないかなあ・・・。)

と思いながらも、すぐ横に腰掛けた。

「でもアスカ、今日は本当に綺麗だねえ。」

先ずは当たり障りのないことから、とシンジがアスカに話し掛ける。

でもアスカはシンジに、

「今日は・・・?」

と、少し意地悪げな瞳をたたえて言った。

「い、いや、そういうわけじゃなくて・・・。」

あわてるシンジ。

そんなシンジを、少しの間じっと見つめると、アスカは、もうだめ、とばかりに噴き 出した。

くすくす笑うアスカを、呆然と見つめるシンジは、少しの後、はっとすると、

「ひどいなあ。」

とつぶやいた。

頭を掻くシンジの肩をポンポンと叩くアスカ。

「ごめんごめん。そんなに真剣にとるとは思わなくって。でも、シンジも今日は決ま ってるわよ。」

「今日だけ・・・?」

屈託なく笑うアスカに、シンジもまた屈託なく笑いかえした。

ひとしきり笑い合った後、二人はたわいもない話しを楽しんだ。

「そういえば・・・。おめでとう、シンジ。」

「なにが・・・?」

話の途中で突然そう言われたシンジは、少し面食らった感じだった。

「なにがって、婚約よ、こ・ん・や・く。正式に婚約したんでしょう。それとも何か 他におめでとう、なんて言われるようなおぼえあるの?」

まったくどうしようもない、といったようなそぶりを見せるアスカ。

「いや、べつになにもないけどさ・・・。」

シンジとしては、苦笑するしかなかった。

「でも、あのシンジが婚約だもんねえ・・・。時は確かに流れたって気がするわね・・・。」

遠い目をするアスカが、何を思い出しているのかは、シンジには一目瞭然だった。

きっと、二人の幼き頃の事を、思い出しているに違いない。

そう思うと、シンジとしては少し恥ずかしいものがあった。

幼い頃、シンジがアスカと一緒に居た頃、シンジはアスカにべったり頼りきりだった のだから。

「いつまでも、昔のままじゃないさ・・・。」

シンジには、それだけ言うのがやっとだった。

そんなシンジを見て、クス・・・、っと笑ったアスカは、悪戯っぽくシンジの瞳を覗 き見た。

「そう言えば、あたしのファーストキスの相手って、シンジだったのよね。実は昔っ から手が早かったのかしら。」

そんなことを言われたシンジは、思いっきり慌てた。

「な・・・、なんだよそれ!? そんなこと、僕がするわけないじゃないか!!」

まるっきり覚えの無いことを言われたシンジの頭の中は、一寸したパニックに陥って いたので、そう言った瞬間にアスカの表情が少し曇ったのを知ることはなかった。

「ねえシンジ、レイのことそんなに好き・・・?」

「え・・・!?」

上目使いでシンジを見るアスカ。

シンジは未だ戸惑っているままだ。

「・・・レイのこと、そんなに好き・・・?」

アスカが質問を繰り返すと、シンジは、

「え・・・! あ、うん、もちろん。」

と笑顔を見せた。

「その愛に限りはある?」

「・・・もしあったとしても、まだ見つけてないよ。」

「そう・・・。」

少しの沈黙が二人の間に流れる。

その後、

「ほら!!」

と、シンジの背中を叩くアスカ。

「ねえ、レイと一緒に居たいんじゃない?」

笑顔で言うアスカが、目配せをすると、その方向にはレイの姿が見えた。

数人の人達に囲まれながら、レイは談笑を楽しんだり、婚約指輪を見せたりしている ようだ。

「ハハ・・・。レイは他の人の相手で手一杯だよ。」

苦笑するシンジに、アスカは、

「フフ・・・。いいわ、その分わたしと一緒に居てくれるから。」

とつぶやいた。

「・・・。」

シンジは少しの間、言葉を失った。

すると、

「クスクス・・・。」

と笑い声が聞こえて来た。

「なーに、真面目な顔しちゃってるのよ。」

シンジの目の前には、笑い顔のアスカがいた。

「な・・・。」

一気に気の抜けたシンジは、ただ口をパクパクさせるだけだった。

そうしているうちに、数人の男達が二人に近づいて来た。

「こんな所にいたんだ。」

そう口を開いたのは加持リョウジだった。

「加持さん。」

アスカは笑顔で立ち上がる。

加持は、そんなアスカに笑顔を見せ、軽くシンジに会釈をした。

シンジもそれに会釈でかえした。

「みんながアスカに紹介して欲しいってうるさいもんだからね。」

加持は、そう言うと肩をすくめて彼の後ろにいる者達を示した。

「しょうがないわねえ。」

そう加持に言うと、アスカは、シンジに向き直って、

「じゃ、明日の昼過ぎに家で。」

と右手を差し出した。

「え・・・。」

きょとん、とするシンジにアスカはもう一度、確認するように、

「明日の昼過ぎに私の家よ。」

と言って、差し伸べた右手を軽く振る。

「う、うん。」

シンジは困惑しながらも、立ち上がってその手を取った。

アスカは微笑むと、加持達とともにシンジの側から移動して行った。

困惑したまままのシンジを置いて。


12月25日はクリスマス。

聖誕祭の当日。

本当なら、この日が祭日であるべきはずだ。

しかし、ここ日本では、なぜか前日のクリスマスイブのほうがメインになって、クリ スマス当日は、誰もそのことを気にしなくなってしまう。

何とも不思議な国であった。

そのクリスマスの日に、シンジはアスカの家を訪れた。

第3新東京市の市街地を形成する地域の一角にあるその家に、彼女と彼女の母親が移 り住んだのは、数日前のことだった。

見掛け、そんなに大きくない家ではあったが、二人が住むには十分の大きさに見えた。

「いらっしゃい。」

玄関の呼び鈴を鳴らしたシンジに、とびらを開けてそう言ったのは、アスカの母、惣 流キョウコだった。

彼女は、出かけようとでもしていたのか、外出着を着て靴を履いていた。

「さあ、どうぞどうぞ。」

とキョウコがシンジを家の中へと誘う。

「はあ、どうも。」

シンジは軽く会釈をしながら靴を脱いで上がろうとする。

それと同時にアスカも玄関に来た。

「よく来たわねシンジ。」

「うん、来たよ。」

機嫌の良さそうなアスカに、シンジも笑って答えた。

「それじゃアスカ。」

そう言うキョウコにアスカは、

「うん。」

とうなずく。」

「ごめんなさいシンジ君。私もシンジ君のお相手をしたいんだけど、今日はちょっと 用事があって出かけなきゃならないの。」

「いいえ、そんな・・・。」

「母さん、そんなこと言う必要ないわよ。シンジを呼んだのは私なんだから。」

「でも・・・。」

「いいの。」

「そう。それじゃシンジ君、ゆっくりしていってね。」

「は、はい。」

そうして惣流キョウコは家を出ていった。

「まったく母さんったら・・・。」

閉じられた玄関のドアに向かってつぶやくアスカ。

「クス、良いお母さんじゃないか。」

シンジが微笑みかけると、アスカは、

「ま、まあね。」

と、ちょっと恥ずかしそうに視線を逸らした。

「こっちよ。」

そう言ってアスカがシンジを導いたのは、居間だった。

引っ越してからまだ間もないそこは、いろいろな荷物が乱雑に置かれていた。

「まだ、全然片付いてないのよ。これでもこの部屋はましなほうなの。」

部屋にあるソファーに座るアスカ。

他に何処か座れる場所を探すシンジだったが、他の椅子は、どれも何かがかかってい たり置かれていたりしていた。

結局シンジもアスカのとなりに腰を降ろした。

「それで、なんで僕を呼んだりしたんだい。」

素朴な、それでいて一番気になっていた事をシンジは聞いた。

「だって、ここに来てもう結構なるのに、シンジとちゃんと会ったのって最初に来た 日の一度きりなんだもの。」

アスカは笑顔で答えた。

「折角、幼馴染みが来てるっていうのに、それだけなんて寂しいじゃない。ね。」

「そうかもしれないね。」

本当にそうだ、とシンジは思った。

「でしょう。」

そう言うとアスカは、用意していたのであろう、ワイングラスを取り出して、一つを シンジに渡した。

手渡されたグラスは冷たく冷やされていて、気持ちがよかった。

「これは・・・?」

素朴な疑問を口にするシンジ。

アスカは、ワインのボトルを取り出して、

「なに言ってるの、ワインよ、見て分からない?」

と、さもあたりまえ、というふうに言う。

「いや、それは分かってるんだけど。でもなんでまた、こんな昼間から・・・。」

「今日はクリスマスなのよ。だから・・・。」

「そうか。」

「そうよ。」

二つのグラスにワインが注がれると、二人は乾杯した。

グラスの重なる音が、部屋に響いた。

それから二人は互いに話し合った。

昔の思い出を。

話はなかなか尽きなかった。

それだけたくさんの思い出があったわけだ。

シンジは純粋にその会話を楽しんだ。

アスカもそのように見えた。

だが、話がアスカがドイツに行った後のことになると、アスカの表情が変化したのに シンジは気付いた。

「向こうではね、私って美人だからやっぱり回りが放っておかなかったのよ。」

「そういうこと、自分で言うかい。」

「いーじゃない、本当のことなんだから。」

「だからって。」

「なによ、シンジはあたしのこと信じないっていうの?」

アスカがシンジを横目で見る。

「そういうわけじゃなくって・・・。」

シンジはしどろもどろの状態だ。

「じゃあ、あたしが美人じゃないとでも言いたいわけ。」

更に横目で見るアスカ。

「い、いや、あの、だから・・・。」

更にしどろもどろになるシンジ。

「だ・か・ら・・・?」

アスカは今度はシンジを真正面から見据える。

シンジにもう逃げ場は無かった。

「いえ、美人です、アスカさんは美人だなあ。」

「そうでしょうそうでしょう。」

得意げににっこり笑うアスカ。

シンジは、アスカが酔っているんじゃないか、と思いはじめていた。

「でもね・・・。」

アスカがいきなり声を落とす。

彼女の顔もうつむいていた。

「でもそれも、表面的なことに過ぎなかったのよ・・・。」

「アスカ・・・。」

アスカの震えた声を聞くとともに、シンジは見た、アスカの膝に置かれた手が濡れて いくのを。

「・・・。」

いきなりのことにシンジは紡ぐべき言葉が見つからなかった。

「あの浮気のことが表沙汰になってから、みんな変わったわ。」

「え・・・。」

「みんながみんな、あたしの事を避けだして・・・。」

「・・・。」

「ねえ!!」

アスカがいきなり顔を上げる。

その瞳からは、大粒の涙がこぼれ落ちていた。

その表情を目にした瞬間、シンジの頭に一つの情景が浮かんだ。

記憶の底から導きだされたその情景の中でも、アスカは涙を流していた。

シンジはその情景を不思議に思った。

なぜならシンジの思い出の中のアスカは、いつも毅然としていて、泣いていたのはシ ンジの方だったからだ。

泣き顔のアスカの記憶などなかったはずだからだ。

しかし、浮かんできた情景の中の幼いアスカは、確かに涙に頬を濡らしていた。

そうだ、あれはアスカがこの第3新東京市を去った日。

自分をいつも守ってくれていた少女が、本当はただのふつうの女の子でしかなかった ことを、気付かせられた日。

勇気と決意を与えられた日。

初めて、少女を守るべき対象として意識した日。

そして、初めて少女にたいする切ない気持ちを感じた日。

忘れていた想いが、シンジの心に蘇った。

「ねえ・・・。あたしってなんなのかなあ・・・。みんなのこと、友達だと思ってた の、優しくしてくれたの。でも・・・。」

涙をこぼしながら語る彼女に、記憶の中の少女の姿が重なったとき、シンジ自身も、 記憶の中の少年の心と重なった。

あの時、その気持ちは、少年をつき動かし、少女を抱きしめる、という行動となって あらわれた。

そして今も・・・。

シンジは、物言わずアスカを抱きしめた。

アスカも、それを望んでいた。

二人とも、思い出の中の少年と少女そのものになっていた。


アスカの家からの帰り道、シンジの頭の中は思いでいっぱいだった。

なぜ、あそこで彼女を抱きしめてしまったのだろう。

あのとき、自分は何も考えていなかったような気がする。

あの時の自分は、ただ思い出の中の自分に引っ張られて。

でも。

でも、それでもよかったんじゃないかとも思った。

結果的に、彼女を落ち着かせることが出来たのだから。

きっとアスカは、ずっと我慢してきたんだ。

本当に辛いのはお母さんの方だ、と思って。

母親の事をずっと気にかけて。

自分のことは後回しにして。

本当は、自分だって辛かったのに。

誰かに支えて欲しかったのに。

独りで母親を支えてきたんだ。

そこまで思ったとき、シンジは自分が行きつけの花屋の前まで来ていることに気付い た。

その花屋は、よくシンジがレイに花を送っている花屋だった。

何気にその花屋に入るシンジ。

中にいる店主が、すぐにシンジをみとめた。

「いらっしゃいませ。今日もいつものやつですか。」

店主がシンジに向かって言った。

いつものとは、いつも御任せでレイに送ってもらっている花束のことだ。

御任せではあったが、白を中心に、というのがシンジのいつもの注文だった。

「ああ、そうだな。いつものように綾波レイ宛にとどけてくれ。」

「はい、かしこまりました。」

店主は注文を受けると、バイトであろう店員に指示をする。

その間、シンジが店内を見回すと、クリスマスだからだろう、いつもよりもたくさん の種類の花が置いてあった。

その中で、黄色いバラの花がシンジの目をひいた。

「それともう一つ。この黄色いバラを、この住所に。」

そう言うと、シンジは自分の手帳から惣流家の新しい住所を店主に見せた。

店員が花束を作っている間に、シンジは、その花に添えるカードを書いた。

レイ宛には、いつもの文句を。

そして、アスカ宛にも、当たり障りのない文句を添えた。

しかし、アスカ宛のカードを封筒に入れようとした瞬間、シンジはそのカードを握り 潰してコートのポケットに入れた。

「失敗してしまったので、もう一枚カードをくれないだろうか。」

シンジは、新しいカードを求め、白紙のまま、アスカの方に入れた。

シンジは、二つのカードを店主に渡すと、店を出た。

二つの花束は、どちらとも今日中に届けられるはずだった。

世界が歓喜に満ち溢れるはずの、この、主の聖誕祭の日に。

TO BE CONTINUED


Scenes From the Next Chapter of Innocentia.

「そういえば、この前、レイのと一緒にアスカにも花を送ったんだけど、

良かったかなあ・・・?」

「良いことだと思うわよ。でも変ねえ・・・。」

「なにが?」

「この間アスカに会った時、そんなこと全然言ってなかったわ。

加持さんが時々花を送ってくれる、っていうのは聞いたけど。」

「・・・加持さんが? へえ、そうなんだ・・・。」

「ええ、そうなんですって。」

「そう・・・。」


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