Innocentia

Chapter 5

"Nobody's Fool"


その週末の午後、シンジは、惣流の家に向かった。

父、ゲンドウに頼まれたように、離婚訴訟のけんについて話しをするためだ。

ゲンドウは、それには反対だし、シンジにも惣流キョウコを説得するように言ったが、 シンジ自身は、彼女に、訴訟を諦めるように説得するつもりはなかった。

シンジとしては、惣流母娘の相談にのろうと思っていただけだった。

もし、キョウコが、ゲンドウが勧めないにもかかわらず訴訟を起こしたい、というの であれば、シンジは、それをサポートするつもりだった。

たとえ、周りがなんと思おうと、もう、彼女の、アスカの悲しむ姿は、見たくなかっ たから。

彼女を、自らの守るべき対象と、再確認してしまったから。

だから、あの二人の望むことを、出来るだけ手助けしたいと思っていた。


シンジがその日訪れる事は、ゲンドウから惣流宅に伝わっているはずだった。

ゲンドウより聞いた約束の刻限。

夕刻前に、シンジは、第3新東京市の市街地の一角にある、その家にたどり着いた。

呼び鈴を鳴らす。

しばらくして、「はーい・・・。」、との言葉とともに、アスカが顔を出した。

「シンジじゃない・・・!? まあ、あがってあがって!!」

玄関から顔を出したアスカは、シンジの顔を認めると、少し驚いたような表情をした。

どうしたのだろうか?

なんだか、シンジの来るのを分かってなかったかのようだ。

そんなことを思ったシンジだったが、そんな思いも、玄関に入ると消えてしまった。

そこに、もっと目を引く物があったからだ。

男物の靴が一足と、赤いカーネーションの花束が、花瓶に生けて置いてあった。

誰かお客が来ているのだろうか?

それに、この花は・・・?

しかし、その疑問は、すぐに解けた。

「今、加持さんも来てるのよ・・・、って、丁度帰ろうとしていたところなんだけど・・・。」

加持さん・・・?

アスカの口から発せられたこの単語に、シンジは敏感に、そして過剰に反応した。

この間のレイとの会話が思い出される。

「そういえばさ・・・。」

「ん・・・?」

「そういえば、この前、クリスマスに、レイのと一緒にアスカにも花を送ったんだけ ど、

良かったかなあ・・・?」

「良いことだと思うわよ。でも変ねえ・・・。」

「なにが?」

「この間アスカに会った時、そんなこと全然言ってなかったわ。

加持さんが時々花を送ってくれる、っていうのは聞いたけど。」

「・・・加持さんが? へえ、そうなんだ・・・。」

「ええ、そうなんですって。」

「そう・・・。」

思い出された会話の内容。

シンジの頭の中で導きだされた一つの解答。

「この花も、加持さんから・・・。」

シンジは思わずつぶやいていた。

「ん? なに・・・?」

と、アスカが聞いてくる。

シンジのつぶやきは、聞き取るには小さすぎたようだ。

だが、この時はそれで助かった、とシンジは思った。

「ん・・・、ううん。なんでも・・・。」

そう言葉を濁して、シンジは靴を脱いだ。

アスカに導かれるままリビングに行くと、いわれたとおりに彼がいた。

アスカの言うように帰り支度をしている。

「やあ、シンジくん。奇遇だねえ!!」

と、シンジを見掛けると共に男臭い笑みを浮かべた。

今まで、なんとも思ったこともなかった彼のいつもの笑みが、今のシンジには、ひど く厭味ったらしいものに見えた。

「本当に奇遇ですね・・・。」

その思いが、言葉の端にも表れてしまったようで、シンジの言葉を聞くと、彼の眉が 少し上がったような気がした。

だが、そこは経験者の余裕か、それもすぐに笑みの下に隠れてしまった。

「それじゃ、またな、アスカ・・・。」

帰り支度を終えた彼が、アスカに向かって言う。

「ええ、また。」

と、アスカもそれに笑顔で答えた。

そして、

「それじゃ、シンジくん・・・。」

と、手を少しあげると、軽く会釈を返すシンジの横を通り抜けて、この家を出ていっ た。

シンジとアスカの二人は、それを見届けるとリビングセットを挟んで顔をあわせた。

「加持さん、よく来るのかい・・・?」

そんなことは大きなお世話だ、とも思いながらも、シンジは、そうアスカに尋ねてい た。

「ええ、そうね。元々この家を訪ねてくる人自体少ないから、加持さんは、よく顔を 見せに来てくれる方だわ。」

「そう・・・。」

明るく答えるアスカとは対照的に、シンジの方は少し暗い。

「ドイツにいた頃から、色々お世話になってるし・・・、今も、家の母さんがあんな 状況にあるから、心配してくれるのよ。」

「そうか。それは良かったね・・・。」

あいかわらずシンジの口調は暗い。

しかし、その表情は笑っていた。

笑顔以外に、どんな表情も思い付かなかったからだ。

「それで今日は、どんな用事で来たの?」

アスカがソファーに座る。

そこは、この間アスカが、シンジに涙を見せた所だったが、今のシンジは、そんなこ とには気がつきもしなかった。

「あ、ああ。アスカのお母さんに会いに来たんだよ。」

そう言いながら、シンジも、アスカとはテーブルを挟んで真向かいのソファーに腰を 降ろした。

「母さんに・・・?」

「そう。僕の父さんの方から連絡がいってるはずなんだけど・・・。」

そう言うシンジに、アスカは、首を傾げた。

「変ねえ。母さん、出掛けちゃったのよ。朝・・・。」

「え・・・!? いないの・・・?」

ゲンドウの方から、連絡がいっているのではなかったのか・・・?

約束の日は、今日ではなかったのか・・・?

そんな思いが、シンジの頭の中を駆け巡った。

しかし、それならそれも好都合、という思いもあった。

この家に来て、彼の贈ったのであろう花を見た時から、シンジは 、この家を出ていく ための言い訳を考えていたような気がしたから。

彼に会っていたアスカと居るのが、辛いと感じていたから。

だから、

「じゃあ、しょうがないね。なにか手違いがあったみたいだから、また来るよ。」

と言って、腰を浮かせた。

しかし、

「あ・・・、待ってよ!!」

という、アスカの言葉に、シンジの腰は、ソファーから少し浮かんだだけで止められ てしまった。

「なに?」

帰りたい、という思いを笑顔の下にかくして、シンジが問う。

「せっかく来たんだから、少しくらいゆっくりしていったって。」

「いや、でも・・・。」

「それに、なんで母さんに会いに来たのかだって、あたしは聞いてないのよ。」

にっこり笑うアスカに、シンジは内心、いいかげんにしてほしい、と思いながらも、 その感情を顕にするだけの勇気もなく、

「いや・・・。父さんに頼まれて、訴訟の件で相談にのろうと・・・。」

と、答えた。

「離婚訴訟の・・・!?」

アスカが驚きの声をあげた。

「ぼくは、一応法学部を出ているんだ。だから・・・。」

シンジがそう言うと、アスカの表情は、これ以上無いというぐらい明るくなった。

「じゃあ、これからは何でもシンジに相談出来るのね!! シンジが法的なアシスタ ントをしてくれるのね!!」

喜びの声、というものがあれば、きっとこんな声なんだろう。

それ程、アスカの声は、喜びに満ちていた。

「すごいわシンジ!! 」

単純に喜んでいるアスカを見ていると、シンジは、なぜだか無性に腹が立った。

「確かに相談にのりには来たけど、そんな、法的なアシスタント、なんて大層なこと は・・・。」

「それでも相談にのってくれるんでしょう!!」

「ああ、そうさ。ぼくは相談にのりに来たんだ。」

シンジがそう言うと、アスカは、シンジの言葉の中になにかを感じたのか、喜びに満 ちていた表情にかげりを見せた。

シンジは、といえば、もとより表情は暗い。

「何が言いたいの・・・、シンジ・・・。」

「いろいろと調べさせてもらったよ。アスカのお母さんの法的な文章や向こうでの生 活・・・、それに・・・、あちら側の考え・・・、とかね・・・。」

「・・・。」

「もし、本当にこれを法廷に持ち込んで戦うとなると・・・、あまり、良い思いは出 来ないと思う・・・。」

シンジは、アスカに視線を合わせることが出来ない。

アスカはアスカで、先ほどとはうって変わった表情の無い面持ちをしていた。

「どういうこと・・・。」

「つまり、止めたほうがいいんじゃないかと・・・。」

シンジが言うと、アスカはカッと目を見開いて叫んだ。

「じゃあ、母さんに!! 不倫を黙認しろとでも言えっていうの!!」

「アスカ・・・。」

しばしの沈黙が二人の間を支配した。

暗い表情のシンジ。

興奮した表情のアスカ。

先に口を開いたのはシンジの方だった。

「裁判にかけることは可能だよ。たしかに・・・。でも、相手の方にその気がない限 り、その裁判は長引くだろうし、それに・・・、

「・・・。」

「それに、勝てるかどうかも、わからない・・・。なにせ、相手は、向こうでは実力 者だから・・・。」

「・・・。」

「長引けば長引くほど、アスカのお母さんに不利になってゆく・・・。それに、もし うまくいって離婚できたとしても、彼は、もてる力のすべてを使って、アスカ達の生活を惨 めなものにすることに努力するだろうと思われる・・・。」

シンジは、シンジがゲンドウと話した時にゲンドウが言った言葉を、そっくりそのま まアスカに話していた。

ただし、ゲンドウとは違って、その表情には沈痛な思いが見えていたし、言葉にも、 それが伝わっていた。

しかし、シンジ自身は、本当は、サディスティックな快感を感じていた。

先程から、自分でも理解の出来ない怒りを、アスカに感じていたシンジは、ゲンドウ がシンジに言った言葉をそのまま伝えることで、アスカをいじめていることに喜びを感じて いた。

それが、自らの醜い嫉妬から来るものであるのにも気付かず、それでもアスカに嫌わ れたくなくて、表面上は、沈痛な面持ちをして見せる。

そして、そんな醜い自分を、どこか遠い所から軽蔑の眼差しでで見つめている、もう 一人の自分を感じて・・・。

そんな、反吐が出るほど醜い自分に嫌になりながらも、サディスティックな快感にも 酔いしれて。

シンジは言葉を紡ぎ出していた。

「今のまま、この第3新東京市で何事もなく暮らせば、父さんの力で、仕事なんかは いくらでもまわすことは出来る。でも、訴訟なんかを起こして、また話題の中心に逆戻りし てしまったら、父さんにもどうすることも出来ないんだ。」

「・・・。」

「裁判は長引くだろうし、噂も絶えないだろう・・・。かといって、ヨーロッパに帰 るわけにもいかない・・・。」

「・・・。」

「訴訟を起こして、得られるものはなきに等しい。」

シンジがそう言い切った時、今まで沈黙を守っていたアスカが、その沈黙を破った。

「自由を得ることは可能だわ・・・!!」

そのアスカの叫びは、奇しくも、あの時シンジが、ゲンドウに言ったものと同じだっ たが、今のシンジには気付きもしなかった。

「でも、もう二人とも十分自由なんじゃないの・・・。」

シンジの、ひどく冷たいとも取れる言葉に、アスカは、一瞬目を見開くと、そのまま 首をうなだれた。

沈黙が流れる。

遠くを走る車の音が聞こえる。

外を歩く人の話し声も・・・。

「そう・・・。」

アスカがおもむろに立ち上がる。

「わかったわ・・・。つまりは、あたしが母さんを説得すればいいのね・・・。」

説得・・・。

その言葉にシンジは反応した。

それが、ゲンドウがシンジに頼んだことだったから・・・。

それが、シンジが断ったことだったから・・・。

それなのに・・・。

それなのになんだ・・・、アスカを説得してしまったじゃないか・・・。

父の言う通りに・・・。

相談にのりに来たはずだったのに・・・。

説得なんか、しに来たんじゃなかったのに・・・。

自分は何をしてしまったんだ・・・!?

自らの怒りにかまけて、アスカを・・・。

自分の守るべき相手であるアスカを・・・。

「ぼ・・・、ぼくは・・・。ぼくは、アスカを助けたいんだ・・・。」

シンジは、反射的にそうつぶやいた。

今更何を、と心の中で思いながら。

それでも、今ならまだ取り返しもつくかもしれないと思いながら。

しかし、

「あなたは、良くしてくれているわ・・・。」

と、アスカが笑顔で・・・。

まったく心のこもっていない、表面だけの笑顔で、そうシンジに言ったから・・・。

シンジは拒絶を感じて。

もう遅いことを悟って。

その場を去ることしか出来なかった。


『そんなこと言わないでくれ!! 頼むから、俺のことを許してくれ!! 愛してい るんだ、お前のことを!!』

男が目の前で後ろを向いている女に向かって叫んだ。

男に背を向けている女は、その瞳に涙を浮かべていた。

『条件が一つだけあるわ・・・。』

女は、やはり男に背を向けたまま言った。

男の方は、必死の様相で、藁にもすがる思いで、その女の言葉にすがった。

『どんな条件でものむ!! だから・・・!!』

しかし、男はすぐに、もう取り返しがつかないのだ、ということを悟った。

なぜなら、女が、

『二度と・・・、私に愛の言葉をささやかないで・・・。』

と、涙に震える声で言ったからだ。

それを悟ってしまった男には、

『わかった・・・。』

と言うことしか出来なかった。

男は、涙にうち震える女の、長い後ろ髪を手にとると、それにすべての思いを込めて 口付けた。

それを感じた女も、ぎゅっと自らの目を閉じる。

男は、無言で女の後ろ姿に会釈をすると、その場を立ち去った。

そして、女は、その場に泣き崩れた。

その白黒映画の画面は暗転し、エンドクレジットが流れはじめた。

ここは、街外れにある小さな名画座。

アスカに会ったあの日より、気持ちの落ち込んでいるシンジが、外回りが早めに終わ ったのを良いことに、少し寝るために入った映画館。

しかし不覚にも、シンジは、この『ある恋人達の詩』という邦題のモノクロ映画には まってしまって、涙を流していた。

寝るつもりで入ったのにな・・・。

それに、こんな恋愛物に感動する権利も、自分にはないというのに・・・。

そう思うと、シンジの頭に、アスカの顔が浮かんでくる。

アスカも泣いたのだろうか・・・?

この映画の女のように・・・。

そんなことを考えながら、シンジは席を立った。

扉を開けて、客席からホールへと出る。

しかし、そこでシンジは、立ち止まってしまった。

なぜなら、そこにアスカの姿を見たから。

信じられないことに、アスカも同じ上映を見ていたようだ。

そして、アスカもシンジの姿を認めたようだった。

「シンジ・・・。」

「アスカ・・・。」

どちらからともなく二人は、ホールのイスに腰をおろした。

シンジとしては、とても気まずい雰囲気が漂っていた。

重苦しい沈黙。

それにシンジが耐えられなくなってきた時に、アスカが口を開いた。

「ねえシンジ・・・。あの恋人達は、黄色いバラを贈ったかしら・・・。」

シンジは、ハッとした。

黄色いバラ。

それは、シンジがクリスマスの日にアスカに贈ったもの。

レイより聞いたことで・・・、なにより、シンジがその目で加持の贈った花をアスカ の家で見たことで、きっと加持からのものだと思われてしまったのだろう、と思ってい た・・・。

あの、黄色いバラ・・・。

アスカはわかっていたのか・・・?

あれを贈ったのがシンジだったということを・・・。

疑問は尽きず、解答は与えられるはずもなかったが、沈黙を守わけにもいかない。

シンジは、

「きっと、これからも贈り続けることだろう・・・。」

と、かろうじて言った。

すると、アスカはシンジに笑いかけた。

シンジには、その笑みが何を意味するのかわからなかったが、取り敢えず笑いかえし た。

「レイから昨日電話があったわ。今、京都にいるんですってね。」

「あ、ああ。母さんの研究の手伝いでね。父さんは、今出張中だから、世話をやく必 要もないから。」

「そう・・・。それで、レイのいない間、何をしているの・・・。」

「え・・・。いつもどおり、仕事を・・・。」

「そう・・・。」

そして、アスカはまた、黙り込んでしまった。

アスカが黙ると、シンジは何も言えなくなる。

だから、少しの沈黙がまた訪れた。

そして、今回も、その沈黙を破ったのはアスカだった。

とはいえ、アスカは、

「この間のあなたの意見は、正しかったと思うわ・・・。」

とだけ言うと、その場を離れていってしまったが・・・。


アスカに会った後、シンジは、行きつけの花屋に行った。

黄色いバラを求めるためだ。

しかし、そこに求めるものはなかった。

シンジは、諦めずに他の店も探した。

第3新東京市の中で、シンジの知っている花屋は、ほとんどまわっただろうか。

それでも、なぜかその日、どの花屋にも黄色いバラは置いてなかった。

だから、シンジは、アスカに電話をかけた。

しかし、電話には誰も出なかった。

留守番電話に、シンジは、すぐに連絡が欲しい、とメッセージを残した。

シンジは必死だった。

これを逃したら、この絆は、本当に壊れてしまうかもしれない、と思っていた。

だが、その日、アスカからの返事はなかった。

次の日も・・・、

そして次の日も・・・。

アスカからの連絡はなかった。

そして、それから一週間ほどが経って、行きつけの花屋に、また黄色いバラの姿が現 れても、シンジは、その足を止めることはなかった。

TO BE CONTINUED

Scenes From the Next Chapter of Innocentia.

「シンジに会ったあの日、逃げちゃった。」

「キミが何から逃げているのか、確かめに来たよ。」

「きっと来ると思っていたわ。」

「レイ、ぼくはもう待てないよ!!」

「もしかして、他に誰かがいるんじゃないの・・・。」

「正式に婚約を発表した頃から、あなた・・・、少し様子が変わった わ・・・。」


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