明けぬ夜 その2 −金魚はどこ?−

                                         Written by 中村緑

  学校が夏休みに入った。
2年ほど前から、私は主人と別居し子供達と実家に戻ってきていた。もちろん離婚を前提にしているのだが、主人は自分に悪いところは一つもないと離婚に応じない。調停も不調に終わり裁判を待っている状態だ。主人は、俺は父親だ親権は渡さないと執拗に子供に面会にくる。風邪を引いて面会に引き渡さないでいても、玄関でどなりまくるのでどうしようもない。もっとも、離婚から逃げるために親権を渡さないといっているのか本当に子供たちを育てたいと思っているのかはよくわからない。実家にも縁を切られ、仕事もあるので育てられないのはわかっているのにあきらめてもらえない。養育費を払っているので子供は自分の物だと譲れないでいるのだろうか。お金をかけた分、取り返したいというのが感じられる。保育園にも会わせろとどなりこんでいったので電話がかかるだけでも保母さん達からいやがられている。恥も外聞もなく、いやな人間に成り下がってしまった。いや、もともとそうだったのかもしれないけれど。裁判のためなのか夏休みは9回も面会を入れられてしまった。ひとつでも断ろうものならどなりこんでくるだろう。親も、もう喧嘩をせずに感情を拗らせないではやく離婚したほうがいいというので、黙って渡すことにした。9回というと3日おきに面会がある時がある。2回目の面会がおわった段階で、あゆが熱を出した。面会のたびに、あゆは体調をくずしてしまう。たった一日でぼろぼろになって帰ってくるのだ。いったいどういう過ごし方をしてるのだろう。3回目の面会が終わったら、今度はみさが熱を出した。おみこしをかつぐのを楽しみにしていたのに、練習にも参加できない。相変わらず自分の都合による面会で、子供の都合など考えちゃいない。でも主人がこんなことをして困ると私が訴えられる人は、誰もいない。「俺は父親だ」という権利は、まだ正式には向こうにあるからだ。知人の弁護士さんが言うには面会の交渉には警察官を同伴して話し合いにいくそうだ。しかし当人が警察官だし、これで職業まで失ったら何をされるかわからないとまわりも私が警察に訴えることは止める。裁判を始める来年の夏には、弁護士さんに断っていただこうと今年の夏もあきらめた。
 長い休みの日々をりゅうは、約束のプレイステーションを買ってもらって毎日パットゴルフをして過ごしている。わたしがやると
「ちがーうって。そっちじゃない。」
って、方向が間違っていると叱られる。右手と左手をつかって操作をするし、考えることも必要だ。ゲームといえども、脳の働きをよくしてくれるんじゃないかと思う。ゲームをすることによって、私や妹達と会話をする。いいやりかたを教えてくれたりする。それがとってもいいようで、もっとりゅうのできるゲームはないかと、探してしまう。約束で、宿題をやってからゲームをすることにしている。時間にこだわるりゅうは、毎日規則正しい日々を送っている。ラジオ体操も毎朝自分で起きて自転車に乗っていく。補助車なしの自転車に乗れるようになるというのは、去年の夏休みの課題だった。結局春休みまでかかったけれど、ちゃんと乗れるようになった。自閉症で体のバランスも悪いりゅうが、自転車に乗れるようになったのだ。これはすごいことだ。同じ学校に通う同じような自閉症のお母さんは、自転車はあきらめたと言っていた。行動範囲が広くなって遠くに行ってしまっても困るって。訓練に通う施設の先生は、乗れる可能性を否定はしなかったが補助車をはずせないままの例をあげてくれた。でも、りゅうは乗れるようになったのだ。えらいぞ。毎日毎日、りゅうを練習に誘ってくれた父に、感謝している。その父が今年の目標は水泳にした。りゅうは水を恐がらないが、なかなか泳げないらしい。面会の合間をぬって、りゅうは父とプールに練習に行っている。
 小さな目標をたてて、できるようにしていく。そうやって、少しづつでも日常的な遊びや社会的なスキルを身につけていくと世の中でちゃんと生きていけるようにできるのじゃないかと期待してしまう。ゆっくりでも、ひとつづつできるようになるのが、すごいと思う。
「おかーさん。おかーーーーさん。」
「はーい。」
「ホールインワンしたよ。えらい?」
「えらいえらい。」
「はくしゅー。」
「ぱちぱちぱち。」
と、毎回叫びながら報告にくるのでうんざりしていたとき、ふと思い出した。妹が
「ねえちゃん、りゅうにおかあさんって呼んでもらえるときって、くるのかな。」
って、いってたことを。

りゅうは、なかなか言葉を発しなかった。
ご飯を食べるときに
「おいちい。」
っていっていたのが、かすかに記憶に残っている。
「りゅうくん」
というと、手を挙げて返事をしていたような記憶もある。でも自閉症の本には、いったん言葉を少しは発していて消えてしまう場合もちゃんと例にあがっている。どこで判断したらいいのか。自閉症は早期発見早期療育が重要というけれど、ほんとうに私には、わからなかった。普通の小児科の医者でも、判断が難しいらしい。実際に、3歳児検診を無事にパスしてしまったのだから。そして、まわりの人が言葉が遅いって言うのにことごとく私は反発した。まさに、うちの子に限ってそんなはずはないって。
 妹は保母をしていたので、誰よりも早く
「異常児だよ。」
って、母に言っていたらしい。りゅうは言葉がないだけじゃなく変な行動をしていた。たとえば、視点を固定して、首を左右にゆっくりふって遊んだ。端からみれば、変な目で見ているような感じに見える。りゅうにとっては、その行為がストレス解消のための行動らしい。また、廊下や床をはいはいしながら今度は壁や窓に視点を固定して、体を動かす。首をかたむけて無心にはいはいしている。注意していないと、アパートの廊下や、道路なんかでもそうしてしまう。また、ガードレールや塀など長くつながっているものだけを首を傾けて見ながらそれが切れるまで歩いてみたりなど、変な行動を頻繁にしはじめたのだ。公園などにつれていくと勝手にどんどん好きなほうに歩いていってしまって呼んでも振り向きもしない。おいかけていって、つかまえるしかない。りゅうの行動が顕著になってきたころ、みさは1才で、3人目がお腹にいた。ベビーカーを押しているうえに、お腹も3人目で大きいとりゅうをつれて、公園にいくことができない。走って追い掛けることができないからだ。買物にいくにもたいへんだった。小さいスーパーだったら、徘徊しているりゅうを見つけることができるけれど、エスカレーターのついているような大きいショッピングセンターにいくと、りゅうを見失ってしまう。主人は毎日ギャンブルでいないし、そもそも買物にいっしょについてきたことがない。主人の休日は主人だけのものであって、家族のために使われるときは前もって予約しておく必要があった。私は家のなかに閉じこもっていることが多くなった。毎日の買物は、通信販売で2日に1回玄関先に届けられる。郵便を階下のポストにとりにいく以外、10日も家を出ない状態が頻繁に続いた。それでますますりゅうの状態は悪くなった。自閉症はストレスをうまく発散させることができないらしい。異常な行動はそのストレスを発散するための手段である。りゅうのストレスは溜まるばっかりで、じっとしておくことができないりゅうは、家の中をはいはいして動き回った。おもちゃもたくさんあったのだけれど、正当な遊び方をすることはあまりなかった。ミニカーも積み木もブロックも絵本も何もかも並べてしまうのだ。あっちの部屋からこっちの部屋に延々とあるだけのものをならべて、床に顔をつけてそれらを見るのがいつもの遊び方だった。りゅうは笑うこともなくさびしそうな表情で淡々と存在していた。
 今は、いつもにこにこしていて楽しそうにしている。自閉症であることを知らない大人がりゅうを見て本当にうらやましそうに
「おまえ、いつもにこにこしてるな。悩みなんてないだろー。」
と語りかけていく。クラスのお友達もりゅうの笑顔が好きなようだ。そういうお友達がいてくれるクラスなのでりゅうは毎日うれしそうに学校に通っていく。聞きもしないのに
「おかあさん。学校が大好き。」
という。毎日楽しく過ごせればそれでいいと私も思ってしまう。りゅうに笑顔を取り戻しただけでも、わたしの選択は間違っていなかった証拠のような気がする。
 
 もうすぐ出産というある夏の日に、ひとつの部屋に引いたままになっているふとんに重い体を横たえてみさに絵本を読んでやった。水槽の金魚が逃げていくのをページごとに見つけていく楽しい絵本だ。
「きんぎょはどこ?」
と絵本を読むとみさは、にっこりわらって金魚を指差す。
「え?わかるの?」
 私の心に、大きな不安のかたまりがあらわれた。なんでみさは、金魚を見つけることができるのだろう。まだみさは言葉がはっきりしないのに。2才になったばかりなのに。
りゅうはできないのに。りゅうは3才を過ぎている。りゅうができないのだろうか。や
はりなにか、りゅうは違っているのだろうか。
 いきつけの小児科には神経外来があって、予約診療案内のポスターがはってある。そ
の異常行動・言葉のおくれのある・・・っていう言葉が浮かんできた。いつも気になっ
ていて、その小児科にいくたびに見ていたのだ。りゅうをいっしょに呼んできて、絵本
を見せた。
「きんぎょはどこ?」
 りゅうは、反応しない。みさがよろこんで、横からきんぎょを指差す。言葉がおくれているだけなのだろうか。さまざまなりゅうの行動が頭に浮かぶ。

 大きな不安を抱いたまま、それでも小児科につれていくことはできなかった。出産も控えていた。私の子どもに限って、そんなはずはない。まさかね。でもね。
 現実を認めるには、もう少し時間が必要だった。
                                                            (つづく)

 Copyright (C) 1998 by 中村緑



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