written by たねり
4・ゴーシュの失踪(承前)
じぶんで探すとはいったものの、アリスにはなんの当てもありませんでした。そこで
、ひとまずゴーシュの水車小屋にもどることにしました。ゴーシュが帰宅していれば、
もうそれで一件落着ですし、あるいは、水車小屋のなかにアリスがせんだって見落とし
たてがかりがのこっているかもしれません。ホームズにしろポアロにしろ、名探偵と評
判のひとたちは現場をたいせつにしますから、アリスがそうするのは、なかなか賢明な
選択だったというべきでしょう。
はたして、ゴーシュの水車小屋までもどってみると、三毛猫が待ちくたびれて爪とぎ
をしておりました。
「おや、浮かない顔をしていますね、アリスさん」
三毛猫はひとつのびをして、ベッドのはじから立ち上がりました。
「イーハトーブの警察なんて頼りにならないんだもの。ゴーシュさんはじぶんで探す
しかないようだわ」
アリスは警察署でのやりとりを手短に話すと、三毛猫の髭をひっぱっていいました。
「忘れないうちにいっておくけど、ベッドの脚で爪とぎなんかするとうちのママなら
あなたをはりつけにして、3回殺すわよ」
三毛猫はちっともへこまない様子で、いいかえしました。「へん。猫にだってものの
値打ちくらいわかりますぜ。エリザベス王朝風の家具でいっぺん爪とぎができたら、猫
に生まれたかいもあるってもんでさあ」
またたびでも嗅いだような、陶酔した表情をしています。どうも、猫というのは正直
といえばいいのか、欲望のままに生きているというのか、しようのない生き物のようで
すね。
アリスはあきれてしまって、誓いをたてました。
「あなたがうちの猫でなくてよかったわ。もしもディナーにご招待する機会があって
も、寝室には近づけないことよ」
「へい、承りました」
三毛猫はとろけるような表情のままで、うやうやしくお辞儀をしました。イーハトー
ブの猫がイギリスのお館に招かれることがあれば、それは歴史に名前がのこる偉業だと
思われます。せいぜい、ここらの猫ができることといえば、イギリス海岸と命名された
川っぺりで夏に水浴びをするくらいがせきのやまですからね。
「ところで」アリスは、話の糸をもういちどたぐりよせました。「ゴーシュさんの件
で、かっこうだのねずみだのは何か知っていたの?」
「そうでがすね。二つばかりありました。一つは、山猫博士がよからぬことをやって
いるらしいのですよ」
三毛猫が声をひそめて、その名前をいうので、アリスもただならない気配を感じまし
た。
「山猫博士? 好きになれない名前だわ」
「山猫博士。人間の世界ではまたの名を、デステゥパーゴといいますがね。人を食う
料理屋を山奥にひらいたり、ポラーノの広場であやしげな酒盛りパーティを催したり、
密造酒の工場を経営してぼろもうけをしたりという悪知恵がはたらく人物です。それか
ら、こちらのほうが気になりますがね、なんでももうひとつの警察だの裁判所だのを主
宰しているという噂がありますぜ」
「もうひとつの警察や裁判所ですって。イーハトーブの警察や裁判所のほかに、ある
ってことなの?」
「へい。あくまでも噂でして、わたしが確かめたわけじゃありませんが。ものしりの
梟がいうには、金田一郎という子供(わらし)に山猫からハガキで裁判の呼び出しがあ
ったんだそうです」
アリスは三毛猫のいいたいことがよくわかりました。
「子供に裁判の呼び出しをするのなら、ゴーシュさんに警察から呼び出しをかけても
おかしくはないわね。その、もうひとつの警察が。でも、理由がよくわからないけど」
その山猫博士とやらがゴーシュの失踪にかかわっているとしたら、危険なにおいのす
る事件と背中あわせのようにも思えて、アリスはすこしだけふるえました。目の前の三
毛猫はまあ、わるいひとではないけれどもあんまり頼れそうにもない。ひとりで闘うこ
とになるのかしら、とアリスは心細くなったのです。
「ねえ、猫さん。つかぬことをきくけど、あなたは武術の心得はあるの?」
「みそこなっちゃいけません。わたしはもっぱら天然の美味をめでることにいそがし
くて、やっとうにはとんと不調法でござんすよ」
三毛猫はへんなふうに胸をはって、アリスをがっかりさせました。
「そうよね。あなたがアンディ・フグだなんてこれっぽっちも思っちゃいないわ。と
ころでもうひとつわかったことはなあに?」
「へい。わたしたち猫がイーハトーブで困ったときに頼る場所があるんですよ。猫の
失踪にかんしちゃ、もうすべておみとおしです。ゴーシュさんにかんしてはなんともい
えませんが、猫のついでに何か情報が届いているかもしれません」
アリスはほっとしました。山猫博士よりもいかにも安全に思われますからね。
「そこにわたしを連れていってくれるというわけね。ぜひ、お願いしたいわ、猫さん
。いったい、そこは何という場所なの?」
「猫の事務所でさあ」
三毛猫はあっさりと答えると、明朝に迎えに来るから、といって暮れかかったとうも
ろこし畑のなかに消えました。
「猫の事務所だって。そのまんまじゃないの」
アリスは小さく笑い声をあげると、ゴーシュのベッドに横になりました。もっとこう
世間体なども考えて、立派な名前をつけるといいのに、とアリスは思いました。たとえ
ば、「猫中央情報局」とか「猫総合研究所」とかだとたいしたものです。いかにも重要
な任務をはたしているように思えるではありませんか。「猫の事務所」なんて飾り気が
ないのもほどがあるわ、ともう一度ふくみ笑いをしているうちに、疲れていたのでしょ
う。アリスは深いねむりにおちていきました。
5・猫の事務所
猫の事務所は軽便鉄道の停車場の近くにありました。もうすでにひとり、先客があっ
て、それは三毛の年寄りの女猫でした。どうやら、その女猫はいままで独り暮らしをし
ていたのですが、だいぶ体も弱ってきて、悴たちに連絡をとりたいということで、この
事務所をたずねたようです。
アリスたちは入口の脇の椅子にすわると、かれらのやりとりをきいていましたが、じ
つに見事なものでした。猫の事務所には事務長の大きな黒猫と、その部下に4匹の猫書
記がおりました。白猫、虎猫、三毛猫、釜猫と種類もとりどりです。
女猫は人間との暮らしがながかったせいか、じぶんの本名を忘れてしまっていました
。じぶんの名前を「三毛」としかいえません。黒猫はそれは種族の名前で本名ではない
だろう、というのですが、らちがあきません。
時間がかかりそうだわ、とアリスは思いましたが、それからの黒猫の手際はあざやか
でした。
「では悴の名前は覚えているだろう。なんとつけた?」
「はい。最初の子供はタンにトンにクィンにペンにサンにそれからマンでございます
。つぎの子供はクニャンにムニャンにモニャンにプニャンそれからドニャンにホニャン
でございます」
黒猫は銅線をいくえにもはっているように見える目玉をくわっと見開くと、
「ふむ。ホニャンというのはあんまりない名前だ。書記一番、ホニャンをさがせ」
すると白猫が表紙のボロボロになったぶあつい茶色の帳面をくって、すまして答えま
した。
「サントン・ホニャン。ゲロ暦92年6月生まれ」
そこから、虎猫にサントン・ホニャンの系図をさがさせました。なるほど、さきほど
女猫がのべたとおり、タン、トン、クン、ペン、マンという兄がおり、兄弟にはクニャ
ン、ムニャン、プニャン、ドニャンがおります。母親の名前は、サントン・ロウという
こともわかりました。
「おい、ばあさん。おまえはサントン・ロウというのが本名だよ。ちゃんと手帳にで
も書き留めておきなさい」
さらに、事務長は三毛猫に兄弟の現況を調査させました。
サントン・タン。ゲロ暦102年9月行方不明。馬肉にて釣られたる形跡あり。
サントン・トン。ゲロ暦95年6月パラチブスにて死亡。
サントン・クン。フララ市メネ街21クサノ方寄留。
サントン・ペン。フラック市猫組合長。
「サントン・ペンは組合長か。それがいいんじゃないのかな。書記四番、ペンについ
て事情を述べよ」
釜猫は大原簿のクンとペンのところに手を一本ずついれて、待ちかまえていました。
ほかの三人の書記は「へっ」と横目で馬鹿にしたように笑っていましたが、アリスは仕
事ぶりに感心しました。そうそう、釜猫というのは夜かまどの中に入ってねむるくせが
あるので、からだが煤できたなくなり、顔には釜の底のすみがついて狸みたくなった猫
のことです。猫の仲間からはそういう汚らしいのが嫌われて、仲間はずれにされている
ようですが。
「サントン・ペン。フラック市猫組合長。徳望あり。名声あり。財産多し」
黒猫は大きくうなづいて、女猫をはげますように声をかけました。
「これはうまいぞ。おまえのむすこのサントン・ペンというのはフラックの市で組合
長になっている。たいへん評判もいいそうだ。そこへ行きなさい」
年寄りの三毛猫はもうよろこんで、なんどもおじきをして事務所を出ていきました。
黒猫はまずひとつ仕事をかたづけて、真っ赤なラシャをかけたテーブルにふんぞりか
えって、茶をすすりました。どうも態度が横柄なのがアリスは気になりましたが、まあ
、あれだけてきぱきと仕事ができるのなら、すこしは威張るのもしかたがないかもしれ
ません。
アリスは三毛猫といっしょに黒猫のテーブルの前にたちました。黒猫は三毛猫には目
もくれず、アリスをじろじろとながめまわしておりましたが、ポケットから懐中時計を
とりだして時間をたしかめて、またしまいました。
「何の用だ?」事務長はどなりました。
アリスはじぶんがしゃべっていいのか、いけないのか、わからないので三毛猫の顔を
見ました。なにしろ猫の事務所ですからね。三毛猫はとりあえず、ここは猫のテリトリ
ーだから、という目配せをして、一歩まえにすすむと
「へい。じつは、猫ではなくて、人さがしでお力を借りたいと思って、来たのですが
ね」
「人さがしだと?」事務長はいぶかしげに目をほそめると、しばらく髭をなぜていま
した。四人の書記たちは息をひそめて、なりゆきを見守っています。
「どういうことかね。はなしたまえ」
(つづく)
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