イーハトーブの国のアリス(10)

                                   written by たねり

6・ポラーノの広場(承前)

 ファゼーロがしゃがみこんでつめくさを確かめてから、アリスたちをうながしました
。なるほど、一つひとつの花にはそう思えばそうも見える小さい茶色の数字みたいなも
のが書いてあります。
 「これは342・・・6だよ」
 「おや、こちらのはずいぶん数字がちがいますぜ。1256かな。いや、17058
にも見えるぞ」
 「ずいぶんぼんやりね」
 アリスはどうしてもファゼーロみたいにはっきりは読むことができませんでした。け
れども花のあかりはあっちにもこっちにもいっぱいで、いつの間にか野原は青白く光る
銀河のようでした。
 「3866・・・5000まで数えればいいんだから、ポラーノの広場はもうじきそ
こらにあるはずなんだけれども」
 「だけど、音楽はきこえてこないわ。ほんとうに近くにきているのかしら」
 アリスはまるで夜空をうつしたような野原の星の散乱にはみとれましたが、かんじん
のポラーノの広場へむかう正しい道筋をえらんでいるのかどうか、疑いも湧いてくるの
でした。
 「ねえ、あなたたちのいっていたムラードの森にはもう入っているの」
 「いや、まだよっぽどありますよ。ねえ、ファゼーロ」
 パッヘルベルが自信をもってファゼーロに問いかけました。
 「うん、よっぽどある」
 「ならこんなところで時間をかけるなんてもってのほかだわ。音楽のきこえていた場
所までいきましょうよ」
 アリスはなんて手際のわるい人たちかしら、とすこし腹をたてて、ずんずん歩き出し
ました。つめくさの青じろいあかりが天の川のように幾条にも縞になった野原をだまっ
てどんどん歩きました。野原のはずれのまっ黒な地平線の上では、空がにぶい鋼のいろ
に変わってゆき、小さな星たちもうかんできましたし、あたりの空気もいよいよ甘く感
じられました。
 そのときです。
 ぼんやり青白い野原のむこうで、何かセロかバスのようなふるえる響きがしずかに起
こりました。アリスは耳を澄まして、音のありかをたずねました。音はしずかにしずか
に呟くようにふるえています。けれども、一向に方角がわかりません。もう南でも西で
も北でも東でも、そう思って聴くと地面の中でも高くなったり低くなったり、たのしそ
うにその音は鳴っているのでした。
 「まるで昔からのはなしと同じですぜ。これじゃあ、音がどこからきているのだか、
わかりゃしない」
 パッヘルベルがガラス函のちょうちんをゆらして、肩をすくめました。
 「こんなに方角がわからないのでは、やっぱり言い伝えのようにあかりの番号を読ん
でいくしかないのかしら。ねえ、ファゼーロ。いくらまで数えればポラーノの広場に着
くといわれていたの?」
 「5000だよ」
 「5000なの。ここらあたりはいくらでしょう」
 「3000ぐらいだよ」
 「じゃあ、北へいけば数がふえるか、西へいけばふえるか、調べてみましょうよ」
 アリスたちが手分けして周囲のつめくさのあかりの数字を確かめようとしているとき
でした。
 「はっはっは。お前たちもポラーノの広場へ行きてえのか」
 うしろから大きな声で笑うものがありました。
 「なんだい。山猫の馬車別当め」
 驚かされて、パッヘルベルがむっとした声でいいかえしました。
 (山猫って、山猫博士のこと? ずいぶんひとを見下した態度をとるものだわ)
 アリスはガラス函のあかりのむこうにぼんやりと浮かぶ人物の輪郭をみつめました。
足がまがった片目の爺さんで、両手はポケットにいれたまま、また高笑いしていいまし
た。
 「三人で這いまわって、あかりの数を数えてるんだな。はっはっは」
 「数えてるさ。そんなら爺さんは知ってるかい。いまでもポラーノの広場はあるかい

 ファゼーロがききました。たとえ山猫博士の手下でもポラーノの広場へのてがかりを
持っていれば話し相手のねうちはあります。
 「あるさ。あるにはあるけれども、お前らのたずねているような、這いつくばって花
の数を数えていくようなそんなポラーノの広場はねえよ」
 「そんならどんなのがあるんだい」
 「もっといいのがあるよ」
 「どんなのだい」
 「まあ、お前たちには用がなかろうぜ」
 爺さんはのどをくびっと鳴らして、かたすかしをくわせます。しかし、ファゼーロも
あきらめてはいません。
 「爺さんはしじゅういくかい」
 「いかねえ訳でもねえよ、いいとこだからなあ」
 「爺さんは今夜は酔ってるねえ」
 「ああ、上等の藁酒をやったからな」
 爺さんはまたのどをくびっと鳴らしました。
 「ぼくたちは行けないだろうかねえ」
 「行けねえいけねえ。あっいけねえ、とうとう悪魔にやられた」
 爺さんは額を押さえて、よろよろしました。カブトムシが飛んできてぶっつかった様
子でした。
 「爺さん、ポラーノの広場の方角を教えてくれたら、おいら、爺さんと悪魔の歌をう
たってきかせるぜ」
 ファゼーロはもってまわった話をしていてもらちがあかないので、ずばりと核心にふ
れました。
 「縁起でもねえ。まあもっと這いまわるこったな」
 爺さんはぶりぶり怒ってつめくさの上をずんずん南の方へ行ってしまいました。
 「爺さん。お待ちよ。また馬を冷やしにイギリス海岸まで連れていってやるからさあ

 ファゼーロが追いかけるように叫びましたが、爺さんは聞く耳をもたないふうでどん
どん行ってしまいました。
 アリスたちはまたあるきだしました。山猫の馬車別当からはなんの手がかりもつかめ
ず、ほんとうに今夜ポラーノの広場にたどりつくことができるのだろうか、という心細
さが三人の気分を重たくしていました。
 空中にはカブトムシの鋼の翅がりいんりいんと張る音があちらでもこちらでもきこえ
ていました。その金属音にまじって、たしかにべつの楽器やひとびとのざわめく声がと
きどき聞こえて、またわからなくなりました。
 ファゼーロはすばやくそばの樺の木にのぼり野原の西の方をながめていましたが、ぶ
らさがってはねおりてくると上気した面持ちでいいました。
 「ねえ、広場はここから西のほうになっているはずだから、あの雲のすこし明るいと
ころを目当てにして歩いていこう」
 しばらく行くとファゼーロがいきなり立ち止まってアリスの腕をつかんで西の野原の
はてを指しました。そこには何の木か判然としませんが、78本の木がじぶんのからだ
からひとりで青い光を出しており、あたりの空もぼんやり明るくなっているのでした。
 アリスはもうまっさきに立ってどんどん急ぎました。カブトムシの翅の音はいよいよ
高くなり、青い木はその一つひとつの枝まではっきり見えてきました。木の下では、白
いシャツや黒い影や黄色いドレスやまるで人形のように行ったり来たりしています。誰
かが片手をあげて挨拶でもするようにしているのも見えました。
 さっきの青い木はかなり大きなはんの木でしたが、その梢からはたくさんのモールが
張られて、その葉まできらきらひかりながらゆれていました。その木の上では、いろい
ろな蝶や蛾が列になってぐるぐると輪舞をしていました。
 「わたしたち、ポラーノの広場に来たのね」
 アリスはパッヘルベルとファゼーロの顔を交互にみつめて、高ぶる気持ちを静めるよ
うにいいました。
 「ゴーシュさんをさがしましょう」
                                 (つづく)

 Copyright (C) 1999 by たねり

  


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