藤野ひろ子は、せつないカンツオーネ風の歌を唄う人で、私が少年時代に一番好きだった歌手である。決して美人とは言えないが、清純な感じのする、綺麗な声の持ち主だった。
彼女は、「ありがとう」という曲で、1969年に、ヤマハポプコンの第1回作曲コンクール特賞を受賞し、同年デビューした。この時、入賞だったのがオフコースである。その後、ヤマハポプコンは、井上陽水や上条恒彦、葛城ユキ、八神純子、渡辺真知子、松崎しげる、中島みゆき、因幡晃、世良公則、円広司、CYAGE&ASUKA、伊藤敏博、あみん、辛島美登里など数多くのアーティストを輩出したことで有名である。
1969年は、70年安保前夜でグループサウンズブームも去り、「時には母のない子のように」や「一人寝の子守唄」をはじめとする暗い曲が一世を風靡した。藤野ひろ子のデビュー曲「浜でギターを弾いてたら」も1969年の暗く切ないフォーク調の曲で、結構売れたのである。大ヒットとは言えないまでも中ヒットと言えるのではなかろうか。
(なお1969年の流行歌については詳しくはこちらをご覧いただきたい。)
浜でギターを弾いてたら〜さみしくて、さみしくて〜あなたがいなけりゃ〜♪
藤野ひろ子が、当時、小池アナウンサーがやっていたアップダウンクイズにゲストとして出演した光景を、私はハッキリと覚えている。
「藤野ひろ子さんといえばカンツオーネですが、それではイタリアのカンツオーネの女王といえば誰でしょう?」
2曲目の「鳩のいない村」は、現代のエコロジーを先取りし、レイチェル・カーソンの「沈黙の春」を彷彿とさせるイメージの暗い名曲であったが、小ヒットというところだった。
3曲目の「恋のふるさと」は、せつないラブソングで、私は好きだったが全くヒットしなかった。
やがて藤野ひろ子の名前は歌謡界から消えていった。
そして、なんと30年近くぶりに1998年に藤野ひろ子がシングル曲をリリースしたのである。
それが花日記/レクイエムである。
「花日記」は、姫路しょうぶ園20年記念として作られたそうで、抒情歌謡と銘打った佳品、「レクイエム」は神戸震災の時に作詩家が書き留めておいた、愛する人への鎮魂詩に曲付されたものだそうである。
ほんとに懐かしくてさっそく注文して買い求めた私は、曲をドキドキして聞いた。いやーあ、素晴らしい! あの艶のある伸びやかでせつない歌声は変わっていなかった。♪♪
彼女は、歌が上手く年齢を感じさせない「さわやかさ」があり、そのため三重県嬉野町や岐阜県大垣市など日本各地のまちづくりのテーマ曲を歌ったり、まちおこしイベントに出演したりしている。
また落ち着いた雰囲気と上品さがあるので、ホテルのディナーショーなどにも出ているようだ。
考えてみれば1969年に同期デビューした藤圭子や辺見マリは、すでに芸能界を引退し、それぞれの娘すなわち宇多田ヒカル、辺見エミリが現在活躍している。
もうそんな時代なのに、あえて再デビューし頑張ろうとする藤野ひろ子の姿には喝采のエールを贈りたい。私も含めた夢失わない中年世代の心の支えとして頑張ってほしい。今後の活躍を期待したい。