2000年の落書き
草莽工房庵主敬白
2000年の今、音楽シーンでは久しく『モーニング娘』が流行っている。これは、ASAYANというTV番組のオーディションで選ばれた女の子達が、つんくプロデュースで歌手デビューし成功したもので、最近はヒットチャートの上位に常に食いこんでいる。
同じようなASAYAN出身の歌手として小室哲也プロデュ−スの『鈴木あみ』がおり、彼女もヒットチャートの常連である。
このASAYANのオーディション・バラエティーというコンセプトが、いかにもTV時代を利用した感がするのだが、等身大の女の子達がスターになって行くという、同時進行的な過程のドラマが楽しめるということで人気があるわけである。
一方では、宇多田ヒカルや倉木麻衣のようにプライベートな部分があまり露出しない人気歌手もあり、それはそれで存在価値があるのである。
つんくの下世話的なわかりやすい音楽が好きな人もおれば、より音楽性の高いものや、歌手に対してはプロとしての歌唱力を期待するという人もいるだろう。
だが『モーニング娘』のあれほどの人気ぶりを見ると、日本人の流される習性が見え隠れする。むろん、あくまで歌謡曲は大衆文化であり、時代を映す鏡である。「歌は世につれ、世は歌につれ」ということだ。
『モーニング娘』、『宇多田ヒカル』、『椎名林檎』、『浜崎あゆみ』、『小柳ユキ』・・・彼女達は、まさに今の日本の迷うがごとき時代性を体現しているのだ。
さて、音楽以外に2000年の指標はなんであろうか?
カルト宗教が話題を呼ぶ一方、凶悪な少年犯罪がマスコミを賑わす。
中心となる価値観を失ない、家庭は徐々に崩壊し、学校教育も頼りにならない。株価は低迷し、政治はまるで変らない。
流される習性の民族が、価値の崩壊した状況に投げ込まれたらどうなるのか。
カルト的な宗教に走るか、オタク的世界から犯罪に走るのか。
明確な目途のない現代社会の閉塞した状況が、そこには映されている。
いずれも明るい「次」が現れてこない。まさに、「何か見えない」というのが実感である。
スポーツでは、サッカーは一時ほどの輝きがない。
こんなことで、2002年のワールドカップは果たして成功するのだろうか? 時代を変える起爆剤と成得るだろうか?
私自身はサッカーが大好きなのだが、どう贔屓目に見ても、今のところ、あまり期待できないような気がする。
ちょっと暗い無責任な2000年の落書きでした。
2000年6月
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