人間にとって、「水」特に「淡水」は最も大切な資源である。
農業は川の利水により飛躍的に発展し、その生産力に基づく文明は、大河のほとりに興隆した。
温帯モンスーン気候の緑したたる国、日本では悠々たる大河はなく、急峻な山岳から谷をうがって短い川が流れ落ち、大雨の際はよく氾濫をおこした。その川の周辺は、日本人の生命線−水田農業地帯であり、それを可能とするためには、ある一定の時期には田を冠水させたり乾燥させたりするすぐれた技術が発達した。さらに、降雨量が少ない瀬戸内式気候地帯には、「ため池」という保水施設の共同管理技術も発達した。
また水田は、水の流れをゆるやかにして洪水を防ぎ、地下水を補給し、雨の多い梅雨時の巨大な保水装置としての働きをした後、やがて水を大地の中から川や海へと還元する。
秋になれば、水を抜き稲を収穫した後、太平洋側では裏作として麦や野菜の栽培つまり畑としても利用することも出来る。
こうしたことから、日本人にとって利水および治水ということが必要不可欠なものとなった。
一例を挙げれば、江戸時代はじめに佐賀藩の成富兵庫という農業土木技術者がつくった「石井樋」は非常に優れたものである。川のあらゆる流れや洪水等にも対応し、土砂をためない仕組みになっており、最終的には水を逆向きに流してゆっくりと用水路へと導いた。この樋は、昭和38年まで、なんと333年間使われ続けた。
ところが近年造られたコンクリート製の堰は、土砂を溜め込み周辺の生態系を破壊したため100年も持たないと言われている。
平野部では人間が増え都会化し、水路や濠が埋められ高速道路が走り、剥き出しの土や水の部分が減り、ヒートアイランド現象がおこった。地表がコンクリートに覆い尽くされ、わずかに残った都市型緑地では、アルカリ化した土壌に強い外来植物が優勢となった。
これだけ人が集中すれば、自然が破壊されるのも当然だろう。
今、都市に野生の自然をそのまま復活するのは無理なことである。
ただ、都市のある平野部こそ、水田農業の歴史の中で、できるだけ自然と調和したかたちの開発をおこなってきた場所である。そうしたやり方で、自然の力を尊重しなければ、利水・治水ができなかったのである。
近代工業の発展とともに、そうした利水の知恵は忘れ去られて行き、人口の集中と工業排水は河川の水質を一挙に悪化させた。
最近は市民運動の高まりや環境行政側の努力もあり、一時のことを思うと確かに川はきれいになったようである。
ただ、自然と共生する方向での利水・治水の知恵をもっと働かせねばならないように思う。
単にBOD・COD濃度を改善するだけでなく、少しでも本来の生態系を復活させる手だてを考えることはできないだろうか。
1プランを提案してみたい。
それは「河川の自然公園化」である。
都市近辺では、全ての河川が護岸を有している。そこでこの護岸の内側を、いわば聖域として自然公園にするのである。
護岸の内側には、透水性の「かくし護岸」を段丘状に配し、水際から乾燥した場所まで多様な環境が形成される「手助け」だけをおこない、その後、基本的には自然のままにまかせる。
汚水を流すようなことは当然やめるが、過剰に人間が手を加えるようなことはしない。護岸内は川が蛇行するにまかせ、植物が繁茂するにまかせる。これにより変化に富む河川敷が生まれ、多様な生物が生息可能となる。
環境に変化がない場合、植物遷移の最後は極相に至り、単調な相に安定するが、幸いなことに河川では時たま氾濫が起こり生態系が変化する。規模は小さいものの、この河川自然公園内でも、小さな氾濫により砂州の形が変化したりして、一部で遷移の段階が後戻りし、パイロットプラントから極相種まで、常に多様な植物相が広がることになる。
このような自然公園が都会の真中にできたらどれだけ素晴らしいだろう。植物だけでなく魚、昆虫、鳥そして小動物などが生息する親水性の生命相豊かな空間が生まれるのではないだろうか。
都市への異常な人口集中と産業活動が水質を悪化させた。地球的な規模から見れば、これはまさに人間が引き起こした病的な現象である。都市へ富を集中するという形で、周辺の自然も被害をこうむり、ひいては発展途上国の森林資源を減らしたり「地球温暖化」「砂漠化」という現象まで引き起こしている。
だがこの都市を完全に否定することは困難である。多くの人間は、都市に職場を持ち、今後もその中で生活していくだろう。我々はそれぞれの生活していく場で、時間がかかろうと、わずかな場所であろうと、自然を回復させる努力が必要である。さもなければ、結局、人間にとっても大きな災厄を招くことになる。
都市の中の河川で、親水空間を設け、水質を保全し、自然を確保させることは、長い目でみれば利水という意味でも優れた施策ではなかろうか。