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そもそも情報化とは何ぞやと考える
草莽工房庵主敬白
人間だけでなく、動物だっていや植物すら情報をやり取りしている。だが、それらの情報よりも、人間がやり取りする情報のほうが、より高度であるという言い方をされる。また高度であるとは、歴史的な発展の意味合いがこめられ、それは、高度情報化社会といった言葉づかいにはっきりとあらわれる。高度であるということは、いいかえれば価値があるということである。
しかし、よく考えてみれば、高度であるとは、どういう意味なのであろうか。
どうやら、文明化とは、情報という切り口からみれば、自然体験のような「生(なま)」の体験が失われ、より人工的なヴァーチャルな情報体験に置き換えられていくことを意味するようである。そして、高度化するとは、仮想体験という形で、より多くの疑似認識の機会が増え、それが整理されシステム化されることにより、人間の可能性をより広げていくことであるといえよう。
「生(なま)の自然体験の重要性」というのが、私のもう一方の主張なのであるが、それに関連して「高度情報化の危険性」というものも当然存在するのである。しかし、それについては、別の個所で詳しく述べたい。とりあえず、ここでは、そうしたマイナス面を補って余りあるメリットがあるからこそ、情報化が事実上進展してきたのであり、新しい人間の可能性が開かれてきたという肯定的な事実を確認したい。
人類は、言葉を持ったときから、この高度情報化への道を運命づけられていた。言い方をかえれば、ヒトがヒトたりうるのは、ヴァーチャルな生き物になることによってなのである。差異によって情報を伝達し加工し保存し再現する、それが人間なのである。言葉、絵、音楽、文字の発明から筆記具、紙、活版印刷、信号機、写真、電話、録音機、ラジオ、テレビ、ビデオ、CD、FAXそしてコンピュータからインターネットへという形で様々な情報をより速く広く簡単・正確・大量に記録したり加工したり伝達したりするツールを発展させてきた。
ここで、あるべき情報化の定義を私なりに考えると
「情報化とは、人間の情報活動が高度化していくという側面から人間社会をとらえ、それを健全かつ肯定的に進めていくこと」
ということになる。
Ver 1.03 (1998.2.19更新)
単に、複雑であるということなら、例えば臭いの情報なら、動物のほうがより複雑で豊かな情報の世界を持っているだろう。
また、人間の世界に限っても、有史以前の人のほうが、自然に対する複雑な文化を有していたと思われ、現在でも、都市化し文明化?すればするほど、自然とのつながりが失われ、人間の自然体験は類型化し貧困になる。
ところが、自然に関する理念化され整理された情報は、逆に増え続け、その典型である科学は発展していく。
こうして、今や時間・空間の制限を越えて、人々が情報を交換するようになってきた。
さらに、その内容も文字・音声・画像等と多岐に広がってきており、今日、パーソナルコンピューターの普及によりそれらの各種情報がデジタル化され、融合して利用できるようになった。このマルチメディア化は、利用する者の視点からとらえると、仮想的に自分の五感がどんどん延長・拡大していくことを意味する。それはまた、理想的には、論理をこえて人間同士を限りなく近づけ、相互理解に満ちた平和な社会をもたらすことになるだろう。
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