私はカンボジア旅行をきっかけに、最近、魚醤にとりつかれている。
焼き魚を食べる時は、必ず魚醤をかける。これが実にうまい。もともと魚で作られた調味料だから特に相性がいいのだろうが、もう最高である。
さらに鍋料理にはもちろんのこと、カレーやシチュー、ラーメン・うどんダシ、味噌汁などにも隠し味として使う。餃子の餡やお好み焼き・スパゲッティーなどにもほんの少々入れるといいようだ。
手に入りやすいのは、タイの「ナンプラー」、ベトナムの「ニョクマム」、そして日本の「しょっつる」と「いしる」だろう。大きな食料品店では最近よく見かけるようになった。だがカンボジアのものやインドネシア、フィリピンのものはなかなか見つからない。
その中で一番おすすめはイワシ製の「いしる」だと思う。くせが少なく魚醤入門として使いやすいし、タウリンを大量に含んでいて健康食品としても大きく評価できるからである。イカ製の「いしる」はややクセが強く玄人向きである。
ただ調子に乗って最初からドバッと使わないように。まずは、ひかえめに使うのがコツである。
参考までに、タウリンの含有量の大まかな目安を述べると、イカ製の「いしる」500、イワシ製の「いしる」200、「ニョクマム」180、「ナンプラー」100、「しょっつる」50、「穀物醤油」30程度である。(単位mg/100ml)
日本の魚醤としては、他に香川の「いかなご醤油」が有名である。山形県の飛島にも残っており、八丈島近くの青ヶ島にもまぼろしの「シュウデ」がある。
塩辛類に関しては、日本は有数の消費国かもしれない。「イカの塩辛」という王者があり、他の塩辛類がかすんでしまっている感があるが、種類は多く、「ごはん」や日本酒にあう存在としてなくてはならないものだろう。
アジアの魚醤は米の文化と密接に結びついている。
つまり白米として粒食できる特色を持っている米は、それ自体には味がなく、塩分やアミノ酸のうまみを補充することにより、きわめて美味な食物となるのである。
これは小麦や大麦より優れた点で、気候として栽培に適したアジアモンスーン地帯では「主食」として圧倒的に稲作が広がって行き、米の生産を基礎に多くの文明が生まれることになる。日本の弥生文化から大和朝廷の成立もその範疇に属する。
その米食の際、味付けとしての副食が重要となる。
塩辛、魚醤、なれずしの類は、魚を利用して、米の副食として発展してきたものであり、いずれもアミノ酸のうまみと発酵食品としての保存性を共通点としている。
カンボジアのトンレサップ湖では、メコン川の影響で、季節的に淡水魚が産卵し大発生する。古代よりこれを利用して漁労が行われてきたのだが、この一時的に大量に獲れる小魚を集めて塩を振り掛けて醗酵させれば塩辛ができるし、その上澄みを煮詰めれば魚醤油ができる。現在のカンボジアの「トゥックトゥレイ(トクトレイ)」も基本的にはこうして作られている。
アジアの魚醤についてくわしくはこちら。
多分この古代カンボジア近辺で作られ始めた魚醤は、たちまち稲作文化圏に伝播した。なにしろ、米食に適した塩分うまみ調味料であり、蛋白質の補給も出来る塩辛・魚醤は万能副食であった。魚醤のほうはありあわせの野菜の調味料ともなった。
中国や日本でも古くは魚醤が作られていたことが文献で確かめられている。
実に魚醤は、アジアうまみ・だし文化の原点なのである。
現在でも、中国の「魚露」やフィリピンの「パティス」はもちろんのこと、
塩辛ペースト状のものを加えれば、「バゴオン」(フィリピン)、「ンガピィ」(ミャンマー)、「プラホック」(カンボジア)など。小エビ系なら「蝦油」(中国)、「トラシ」(インドネシア)、「ブラチャン」(マレーシア)、「カピ」(東北タイやラオス)など。さらにはバングラディッシュなどにもあるという。まさにアジアの文化である。
参考書籍・食文化圏についてくわしくはこちら。
東アジアでは、この魚醤を基礎として、より洗練された味となった「穀物醤油」が開発され広がった。特に中国や日本では大豆製の醤油が主流となり、いわば「穀醤うまみ文化圏」というべき食文化が、魚醤文化の上に、さらに花開いていると言えよう。
実は古代ローマでもこの魚醤と全く同じものが作られていた。「ガルム」と呼ばれたこの魚醤は、古代ローマの主要調味料であり、ポンペイの遺跡などでは魚醤を入れていた甕が沢山出土するし、その中にはなんと魚醤が残されて確認できるものもある。
現在は、南イタリアのごく限られた地域でわずかに生産されるだけだが、残存しており、滅びないうちに、私はいつかこの現存する魚醤(チェターラのコラトゥーラ)を訪ねてみたいと思っている。
塩辛・魚醤・なれずしの類は、世界中の魚を食べる民族に点々と存在しているようである。
そのそれぞれが、歴史的に関連あるものなのか、あるいは別々に関係なく発展したものなのか分からないが、いずれ整理してみたいと思っているので、少しでも情報をお持ちの方は、ぜひ連絡していただければ嬉しいかぎりだ。
有名な例をひとつあげよう。
北欧のスウェーデンにスールストレーミング(シュールシュトレーミング)という、思いきり臭い魚の缶詰がある。
これは半発酵の塩漬ニシンを缶詰にしてさらに発酵させるという、まさにニシンの塩辛だが、その臭いこと臭いこと・・・・
日本のくさやの干物や台湾の臭豆腐どころではなく、その缶詰を開けるときは隣近所の許可がいるとか・・・まるでバルサン以上だなあ・・・
さて、このスールストレーミングであるが、ネット上の友人でスウェーデンに詳しいYさんから貴重な情報をいただいたので、Yさんの許可を得て、以下に引用してみる。
(1)スウェーデンに「スールストレーミング」より有名な「グラバラックス(gravad lax)」という鮭の料理がある。(gravad>英語のgrave>穴掘る、墓穴)
(2)この「グラバラックス」は、もともとは長期保存のため、屋外に穴を掘って、そこに鮭を入れて塩を振りかけ、埋めておいて発酵させたものである。
(3)現在は、発酵させず酢などで味付けし皆の口にあう料理となっている。これは日本の「すし」の歴史とそっくりである。
(4)スールストレーミングもグラバラックスも、昔、大量にとった魚を
保存のため屋外の穴に埋めて置いたのがそもそもの起源である。(魚の貯蔵用の堀の話は、北欧の古典文学「サガ」にも出てくる)
(5)鮭のほうは人為的に味付けするグラバラックスになり、ニシンのほうは
ほぼ昔の形(発酵)を残した「スールストレーミング」になった。
これはスウェーデンの魚の発酵食品に関する素晴らしい情報である。
ローマのガルムとは直接の関係はなさそうだが、ひょっとしてという気もする。
発酵食品は細菌の力を利用するものであり、そのため独特の臭いがあり、時には腐敗臭を伴うものもあるところから、結構くさい食品が多い。
先ほどあげ塩辛類、くさや、スールストレーミング、臭豆腐だけでなく、チーズや味噌・納豆類だってくさい仲間だろう。
「なれずし」はその最たるものだろう。アジア各地に残る「なれずし」類はハレの食品であり、日本でも琵琶湖の「鮒鮨(フナずし)」は高級食品である。
その他では、漬物系ではすんきやグンドラック、納豆系のインドネシアのテンぺ、乳系ではケニアの発酵乳、中国の腐乳、ダワダワなど思いつくだけでもいくらでも出てくる。熟成という言葉があるが、発酵を利用したこれらの食品は、いずれもとっつきにくいが、はまると病み付きになるという特色を持っている。実は好きになるとこの発酵食品ほど美味なものはないのだ。
その発酵食品の最たるものは、いうまでもなく酒類である。
ほとんどの文明に酒類は存在し、「キリストの血」か「悪魔の水」か、是非はともかく、大きな文化であることは間違いないだろう。現代の巨大な産業のひとつでもある。
最近はチーズやヨーグルトが嫌いな人が少なくなったが、依然として受け付けない人も結構存在する。同じことが酒類にもいえ、その酒臭さが嫌いという人もあり、特に子ども達にそれが多いようだ。
多分、人間は「くさい」ということを本来は危険信号として受け取っているのだ。腐敗臭のあるものは、「くさっている」ものとして食べないように、生理的に出来ているのだ。
だが、人間自身が腸で有用細菌を飼っているように、微生物による発酵‐分解機能はきわめて幅広く、驚くように美味な食品を作り出すことも出来るのである。その発酵の臭いと腐敗臭が似ているものがあり、「くさくてうまい」食品が誕生してきたのである。