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自然体験について考える



私は、かつて、和歌山県の田舎町で、7年間ほど海の家の番頭さんのような仕事をしていた。
宿泊客は、ほとんどが大阪方面から来る都会人である。
一番楽しかったのは、子ども達を相手にすることだった。
いろんな子がいる。興奮してはしゃぎまわる子もいる。わざと退屈そうにする子もいる。蟹やヤドカリを追いかけまわす子もいる。こわくて、海の生き物を触れない子もいる。きれいな貝殻を集める子もいる。釣り道具を抱えてやってきて、日がな釣り糸をたれている子もいる。
山側でも、蚊に刺されたりしながら、カブトムシを探したり、美しいハンミョウをとってくれとせがむ子がいる。花を摘んだり、大きなアゲハ蝶に歓声をあげる子もいる。

子ども達を観察していて、いえることは、水遊びの嫌いな子はいないということと、年齢が高くなればなる程、自然に対する感動を素直にあらわさなくなるということである。
まだ、都会暮らしに全人格が染まっていない子ども達に、私は人間の本来の姿を見るような気がしたのである。

そもそも、人類の歴史100万年として、そのうち99万5千年以上、人間は生(なま)の自然と直接向かい合って生活してきたのだし、自然体験が人間にとって大切な部分であるという思いをどうしても捨て切れないのである。
私は、「自然にかえれ」といっているのではない。

 
先ほどの、昼間自然の中で遊びまわっていた子ども達だって、夜になると、テレビにかじりつき、ドラゴンボールやセーラームーンに夢中だったし、ほとんどの子がゲームボーイかウオークマンを持ってきていた。
自然の中で住んでいると思われている田舎の子ども達だって同じ事である。日本には都会化された田舎があるだけであって、テレビの情報は隅々まで行き渡り、普通の男の子は少年ジャンプを、ませた女の子はmcSisterを読んでいるのである。それはそれでいいのだ。

一般論でいえば、都会化し文明化してきたのは、それなりの必然性があり、自然に起因する幾多の病を科学が克服してきたのも事実である。科学の進歩と情報化の進展は当然の流れなのだ。
だが、そこには人間性の根本に関わる重大な陥穽(おとしあな)も存在すると思う。
極論すれば、全く自然のないコンクリートの都会の中で、テレビとコンピュータにより記号化されたヴァーチャルな情報だけに接して、決して実際に他の自然や風土に接しない・・・・・そんな風にして、健全な人間が形成されるとは、私にはどうしても思えないのだ。
つまり、ニセモノの疑似体験が世界に広がるマルチメディア時代だからこそ、ホンモノの自然体験も同時に必要だと肌で感じるということだ。
私のいいたいのは、「人間と自然の共生」なのだ。

今や、実生活の場として、あるいは生業として、都市の人間が生の自然の中で生きることは不可能に近い。
食料となる動物たちと共に生き、その飼育過程や屠殺過程を体験することはない。また、木が生えている森の中で果実や山野草を採り、畑をつくり種を蒔き、自然のリズムに合わせて育て、収穫したり伐採したりして、衣食住を賄って行く生活は、完全に失われてしまった。

スーパーマーケットに並ぶのは、良くて肉の切り身や木の切れ端であり、それすら材料として敬遠され、レトルトあるいはインスタント食品や組み立てコンパネ家具が安く大量に出回っている。 そして、最近は土までも、園芸店で袋入りのものを買うことが一般的になってきた。自然の中から生まれるものは、生の意味を失い切り身パック商品化せざるを得ないのである。
だが、一方では、そういう都会化が進めば進むほど、都市の人々は自然にあこがれ、自然のなかで遊ぼうとする。むろん、それは、生活体験を捨象した、観察者あるいは旅行者としてにすぎないけれど、レクリエーションとしての自然体験は、都会人に必要不可欠なものとなっている。 

大人の世界では、アウトドア・ライフは、息の長いブームなのだそうである。車でもRV車の売れ行きは不景気にもかかわらず堅調である。釣り人口は1千万人ともいわれる。ゴルフだってある意味では、現代人の自然志向を体現しているとも考えられる。スキューバ・ダイビングや登山・スキーなどの自然に触れるスポーツは、その年齢層をますます広げている。わざわざ、ひなびた田舎の温泉に行き疲労回復をはかる人も多い。
そして、なによりも、大自然に触れる旅は、我々に素晴らしい感動を与える。

現代人は、知らず知らずのうちに、都会のビタミン不足を補うかのように、自然の方へ足が向いているのではなかろうか。
レクリエーション=人間の再創造は、生(なま)の自然体験なくしては、不可能なのである。
ただ、そのためには、都会人のエゴからくるやらずぶったくりの自然荒らしではいけない。自然と共生していくということは、今現在田舎に生きている人と共生することでもある。スキー場やゴルフ場の乱開発が何をもたらしたか、バブルがはじけて我々は多くを学んだはずだ。
「自然を愛すること」は、単純な問題ではない。ネットのモラルの確立にも似て、みんなが、地道に力を合わせて、一歩一歩それなりの努力を積み重ねていくことが大切だろう。

Ver 1.05 (1999.5.12更新)


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