環境倫理の問題を考える際、なにも自分達を怪物と見なす必要はない。われわれの生存が、複雑な生態系と遺伝子の多様さを維持する点にかかっていることは、すでによく知られていることである。われわれが自然を滅ぼすなら、われわれもまた滅ぶのみだ。
ディビット・ブリン 「知性化戦争」より
絶滅の恐れのある動植物を載せたレッドデータブックには、フジバカマやメダカをはじめタガメやハマグリまでがリストにあり驚かされる。
いずれも私の子ども時代にはきわめて身近な生き物であったものだ。
生きた化石として有名なカブトガニも同じような運命にあるが、最近エイズ治療に役立つことがわかり俄然注目を集めている。
このような例は枚挙にいとまがない。医学だけでなく、農学でも、有用な栽培植物の改良にあたっては、野生の原種の遺伝子の多様性が大きな鍵になっている。
すなわち、生物の多様性を維持して行くことが、われわれ自身の未来にとっても非常に大切なことなのだ。
多様性といってもさまざまな意味がある。「遺伝子の多様性」はその基本的な視座であるが、それを保証するためには「種多様性」が必要であり、またその種を多様に保証するためには「群集・生態系」の多様性が必要である。最近では、さらにその上の概念として「景観(landscape)」ということも言われている。
つまり、物理的な気候・地形等を含んだ生物群集の相互作用系全体を保全していくのが最善なのである。
「種多様性」という意味では熱帯雨林がその宝庫であることは間違いない。未発見種を含めて最低1000万種は地球上に生物は存在していると考えられている。そのうち地域的には熱帯雨林が半数以上を占めている。(種類的には昆虫類が過半数を占める)
酸素供給源という意味だけでなく、生物の多様性という意味からしても、熱帯雨林は非常に貴重なものである。
一方、温帯地方では原生林は残り少なく、開発が徹底的に進んでいる。森や草原といっても、本来の原生的な環境はほとんどなく、人間の手による二次的な自然でしかない。
こうした二次的自然にも程度があり、生態系との調和をはかるものから、ほとんど人工のもので覆いつくされたものまである。なかでも、生物多様性という観点からすると、コンクリート化した都市は「きわめて貧困な場所」である。
生態系との調和をはかる二次的自然のあり方の例を挙げたい。それは、例えば、スイス亜高山地帯の牧畜用のアルプの景観や、日本に古くからある水田農業用の里山の景観である。
こういう場所は、長い長い年月をかけて、自然と共生して生きてきた人間の知恵が活かされており、「ウサギ追いしかの山、コブナ釣りしかの川」とか「思い出のグリーングラス・オブ・ホーム」と歌われるように、都会人たちの「ふるさと」の姿もここにある。
そう、日本の原風景ともいうべき里山の農村を思い浮かべてみてほしい。
村を遠望すると、低い場所には川が流れ、大きな水田が美しく広がり、そこからやや小高い山際には農家が点在する。そして、その裏山裾には少しだけ果樹があり、雑木林が里山一帯をおおっている。
川から水田には水路が引かれ、ナマズやドジョウも水田に入りこみ、タガメやゲンゴロウ、メダカもたくさんいる。畔や土手にはツクシやヒガンバナが生え、溝や水路の脇には、セリやミツバ、フキが育っている。
また、里山は薪や炭の生産地として資源が枯渇しないよう大切に保護されており、時折伐採されることで更新され、多様な植物の揺籃場所となっている。それにより、タヌキやウサギ、イノシシなど多くの動物も生息している。
この日本の里山景観こそ、人間が生活しながら、自然にとっても、適度な人為的撹乱によって生物の多様性が維持されている優れた例なのである。
しかし、最近こうした風景も徐々に瓦解しつつある。田はコンクリートの畔で区切られ、農薬の使用とあいまって、もはや水田は魚も昆虫も住めない場所になっている。また、里山は炭や薪が不用になったため見捨てられ、ゴルフ場に開発されたり、杉や桧の暗い純林に植え替えられてしまった。
生物多様性という面からみると、きわめて残念な状況である。
確かに、人間の住む場所も必要であり、利便性の追求により機械化や単純化が進むのは否めない。
しかし、人間も自然の一部である。このまま生物多様性が失われて行くのは人間自身にとっても好ましいことではない。少しでも多様な自然を残し、それと調和して生きる道を探るべきではないだろうか?
人間と自然と共生――今こそ、その具体的なプランを探る時期に来ている。
あるエスキモーの老婆と秋のツンドラで過ごした日のことを覚えている。
彼女は土を踏みしめながらネズミの穴を探していた。冬に備え、ネズミはエスキモーポテトと呼ばれる小指ほどの植物の根を貯えているらしい。
穴を掘り起こすと、本当にひと塊のエスキモーポテトが見つかった。老婆はそれを半分だけとると、持ってきたドライフィシュ(魚の干物)を代わりに入れ、再び穴を土で覆った。
「どうして」と訊く僕を、老婆はそんなこともわからないのかというように見つめ返した。
星野道夫 「アラスカ〜風のような物語」より