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2000年問題騒動の真相の巻

草莽工房庵主敬白


Y2Kとは何だったのか。
泰山鳴動して鼠一匹ではないが、情報化社会版ノストラダムスの大予言は、たいした混乱もなく終息しそうである。

おかげで、コンピュータ関連のはしくれの仕事をしている私のような人間は、今年の正月は今までにない奇妙な仕事で出勤しなければならなかった。
その正直な感想を述べると、「食糧備蓄まで呼びかけた国の姿勢は、安全への神話を錦の御旗として振りまわすアリバイづくりではなかったか?」ということになる。
いや、もっと言えば不景気な世紀末を活性化させるための、産業政策ではなかったのかと思わせるふしがある。ソフトウェア業界からホテル業界まで、Y2Kのおかげで潤ったのは事実だ。

防災問題はどれも同じだが、マスコミにはしきたりというのがあって、災害があった時、スケープゴートとして、とにかく匿名の責任者たる行政をたたくというのが安易な習性になっており、逆に「防災に金をかけ過ぎた」ということは非常に批判しにくい論脈(=タブー?)なのである。
今回のように発生期日が予測されて行政主導型としてピッタリの事例では、国は「Y2K警戒警報」を得意満面に宣伝し続けることにより大きなアリバイづくりが出来たのである。

しかしである。そのために国民の税金が使われたのは事実である。批判しにくい論脈だから、ここぞとばかりに使われたのである。一時的な公共的事業として産業活性化に貢献したのは認めるとしても、私はどうも釈然としないのである。

私はコンピュータ関連の仕事をしている関係上、Y2K対策の直接の担当者達とよく話をするが、皆本音の部分では「過剰警戒だなあ」という気持ちなのが肌身でわかる。
シニカルかつひそひそと語られる裏話は、そんな話題ばかりである。もっとも、それは決して表に出てくることはない。なぜなら、この不景気の時代に残業手当が稼げる可能性のある「おいしい仕事」は皆逃したくないからである。

いや、もっとうがった見方をするなら、そもそもY2Kとは、以上のような国などの過剰反応体制を見透かして、はるか以前から仕掛けられた、某コンピュータ業界の陰謀ではないかとも考えられる。
頭脳集団である某コンピュータ業界にとって、Y2Kの発生などは、とうに分かっていた事である。また、それこそノストラダムスの大予言ではないが、危機感をあおることによって商売が成り立つ絶好の機会であることも見え見えである。

もちろん業者にとっては、その商売をより大きなものにするためには、コンピュータなしでは生活できない社会を作ることが必須条件である。だが、コンピュータが高度になればなるほど、その仕組みや構造はブラックボックス化し、その闇の部分が大きくなって行く、。
そして一般社会はその見えない闇におののき恐怖し、一方ではそれを利用するものが跋扈するようになる。はたして、このような社会が、健全な社会といえるだろうか。そこにこそ官民あげて推進される高度情報化社会の陥穽があるのではなかろうか?

「ノストラダムスは去って行った。でもY2Kの恐怖は黙って見過ごせるだろうか・・・・。」
これは某ソフトウェアメーカーの‘99新製品のキャッチコピーであった。私は、これを見て、Y2Kそのものより、それで儲けようとする当然のあり方の背後にあるものに、薄ら寒さを感じられずには居られなかったのである。


コンピュータへの過大な期待と過大な恐怖。
今、それを利用した最高の商売は、ずばりセキュリティー事業である。
中身のアプリケーション・システムより、安全性確保のためのシステムのほうが金がかかるという事実は、ネットワーク社会の皮肉である。
そして、よきハッカーはよきセキュリティー技術者なのである。そこを握ったものが、次の社会の首根っこを押さえる可能性がある。
かつて「インターネット」という映画があったが、あの状況はまさに現実なのではないか。そんな思いをさせられるY2K騒動であった。




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