隣の地区のまだ先にある、自分たちの元の氏神様というのも少々変わっているが、この神社のなまえが藤田神社という、ありふれた人の姓と同じであるのも考えてみると少し変わっている。わが村を開いた偉い人が藤田であったのか、都の情け深い領主が藤田という姓であったのか、またはこの辺りに藤田という字(アザ)の地があったのか、それらは何も解らない。 なぜなら由緒書きも故老の言伝えも、この神社に関する限り一切ないからである。 そして、私が知る範囲では、現在、藤田という姓の家も、地名らしきものもわが村及びその付近にない。藤田などという現代人みたいな名より、もう少し有難そうな、延喜式に出て来るような神社名の方がよいのにと思うのは私だけだろうか。

それに比べると、すぐ隣の中島地区の氏神様は「川裾さま」という雅びな中世風の名前である。付近の小さな平野を流れる小川は、この神社の南あたりで、東から突き出てきた西光寺野という丘陵地帯の西端の崖で遮られ、大きく湾曲して深い淵瀬になっている。 その付近は無人の離れ地で昼なお少し暗く、私の子供の頃でも通るのに気持ちがよくない処であった。
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