雨の話




 妙に曇りぎみの空だった。
 これは来るな、という嫌な予感に誘われて、早めに切り上げてバイクに跨った。
 だけど、間に合わなかった様だ。いや、ひょっとしたら、俺が出たから降って来たのかもしれない。最近、ついていない。
 ポツリ。
 ジーンズの青の上に藍色の染みが広がる。
 更に、ポツリ、ポツリ。
 俺は信号を睨みつけた。ここから家なら、約30分。この国道を突き抜けて、あの裏道を利用してショートカット、信号に捕まらなければ、20分。
 本降りになるまでに帰れるかもしれない。
 早く青になれ。

 信号しか見てない俺の視野の片隅に、横断舗道を歩く人達の姿が映るともなしに映る。色とりどりの傘が開き始めていた。
 信号が変わる。
 だが、通行人は絶えない。数瞬のズレを待って、ようやく視界が開いた。
 あらかじめギアをロウに入れておいて、同時にアクセルを吹かす。半クラッチをひきずりながら、タイヤはアスファルトを刻んで走り出した。ヘルメットのバイザーに雨滴が模様を描き出す。
 早く、早く。
 そう思いながら、信号の黄色に変わった角を右折。遅い、もうワンテンポ早いタイミングでないと、あ、ほら。
 次の角で又信号に捕まる。ギアをニュートラルに戻し、待つ。
 「……」
 胸の中に、なにかモヤモヤとしたものがわだかまっていた。
 何に対する怒りだろう。何に対する不満だろう。
 雨足は急速に強くなっていく。
 早く青になれ。

 今度は通行人は居なかった。信号が青に変わる。すぐに走り出す。
「!」
 そして、急ブレーキをかけた。
 あの傘!
 止めたバイクの上で、かなり無理な姿勢で、後ろを振り返る。
 そうだ、あの傘だ!
 さっきの、手前の角を渡っていた人の中で、ひと際目だっていた、ピンク色の大きな傘。
 どうしてその瞬間に思い出さなかったのだろう。
 道路は熱気を蒸し返し、霧をはらんだ様に見え始めた。
 跳ねる雨音が聞こえてくる様な気がする。
 ……いや、違う、別人だ。
 そうも思いながら、俺は4車線あるその国道を利用して無茶なUターンをした。
 信号はまだ青だった。

 さっきの横断舗道へと戻る。誰もいない。
 あの傘は、どちらに歩いていた? そう、あの時視界を左から右へと移ったはず。移った行き先は、舗道を越えて、それから……多分……
 その近くの細い道を見つけ、そこへバイクを乗り込ませた。
 途端、一方通行の標識に出くわす。すぐにアクセルを緩めて、また開き直した。
 ええい、かまうか!
 来た事も見た事もないその道を、走り続けた。
 路面は淡く光を照り返し始めていた。

 それらしい角を曲がる。それらしい人影を追う。
 お笑い草だ。彼女が、この地区に居るとどうして判る? ちょっとそこのバス停から、既に遠くへ行ってしまってないとどうして言える?
 だが、だが、まだこの区画に居るのかもしれないのだ。その可能性も捨てきれないのだ。だったら、だったら。
 同じ細道を往復し、又は地区を網目状に巡る。一方通行を無視して、何かの予感に背中を押されて、来た道を戻る。別の道を調べる。
 雨足は強く、強くなっていた。
 ジーンズは既に藍色。ジャケットも水を通して、冷たい感触を伝え始めていた。
 そう、ここまで濡れてしまえば同じさ。
 俺は、アクセルを吹かす。国道へと向けてでなく、更に込み行った地区の路地へと。

 目の前に信号。青に変わる。俺は飛び出し、そして、又ブレーキをかけた。
 なんてこった。
 そこは、出発点となった国道だった。
 入り組んだ路地という路地を渡り歩き、奥に奥にと捜索範囲を拡げているつもりで、又もとの位置へと返ってきてしまっていたのだ。
 ふと我に返れば、かなりの時間が過ぎている。
 いや、そんなの、我に返らなくても感じていた。
 びしょ濡れのグローブが語っている。
 背中から脇へと、汗ではない冷たいものが、流れて落ちる。
 ぐずつき続けた空は、大粒で激しい降りを見せる重い曇になっていた。

 いつから、手遅れになってしまったのだろう。

 まだ、手遅れでない、と何処かで思いながらも、俺は諦めてしまう。

 ……帰ろう、すっかり濡れてしまった。
 そう思いながら、バイザーを開けて、灰色の空を見上げた。
 雨が、頬を、伝った。








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