- いかなる光の下で - under the anylight -
(4) By 一歩
人工光の下で "under the colonylight"
無重力は、恩恵か。束縛か。
見方次第で 180 度変わる。
光溢れる足元を見下ろせば、窓の更にその向こうには、地球。
青く輝く、手の届かぬ地球。
「おい、じいさんを見なかったか?」
「この時間なら、いつも通り展望台だろう。なんだ、また問題が?」
「そうさ。6 番ブリッジが気になるうなりを上げている。」
「6 番? そりゃまずいよ、まず過ぎる。待て、俺も行くから。」
『判らない事があったら、じいさんに聞け。』
いつしか、それがこの、月の内側を回るコロニーでの不文律になっている。
誰が言うのでもない。積み重ねられた事実がそう語る。
「ああ、居てくれたか、じいさん。」
展望室には、一人の男が浮いていた。その瞳は、窓の向こうを見つめて微動だにしない。髪は半ば灰色にそまり、その顔には目立たぬしわが幾つか走る。だが、若い。せいぜい、中年、を、少し越えたぐらいの年齢か。呼ばれた声に、僅かに振り返った。
「トラブルだ。6 番がうなりを上げている。」
「……何をした?」
口数少なく、微かに答えるその声は、見事に若い外見を裏切っていた。
酷い年月を経た者だけに現れる、しわがれて割れた声。
「農業プラントの配置修正を。やっと新規の工業ブロックが来たんでね、モーメントの調整が必要になってるんだよ。」
「という事は、移動してるのは 2 番プラントか。」
「ああ。」
「すぐにやめろ。6 番は柱材の材質が怪しい。地上産を幾つか基幹に組んでいる。通常負荷ならともかく、2 番プラントは重過ぎる。あそこに下げるなら 4 番以降の軽いプラントにしてくれ。」
「待ってくれ、地上産? そりゃあ、ひどい手抜き工事だ! なんでそんなのが」
「通常は、それで足りる。今では、基幹過ぎて補強も無理だ。諦めろ。」
「くそ、仕方ないのか。
まあいい、それは置くとしてだ。じいさん、なんとかならんか? 時間がない、このままプログラムを進めたいんだ。たかがうなりだろ? ほら、こないだ 2 番の第 3 層でうなりが出た時はなんともないって太鼓判押したじゃないか。」
「あれは、最下層だからな。多少のたわみがあった方がむしろ健全だ。
今回は基幹だからな、問題の質が違う。
そうだな、では、5 番と 1 番の第 2 層を使え。それならプログラムを変えずに済むだろう。あそこは、対構造が特に誤差なくきちんと出ていた。二分割稽留すれば、2 番プラントの重さにも充分耐える。」
「第 2 層に稽留? ちょっと待ってくれ、そんなシミュレーション、した事ない」
「おい、やめろ。じいさんが出来ると言ったんだ。出来るさ。
すまなかったな、じいさん。それで行くよ。ありがとう。他には、何か注意点があるかい?」
医療室のドアが開いた。
「来たか、じいさん。これで何度目の定期検診になるかな。長いよな。
このコロニーも、建設時からの古株は、俺とあんただけになっちまった。」
「ああ。まさか、お前さんみたいな若憎と一緒に残る事になるとは、こっちは思ってもみなかったよ。」
「若憎はないだろ若憎は。今じゃ立派な中年さあ。まあ、無重力のおかげで、外見は若憎のままだがね。じいさん、あんたも外見だけなら、じいさんには見えないぜ。」
彼の体に医療パッドを貼り付けながら、医者は無駄話を続ける。
「外見だけじゃない。体の中身も健康そのものだ。地上じゃあ、あんた、30 歳でも十分通るよ。とても米寿の近い奴には見えないね。」
ふん、と、微かに鼻をならすのが、じいさんの答だった。
「他も、どうやら異常なし。いつも通りだよ、じいさん。」
「そうか。いつも通り、か。……」
そう言い残して、部屋を出ていく。彼の背中の僅かな失意を読みとれるのは、それを知っている、この医者だけだろう。閉じたドアに、静かに語りかける。
「すまん。じいさん。いつも通りなんだ。」
あるいは、彼がここで仕事を続けるのは、彼なりの責任の取り方なのかもしれない。
宇宙事業も波に乗り始めた時、彼は底辺の生活をしていた。そして、未来を賭け、3 基目のコロニーの建設に、学者としてでなく、職工として参加した。
無重力は初めてだったが、すぐに慣れて、それを味方として活用する術を学んだ。現場の人間でなくては知らない知識を総動員して、その建設を助けた。
「おおい! インターンが、検診に来てくれってよお! これで何度目の勧告だ? そろそろ行った方がいいんじゃないのかあ?」
「あほお、何処にそんな暇があるんだ? それより 3 番の溶接、遅れてるぞ!」
「ボス! 駄目だ、6 番の柱、材質チェックに引っかかった、ありゃ無理だ。」
「馬鹿野郎! 無理で済むか! なんとかするんだ!」
「なんとかって、なんだよ? あ、ちょっと!」
確かに、宇宙事業は波に乗っていた。何時その波頭が崩れるとも知れぬビッグウェーブの上に。誰もが必死だった。そのボルト一つに、その溶接の一瞬に、夢と希望を乗せていた。
「貴方は非常に健康です。これ程の時間を無重力で暮らして来ているのに、ほとんど機能が損なわれていない。ずば抜けて頑健な人だ。」
「ありがとよ。よし。じゃあ、現場に戻るよ。」
「どうぞ。あ、でも、毎週の検診には必ず来て下さいよ!」
「ああ、来れたらな!」
来れるはずがない。状況は常に波頭上なのだ。一分でも、一秒でも早く仕上げなければ。そして、建設は、要である彼がいないと一歩も前に進まない。現場で眠り、現場で目覚めた。食事はいつも味気ないチューブラバーで間に合わせた。体に異常を感じない限り、医務室は鬼門であり続け、そして、彼は、ずば抜けて頑健だったのだ。
再び医務室へと脚を向けたのは、基幹建設作業もあらかた終った後だった。
「なんで、今回は医療パッドだけじゃないんだい?」
「貴方が長く検診をさぼってましたからね、罰ですよ。」
「……それだけ、じゃ、ないな。おい、嘘はつけないぜ。あんたは顔に出過ぎる。」
「……カルシウムが。」
「ん?」
「貴方の体は、カルシウム固定剤が効かないみたいなんです。」
「飛び抜けて頑丈な体。ある意味、異常、だったんですよ。免疫系が非常に活発です。外部からの『薬』すら分解してしまうぐらいに。特に、カルシウム固定剤と相性が悪かった。最近、重い物とか持ち上げましたか? いや、かなり急激な G でです。」
「ない。大質量な品は沢山あるが、現場じゃ慎重でなくちゃいかんからな。」
「でしょうね。だから、誰も気づかなかった。貴方自身も。
今後は、意識して重い G は避けて下さい。骨が折れます。貴方の全身骨格は、既にスカスカで、スポンジぐらいの強度しかない。1 G の生活には絶えられない。
しかもこいつは、不可逆性の症状だ。
……もう、二度とは戻らない。手遅れ、なんです。」
「故郷には、妻の墓があるんだ。」
「……はい。」
「墓参りも、出来ないのか。」
「離着陸時の衝撃だけで、貴方の体はバラバラになるでしょうね。
医者として許可は出せません。」
「何処にも、行けないのか。」
「……」
「……ここだけ、が、俺の住み処、か。……」
いつか、俺をあの重力井戸に帰してくれ。
離着陸の衝撃を考える必要がなくなったらでいい。
その時は、宇宙服もいらない。ちょっと加速をつけて、エアロックから放り出すだけでいい。
墓石もいらない。
だから、必ず頼む。俺を帰してくれ。
あの、手に届くほど近くにあるのに、絶対に手に届かない遠くにある、俺の故郷へ。
雨上がりの匂い、肌をなぶっていく淡い風、照りつける太陽。
波打つ緑の平原、囁やく木の葉、黄金色の実り。
今は、ただ遠く、眼下に。
展望台に涙の粒が、球状に漂う。反射する青い光。
それを感知したセンサーが、控え目に警告音を鳴らす。
機械の間に水滴が入ると、錆やショートを引き起こすからだ。
そう、宇宙では、泣く事さえ自由には出来ない。
これから、一生、泣く事さえ自由には出来ない。
新人の歓迎パーティーは、今回は、展望室で開かれた。
こんな時しか医務室から出てこない医者も、大いに酒を飲んで楽しんでいる。
両手にボトルを持って、窓際で静かにたたずむじいさんの側へと漂っていった。
じいさんの目線は、常に眼下を追いかけている。
「どうだ、じいさん、一杯? 医者の太鼓判つきだぜ。」
「ありがとう。もらおうか。……そういえば、君に配転の勧めが来たらしいな。
おめでとう、出世じゃないか。」
「ありがとう、と返す所だがね、異動はしませんよ。もう暫くここにいる。」
「ほう。何故。」
「ん、まあ……あんたの、声に出さない願いを、本当に判っているのは、ここには俺しかいないんじゃ、と、不安だから、かな。
あんたに刑を宣告した私になら、少しは判る。あんたが何を望んでいるのか、が。
そして、もうひとつ。あんたが、その願いの為に先走りはしないか、とかね。」
「……機会を掴もうとは、するだろうけどね。先走りはしないよ。誓おう。
だから、頼むよ。必ず。」
「はい。確かに。」
「乾杯しようか。あの手の届かぬ故郷に。」
「乾杯。あの青い故郷に。」
二人は目線にボトルを持ち上げ、一口すすった。
そして、眼下を見つめた。
いつか あそこに、一筋 の流星が、流れて、還る。
Fin.
Reference(書く前に意識したモノ、描いた後思い出した事)
(画)フロンティア・ライン/たがみよしひさ
(画)パスカル・シティ/新谷かおる
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