MinMin's Diary



 Today's Diary
Go back to  Index
Go back to  Last Week
 



3月2日

いやはや、雨、雨、雨でございます。
12月末からずっと断続的に雨、雨でして...。
明日はひな祭りだっていうのに、そんなこと忘れていました。
誰だったか、死ぬ間際に「もっと光を〜〜〜」とおっしゃいましたけど、まさにそんな心境。(^^;
心身ともにかびそうだわ。
どうにかしてほしいですぅ...。



3月3日

やっと雨が降らない日がやってきました。
かといっても曇りなんですけど。(^^;

さて、日本では物騒な事件がたくさんありますね。
気の毒なのはテレフォンクラブ放火事件...。
さすがに焼死された方達の名前は出ないけど...でもどこからともなく漏れるんだろうなぁ。
ずっと前に伊豆の旅館が焼けた時にたくさんの不倫のカップルがいたというので話題になったけど。
こういう事件で被害者って死んでしまったということから、あまり大事にされませんよね。
今回の焼死者がNHKだけであっても名前が出ないのはいいことだなって思いました。
加害者のプライバシーやら人権は過剰なまでに守られるのに、被害者のプライバシーやら人権って軽んじられている感じがしてましたから。

それにしてもいつになったら「晴れ〜〜〜!」っていう天気がやってくるんだろう。
最近、何かにつけて天気のことばかり言っているんで「お天気お姉さん」ならぬ「お天気おばさん」になりそうです。
水たまりばっかで、野良公達の足元も冷たそうで可哀想であります。
 



3月4日
 

2週間ぶりの太陽でございます!
いやはや。
それなのに、ちょっと今日は意地悪みたいなことを書いてしまう。

最近、花屋の方に登録する人の興味が「台湾での就職」って多いんです。
別に台湾で就職してもいいんですけど、「就職」ってことは自分のことばかりじゃなくて、自分を必要とする相手がいてのことなんですよね。
必要としている人が、煩雑な手続きをしてでもほしい人材と思ってくれた場合、可能なんだと思います。
ま、不法就労でもOKというなら「日本人秘書がいるんですよ」みたいな感じで安い賃金で雇ってくれる人はいるでしょうけど...。
でもね、大事なのは台湾で就職するなら、「その後」を考えなければいけないことです。
一生台湾に骨を埋めますっていうならいいけど、どうなんでしょうか。
今、お隣の中国さんが何やら言ってますけど、いざ、何かあったときにわたわた騒がないだけの度量を持っていますか?
日本に残してきた家族にも心配かけるし、台湾の人達にも余計な手間をかけさせてしまいます。
それだけの迷惑(あえて迷惑と言わせてもらいます)を他人に与えるリスクを冒してまで、そのリスク以上のものを台湾に還元できるだけの信念がありますか?
いざとなったら台湾の土に帰してもいいというぐらいの覚悟がありますか?
いえ、そんな現実離れした話じゃなくてもいいんです。
台湾で現実に生活を始めた時に、嫌なことに出遭ったとしても耐えられるだけのバネを持っていられますか?
いざ、日本人と台湾人が様々な見解で対立した際に日本人の立場を捨てながらも、一方で日本人の見解を台湾人に解説できるだけの度胸と能力を持っていますか?
海外での就職で自分だけ満足したいと思っているなら考え直してください。
自分がただ台湾が好きだから、台湾に住む手段として就職を考えているなら、もう一度、考えてみてください。
就職というのは誰かのために働き、それで報酬をもらうことです。
台湾人でも出来る仕事を、ビザやらの手間暇がかかる外国人にさせるはずはありません。
やはり、ノウハウや技術を持つスペシャリストを必要としているのです。
一番手っ取り早い方法は「日本語教師」でしょう。
それなら、本当に日本語教師の奥義に触れる勢いで勉強してください。
日本文化、日本の伝統、日本文学、日本の歴史、なんでも話せるぐらいの、言うなれば民間外交官になったぐらいの心構えと知識を持って来て下さい。
手段としての日本語教師なんかにはならないでください。
旅人として気楽にやってきた台湾が楽しかったからって、現実逃避の行く先にしないでください。
台湾で就職させていただくのなら、台湾に還元できるだけの技術や意気込みをもってきてください。
台湾に青い鳥を求めに、ただ自分のためだけに行く手段として「就職」を考えているなら、まず、日本の中で日本人として出来ることをしてから、もう一度よく考えてみてください。
台湾にも日常生活は脈々と流れています。
自分の現実逃避のための竜宮城にしないでください。
ましてや、その手段として「就職」なんていう現実的も現実的なものを持ち出さないでください。
たまに来るからこそ麗しいということもあるんですよ。
日本で地道に就職してお金を稼いで、稼いだお金で台湾に年に一度遊びに来る方がいいんじゃないかなと思います。
台湾で就職したいとおっしゃっている方はくれぐれも不法就労だけはしないでほしいです。
「日本人は不法就労してもつかまらないから平気だものね」
台湾でそう言われる度に心苦しい思いをしている、台湾での生活者の日本人もいるのですから。
外国だからって好き勝手にできるわけではないのです。
外国人であっても、その土地にあれば、その土地の法律を遵守してください。
台湾を対等な相手として見ているのなら、その法律を破るなどという失礼なことはできないはずです。
どこかで「台湾だから適当にやって見逃してくれる」と思っているのなら、それは心の中で台湾を蔑視しているのと何ら変わりありません。
他人の国の法律を尊敬できない人間は、いくら「私はこの国が好きなんです」だのと言っても、説得力がありません。
台湾が好きで、台湾に魅力を感じて、そして台湾に来て就職したいというのなら、まず、台湾の法律を守ってください。
そして、台湾に何かを還元できるのかということをよく自問自答してみてください。
その全てがクリアできるのなら、どうか、台湾の社会のためになることをひとつでもいいから残していってください。
自分のことばかり考えて台湾を利用するばかりではなく、台湾に自分を利用させてください。
そして利用される中で自分自身の能力を発揮し、自分自身もかけがえのない体験を台湾でしていってください。
自分ひとりが美味しい思いをするために台湾に来ようという考えなら、どうか来ないでください。
日本でおとなしく就職し、稼いだお金で年に一度でも二度でも遊びに来てください。
日本で仕事も見つけられないような人を台湾は必要としていません。
日本で役に立たない人が、台湾なら役に立つとでも思っているのでしょうか?
そうだとしたら、傲慢もはなはだしいですね。
でも、そう思われても仕方ないと思いますよ。
 



3月5日

「英霊達の応援歌・最後の早慶戦」って映画がありました。
第二次世界大戦下、ついに学生に対する兵役猶予がなくなり、学徒出陣ということになった時、早稲田と慶應の野球部が「戦場に行く前に野球をやろう」と奔走した話を主軸に展開されていました。
野球をした者も、応援した者も戦地へ赴き、ある者は帰らず、ある者は帰ってきました。
帰ってきた者達は再び野球をやろうとしまっておいた道具を探します。
そして、ラストシーンは現代の早慶戦だったと記憶しています。
この映画を思い出すだけで私は胸が一杯になります。
ぎりぎりのところでも何かをしよう、何か精一杯しようとした若者がいたこと以外にも、様々な名場面を覚えています。
ある大学の落語研究会の若者が、特攻隊の部隊でも仲間達の笑いを取っていました。
その日もみんなに小話をしていた時、部屋に入ってきた兵士が彼に耳打ちしました。
青年は上手に話を締めくくり、「それではお後がよろしいようで」といつもどおり、おどけた笑顔で微笑み、部屋を去っていきます。
彼が向かったのは飛行場でした。
耳打ちされたのは特攻命令が下りたことを知らせるものだったのです。
誰にも知られることなく、笑顔だけを残して青年は空の彼方に消えてゆきました。
多くの若者が戦禍の中で貴い生命を落とし、志半ばで消えていきましたが、彼らは彼らの人生を精一杯意味のあるものにしようとしていたのです。
そして残された者も、逝った者達のために生きていこうとしたのです。
多くの無名学徒達の死を乗り越えて、彼らが守ったものは伝わっていったのだと思います。
この映画を見たのは高校生の時でした。
それから十年近い月日が流れた時、ある友人から頼まれごとをしました。
彼女の伯父が入院していて、輸血が必要だというのです。
健康な若い人の血が良いとかで、私と同じ血液型なので連絡してきたのですが、私は貧血症なので無理でした。
しかし、当時、私は慶應の野球部関係者に知り合いがいたので、一計を思いつき、彼女に「もしかしたら集まるかもしれない」と伝えました。
野球部関係者に頼んだところ、急なことだったけれども2人の部員を見つけてくれました。
果たして、2月14日のバレンタインディの日に、慶應野球部の2人の青年が病院へ駆けつけて献血してくれました。
彼女の伯父さんは慶應の野球部員が献血してくれたと知り、大感激したそうです。
伯父さんは慶應出身で、自らも学徒出陣した人だったのです。
最後の早慶戦に行って自分も一緒になって野球を観戦しただけに、野球部に対する思い入れも深かったのです。
たまたま「活きのいい若い血」というので野球部員を思い出したのですが、思いもかけず喜んでいただけることになりました。
「慶應の野球部の人の血が私の身体に入ったんだ。元気にならんと」
伯父さんはそう言って張り切っていたそうです。
学徒として戦地に赴く身に「応援歌」を与えてくれた早慶戦。
その早慶戦を戦った野球部員の後輩達が、今度は病床の彼にエールを送ってくれたのです。
彼女の伯父さんの病状は深刻で、この輸血もダメもとのものでしたが、精神力というのは素晴らしいもので、伯父さんは医者が予想していた以上に頑張りました。
「慶應の野球部の人の血が私の身体に入ったんだ」
その思いが伯父さんを支えたのかもしれません。
献血してくれた青年達にしてみれば、何のことだか解らないと思うし、別に解る必要もないと思うけれど、人は時に自分が思っている以上の影響力を他人に与えることができるのかもしれません。
最後の早慶戦で戦った野球部員達と、恐らくは面識もなかった彼女の伯父さんにしても、「最後の早慶戦」を観戦し、そこで何もかもを忘れて一心不乱に応援したことを心の支えにして出征していったのでしょう。
そして、それから半世紀を過ぎた時に、その戦争のことを歴史の教科書でしか知らないような若い野球部員の存在に勇気を与えられたのです。
思いもしないところにまで、自分の行為が影響を与えることもあるし、思いもしないような効果を与えることもあるのです。
たまたま、あの映画を見ていただけに、彼女の伯父さんの気持が、なんとなく解るような気がしました。
逝った者は短い人生を懸命に生き、残された者は逝った者達の生きた軌跡を残そうと懸命に奔走する。
あの映画の最後の方で残された者達が「また野球をやろう!」と奔走するシーン、そしてかぶさるように現在の早慶戦のシーンが流れていた意味を今一度考えました。
「最後の早慶戦」はただの野球の試合では決してなかったということを、あの映画は伝えたかったのかもしれません。
映画が伝えたかったのは試合そのものではなく、それが意味するものだったのではないかと、その試合から半世紀以上も過ぎた時に出会った一人の元学徒の存在からあらためて思ったのです。

最近の邦画では、戦時中のものというと、どうにもこうにも浅薄な内容のものばかりで、見ていて腹の立つものが多いのですが、こういうのに限ってビデオ化されたりしています。
特攻隊を妙に美化したものや、刹那的に描いたもの。
学徒兵を悲劇的に描き、劇画チックに仕上げたもの。
戦後の見事なまでの「日本軍は悪の権化である」という教育をべったり貼り付けたような映画や、そういった主義主張がない場合はただのアイドル映画のなれの果てみたいなものばかり。
「英霊達の応援歌・最後の早慶戦」はマイナーな映画かもしれませんが、彼女の伯父さんの登場で、私にとってより忘れられない映画となりました。

最後の早慶戦が繰り広げられた安部球場も今はありません。
最後の早慶戦が行われた安部球場最後の野球の試合の時にも生き残った「最後の早慶戦」メンバーが見えていました。
普通のおじいちゃん達でした。
でも、この普通のおじいちゃん達が半世紀以上も前に多くの若者に、自らが試合をすることでエールを送り、そして自らも鼓舞した無名のヒーロー達なんだなと思って遠くから眺めていました。
平凡に見える人にも、何か平凡でないことをした経験があるのかもしれない...。
そんな思いが芽生えたのも、「英霊達の応援歌・最後の早慶戦」を見たおかげかもしれません。
 



Go back to  Index
Go back to  Last Week

minmin@geocities.co.jp